子どもの才能は生まれつき?
いいえ、家庭の関わりが大きな作用を果たします。


2017.4.7 小学校6年間における前半3年間の重要性

 本日は4月7日。おそらく、日本の多くの小学校で新学期が始まったことでしょう。このブログをお読みくださっている保護者のなかには、お子さんが小学校に入学されたばかりのかたも相当数おられると思います。そこで、まずは新1年生のお子さんの保護者に、一言応援のメッセージをお届けし、それから本日の話題に移らせていただきます。よろしくお願いいたします。

 子どもたちにとって、小学校への入学は大変なカルチャーショックを伴うものです。建物や施設の規模が幼稚園とは比べものにならないほど大きく、校庭は広々としています。つい最近まで最年長の存在だったのに、今度は最年少へと立場が変わりました。昨日までの環境や意識が一変し、何もかもが様変わりしています。

 しかし、それは子どもの新たな成長を引き出す重要なステップです。「自分はもう小学生なのだ!」という意識や決意が、毎日の行動にもはっきりと表れてきます。子どもたちそれぞれに、この新しい環境を受け入れようと積極的に行動するようになっていくのです。

 子どもたちは、小学校への入学をもって活字文化の継承者となるための正式な学習の場に立ったわけですが、そのことは子どもたち自身も相応に自覚しています。どのお子さんも、「学校で習うことを、ちゃんとできるようになりたい!」という一途な思いを胸に、一生懸命取り組みます。玉井式を導入している学習塾は、「小学校入学時の、この新鮮な気持ちがいつまでも失わないことが、学力を身につけるうえで大変大切なことだ」と認識しています。子どもたちに、考えることや知ることの楽しさや喜びを、たっぷりと味わう経験と提供してまいりますので、ご理解ご支援の程よろしくお願い申し上げます。

 さて、それでは本日の話題に移ろうと思います。小学校の6年間は、子どもにとっては途方もなく長い6年間です。見るもの聞くもののすべてが新鮮な驚きに包まれ、濃密な時間を過ごしていくからです。そして、このような6年間を通じて、子どもは見た目においても、内実においても、大変な成長と変化を遂げていきます。人間の人生において、小学校の6年間ほど変貌の著しい期間はありません。保護者の方々には、ぜひそのことを胸に留め、わが子の成長を見守り応援していただきたいと存じます。

 ただし、1年間を1区切りにして子どもの成長を見ていると、さほど大きく変わったようには感じられません。特に、小学校の低〜中学年までの子どもは、見た目にさほど違いは感じられないものです。しかし、幼稚園を卒園したばかりの初々しい1年生の頃に撮った写真と、中学入試を終えた6年生の終わり頃の写真を見比べると、「同じ子どもだろうか」と思うほど外観に変化が生じています。また、話しぶりや態度についても幼さの色濃く残る1年生と、もはや思春期の入り口にさしかかっている6年生とでは、成熟度に格段の差が感じられるものです。

 ここで、小学校6年間の子どもの成長の構図をともに確かめてみたいと思います。


成長が表面に見えてくる


成長が表面には見えにくい


 子どもの成長が傍目にもはっきりとわかるようになるのは4年生ぐらいからです。それまでの3年間は、成長が顕在化するまでの準備をしている期間なのです。ですから、2〜3年生までは、わが子が成長しつつあることがなかなか実感できず、もどかしい思いをされるおとうさんおかあさんが少なくありません。しかし、実際には子どもは少しずつ確実に成長への準備を進めているのです。

 これに関して、新2年生のお子さんの保護者にお伝えしておきたいことがあります。昔から小学2年生が「忘れられた学年」と言われているのをご存知でしょうか。

 わが子が小学校入学するときには、親は様々な心配をし、随分手をかけたりサポートをしたりします。「ちゃんと小学校になじめるだろうか」「学校の勉強は大丈夫だろうか」――こうして、常にわが子を見守りながらのサポートを絶やしません。

 ところが、1年経って小学校生活になじんだわが子を見ると、親はほっとして子どものことへの関心を緩めることになりがちです。それが2年生の時期だと言われています。実際、私の勤務する学習塾において、玉井式の体験授業会などを催すと、2年生の数が一番少ないことがよくあります。

 ところが、このブログで何度かお伝えしているように、2年生はリテラシーを獲得するための学びが徐々に軌道に乗り始める時期にあたります。まず、2年生の前半に多くの子どもたちは黙読ができるようになります。この黙読への移行の意味するところをご存知でしょうか。自分で机に向かい、玉井式のテキストやプリントの学習が可能になるのです。すなわち、家庭での一人勉強が理屈のうえで可能になるのがこの時期なのです(無論、一人勉強には、それを可能にするためのほかの条件もありますから、すぐにできるようになるわけではありません)。

 黙読が上手にできるようになると、声というバイアスが取り除かれるので、読むときの負担がずいぶん軽減されることになります。それに伴って、読書活動がみるみる活発化していきます。

 保護者におかれては、この流れをお子さんがスムーズにわがものにしつつあるかどうかしっかりと見守っていただきたいのです。玉井式の課題用長文をどれぐらいの時間で読了しているかを確かめ、親がゆっくり読んで要した時間と比較してみてください。また著述内容について理解できているかどうかを簡単なやり取りで確かめてみましょう。要領を得ないでいるようなら、音読をさせてみてください。滑らかに確実に文字面を音声化できるでしょうか。もしも躓きがちであれば、まだ黙読への移行がしっかり進んでいないことを意味します。音読がしっかりとできるようになるまで、もうしばらくの間はサポートしてあげてください。

 無論、リテラシーの獲得は読みの習熟のみでは云々できません。書くことについても目配りする必要があります。ただ、一般に書く力は2年生の段階では目に見えるほどには進展しないものです。構想立てて長文を書けるようになるのは3年生になってからです。玉井先生がよくおっしゃるように、低学年は何か書こうとするだけでほめるべき段階です。それを励行していると、見た目に進歩がないようで、実は1年生のときよりも中身のある文章が少しずつ書けるようになっているのです。1年生のときの作文と、2年生になってからの作文をよく見てみましょう。著述内容にはっきりと進歩が読み取れるものです。

 3年生についても書こうと思っていましたが、すでに文字数を大分オーバーしてしまいました。3年生については、また機会を見てお伝えしようと思います。よろしければ読んでください。

H,S

 

2017.4.14 小学3年生という時期

 前回の記事は、小学校6年間の前半にあたる1〜3年生という時期の位置づけや重要性を、リテラシーの獲得という視点から見ていこうという趣旨で書きました。ただし、3年間を概観したうえで1〜2年生の発達段階について書いたところで、予定していた文字数をだいぶオーバーしてしまったので、そこで終了させていただきました。

 そんなわけで、3年生については「いずれまた」と思ったのですが、間隔が空くと間延びしてしまい、お伝えしたいことに連動性が伴わなくなってしまいます。そこで思い直し、引き続き3年生について頭に浮かんだことをお伝えしておこうと思います。よろしくお願いいたします。

 前回、2年生は親が気を緩めてしまいがちな学年であるということを書きました。2年生というのは、身体的にも、学力形成の面においても進歩や変化が見えにくい年齢です。しかしながら、傍で見てもわかるような進歩や変化の準備をする重要な時期であり、親はこの段階を軽視してはなりません。

 勉強というのは、ある日突然にできるようになるものではありませんが、まるでそうであるかのように思えるほど子どもが急激に変わっていく時期があります。それが3年生の頃です。たとえば、読みがみるみる上達し、スラスラ黙読できるようになります。その結果、読書量が一気に増えていきます。そして語彙の獲得がこれに呼応して著しい勢いで進んでいきます。書くことに関しても、小学校に入学して3年目を迎えるこの時期、構想の伴ったしっかりとした文章が書けるようになります。書いた文章の総文字量も、今までがうそだったかと思えるほど増えていきます。1、2年生の頃、あれだけ書くことに難渋していた子どもが、見違えるほど達者な文章を書けるようになっていきます。

 これらは、すべて1年生、2年生の頃からの学習の積み重ねや継続の賜物です。読みが達者になるのも、書くことが上手になるのも、すべて小学校入学以来続けてきた努力の成果なのです。ここで顕在化してきた差は、2年間にわたる積み重ねによって生じたものですから、上の学年に進級してますます差が開くことはあっても縮まることはありません。新1・2年生のお子さんのご家庭には、ぜひこのことをご理解いただき、毎日の学習の積み重ねを丁寧にバックアップしていただきたいと存じます。

 先日、「小学3年生ってどういう学年ですか」と、小学校で教師をしているかたに尋ねてみました。するとしばらく考えてから、「昔からよく言われるように、『ギャングエイジだな』ということと、『学力差がついてくる時期だ』ということでしょうか」とおっしゃいました。やはり3年生は学力差が明確になっていく学年なんですね。

 3年生ぐらいになると、体が自由に動くようになり、子どもの行動範囲は大いに広がります。また、お喋りも達者になって、子ども同士のコミュニケーションも活発になります。この頃の子どもたちは、集団で遊びに興じたり、徒党を組んでいたずらをしたりするなど、やんちゃで元気いっぱい。3年生は、先生にとっても、親にとっても、制御が利きにくくなる時期のようです。このことに関連して注意いただきたいのは、子どものしていることの現実を、親でも掌握できなくなっていくということです。それは、日頃の目配りやしつけの重要性を意味するでしょう。携帯ゲームの遊び、テレビの視聴などについてしっかりルールを浸透させておかないと、親の目の届かないところでは自分のしたいことをやりたい放題の子どもになってしまいかねません。家庭での学習を習慣づけたり、規範意識やルール順守の姿勢を育んだりしておくことを、ぜひ大切にしていただきたいですね。

 勉強面では、文字の読み書き、算数の筆算や九九など、学力形成の基盤となる基本的な知識技能の習得が2年生までで一応終わり、3年生からはより高レベルな学習へと進んでいきます。したがって、それまでの学習を疎かにしていた子どもは徐々に取り残されていきます。そうならないよう、基本的なことの学習を疎かにしないようにしておきたいものです。高学年になってから親が心配を募らせたり、苛立ったり、手を差し伸べたりしなくて済むようになるためには、現段階での親の目配りやサポートが重要だと心得てください。無論、ここでいう目配りやサポートは、子どもの自立の助走としての意味合いもありますから、あくまで自分でできることはやらせ、ちゃんとやったときには大いに喜びほめ称えながら、子どもに自信や自立心を吹き込むことが肝要です。

 さて、右下をご覧ください。以前もご紹介したと思いますが、これは坂本一郎先生(昭和の時代に活躍された発達心理学者)による子どもの語彙発達の研究資料です。
 これを見ると、子どもの語彙発達が最も著しいのは、9歳から11、12歳頃であることがわかります。語彙の増加率がいちばん高いのは10歳で、前年までの語彙が僅か1年間で4割近くも増えています。増加数では、11歳の1年間で6300語以上も増えています。以後の人生で、これほど語彙が増加する時期はありません。
 前言を繰り返すことになりますが、この“語彙の爆発”と呼ばれる現象は、小学校入学後の絶えざる文字学習、音読練習によって、黙読への移行が着実に準備されていたからです。小学校入学前の子どもは、「HARU」という音声の言葉は知っていましたが、「はる」という文字の言葉は知りませんでした。したがって、はじめは既知の音声言語を、文字言語と照合しながら、文字言語の語彙を増やしていかねばなりません。ですから、あらたな語彙を獲得したわけではありません。
 しかし、1〜2年の積み重ねで文字言語の語彙が一定数に達すると、簡単な内容の本なら自分で読めるようになっていきます。これにより、子どもは親に頼らなくても、本から新しい語彙を獲得できるようになります。それが読書活動の活発化を促し、読みのますますの習熟、語彙の爆発的増加という現象を引き起こすわけです。9歳になってからの大きな成長変化は、実は6歳から8歳にかけての地道な準備があってこそのことだということがわかりますね。

 3年生は、学力差がはっきりしてくるということの背景がこれでかなりおわかりいただけたのではないでしょうか。

 「えっ、うちの子は大丈夫かしら」と、心配になったかたもあるかもしれません。これまで述べた算数や国語の学習の状況を振り返ってみてください。学習というのは、常に既習内容をベースにより高度な領域へと発展していきますから、1〜2年生の内容がマスターされていなかったとしたら、焦らずにやり直すことが必要です。逆に、「これまでの学習事項はちゃんと身につけている」と思われたなら、大いに先が楽しみですね。

 3年生になってから勉強に苦しむようになったお子さんの巻き返し策については、またいずれ機会を見て書いてみようと思います。まずは、そういう事態にならないよう、学校や塾でのお子さんの学習をしっかり見守り、バックアップしてあげてください。

H,S

 

2017.4.21 親子の信頼関係があれば大丈夫!

 2世代家庭がほとんどを占めるようになってから、子どもの家庭教育の大半はおかあさんが引き受けざるを得なくなっています。おかあさんがたにとっては負担が少なくないことでしょう。ある調査によると、子どもにまつわる日常的なしつけ教育の80数%はおかあさんが引き受けておられるとか。

 しかしながら、それが重荷に感じられたり重圧になったりして、「うまくいかない」と落ち込むおかあさんが年々増加していると言われています。思えばそれも当然のことです。おかあさんの相談相手になれる人がいないのですから。多くの場合、友人には子育てに関わる悩みはそうそう気軽に相談できないものです。唯一頼りになる存在はおとうさんかも知れません。しかし、おとうさんは帰宅が遅かったり、仕事で疲れていたりで、まるで「そんなこと、おまえの仕事じゃないか!」と言わんばかりの家庭もあるようです。

 これは、だいぶ前に読んだカウンセリング関連の本に紹介されていた話です。夫が全く子育てについてのパートナーシップを尊重してくれず、何もかも自分に押しつけてくるので不満に思っているおかあさんがおられました。そのおかあさんは、子どもが全然言うことを聞いてくれないという悩みを抱えていました。しかしながら、夫は相談に応じてくれません。おかあさんは、たまりにたまったストレスに耐えかね、実家の母親に電話で相談を試みました。すると、いきなり「そんなこと、あなたが自分でやるべきことでしょ!」と、切り返されてしまいました。

 おかあさんにもいろいろな性格のかたがおられます。自分の考えを主張することが苦手だったり、子どもを毅然と叱れなかったりし、そのために思い悩むタイプのおかあさんもおられるようです。もしも、そういうかたに支えとなる存在があったなら、どんなにか救われることでしょう。

 似たような悩みをもつおかあさんは、わが子を塾に通わせるかたの中にも多いのではないでしょうか。塾での勉強は特別な勉強ですから、子どもだけでなく、見守るおかあさんにもストレスがかかりがちです。そこで私の勤務する学習塾では、「おかあさんが変われば子どもが変わる」というキャッチフレーズのもと、カウンセリングの専門家を招いて、おかあさんを元気づけ、望ましい方向へとバックアップするための講座を開いたことがあります(現在は、自社で企画して同様の行事を行っています)。

 今からご紹介するのは、この講座を傍聴したときのことです。あるおかあさんが、こんなことをおっしゃいました。

 前回の宿題だった『理想のおかあさん像とはどういうものか』についていろいろ考え、紙に書いたんですが、テーブルの上に置いていたその紙を息子に読まれてしまったんです。そうしたら、「おかあさん、こんなにいっぱい書いてくれなくていいよ。ボクにとっては、おかあさんが優しいおかあさんだというだけで十分なんだから」と息子が言ってくれたんです。
 それで、息子のために優しいおかあさんであろうと一生懸命努めてみたんです。でも、1週間ぐらいすると、すごくストレスが溜まってしまい、ある日とうとうそれが爆発して、ちょっとしたことなのに子どもを叱りつけてしまいました。そうしたら、息子がこんなことを言うんです。「おかあさん、ボクを叱ってくれていいんだよ。おかあさんが立派すぎると、ボクだっていつもちゃんとしていなきゃいけないから、毎日が辛くなるよ」

 このおかあさんの話を聞いていたかたの多くが、目頭を熱くされていました。身につまされると同時に、親子それぞれの思いがこの話から感じられたからでしょう。

 この報告をされたおかあさんは、わが子が母である自分に対して思いやりをもって接してくれていることに感激しつつも、常に冷静に子どもに接することのできる母親になれない自分を責めておられるようでした。しかし、教室におられた他のおかあさんが言っておられましたが、完璧同士だと気持ちが悪いし、それでは却って親子関係、家族関係はしっくりいかなくなるようにも思えます。理想の母親像とは、完璧なおかあさんを演じられるおかあさんではなく、わが子と強い信頼関係を築くことのできるおかあさんなのかも知れませんね。

 この信頼関係は、欠点をもった人間同士だからこそ、そしてその欠点を認め合えるからこそ築けるものです。たとえ完璧でも、子どもへの愛情と期待を上手に伝えることをしなければ、子どもはおかあさんを尊敬し、「ついていこう」「おかあさんの期待するような人間になろう」とは思わないし、努力もしないのではないでしょうか。

 みなさんはどうでしょう。「あんな叱りかた、しなきゃよかった」「どうしてあんなにも興奮して叱ってしまったのだろう」などと、後で悔やむことはありませんか? 大丈夫、心配無用です。叱られた子どもの大半は、自分のほうが悪いことを自覚しています。おかあさんがなぜあんなに叱ったのかわかっています。のべつ幕なしに叱っているならともかく、おかあさんの我慢の限界が来て叱られたことが子どもに伝わっていたなら、何も心配要りません。

 中学入試が近づくにしたがって勉強に勢いが出てくるお子さんがいます。こういうお子さんは例外なく親子関係において恵まれており、親からプレッシャーを受けるのではなく、親の愛情が入試への不安を取り除いてくれているのだと思います。全てよい結果を得られるわけではありませんが、たとえ失敗に終わった場合にも、その経験を糧にがんばることが多く、中学進学後もお子さんは立派に成長しています。

 これをお読みくださっているおかあさんがたには、親と子が、夫婦が互いに信頼で結ばれた、すばらしい家族関係を是非築いていただきたいと存じます。

H,S

 

2017.4.28 親は完璧でないほうが子どもは自立する?

 前回は、親子の信頼関係が築けていれば、おかあさんは完璧でなくてもちゃんと成長していくことを、多少の事例も交えながらお伝えしました。今回は、その続編を書いてみようと思います。よろしければ読んでみてください。

 ある年の秋のこと、担当していた6年生のクラスの男の子が休憩時間に面白いことを言ってきました(私は国語の指導を担当していました)。

 「先生、僕が算数苦手なのはよく知っているよね。ボクのおかあさんはね、ボクの算数の成績が悪いのを気にして、いつもテストの成績が返ってくるたびに目くじらを立ててボクを叱ってくるんだ。『なんでこんな簡単な問題も解けないの!』ってね。でもね、そのくせボクができなかった算数の問題、おかあさんは何一つ解けないんだよ」

 同じ内容を言ってくるのでも、子どもが訴えるような目をしていたなら問題です。しかし、その男の子は違っていました。明るく笑ったその目が輝いているのです。この男の子は、おかあさんに文句を言いたかったのは事実でしょう。しかし、同時に算数の克服が一番の課題であるということを自分自身よくわかっていたのです。

 彼の笑顔から、好ましい親子関係を感じ取れてほほえましく思うとともに、「そうか、彼は自分で何とかしようと決意をしているんだな。彼の成績は、志望校合格にはちょっと厳しい状態だけど、何とかがんばってくれるといいが・・・」――そんなふうに、彼の入試がうまくいくことを祈ったものでした(入試では、彼は見事第一志望校に合格しました)。

 私は、この話をいろいろな場所でご紹介しています。子どもの成績が期待通りでないことを嘆き、「何とかならないか」と、もどかしい思いをされているおかあさんが多いからです。そんなおかあさんがたに、こんなふうに言っています。「この少年のおかあさんはすばらしい子育てをされていますね。なにしろ、わが子を11歳にして、すでに『親はあてにできない。自分でがんばるしかない』と、ちゃんと悟らせておられるのですから」

 すると、大概どっと会場が笑いに包まれるとともに、安心したような雰囲気が会場に漂い始めます。無論、決してそのおかあさんを茶化しているわけではありません。子どもを自立させる。それには様々な方法があるということを教えてくれる好例だと思うからです。親が立派で完璧であることが、子どもを自立させる条件になるのではありません。前回も書いたように、親が完璧だと、「親のようにはとてもなれない」と、却って子どもにとっては辛い思いを強いられることになりかねません。

 これは別のおかあさんの例です。熱心そうなおかあさんだったので、「お子さん(5年生)がわからないところは、おかあさんが見ておられるのですか?」と、尋ねてみました。すると、「とんでもない!」と、意外な答えが返ってきました。

 「確かに見てやろうと思うときもあります。でも、子どもに断られるんです。『おかあさんの答えかたは間違っていることが多いから、自分で考えたほうがいい』って、言われてしまうんですよ」 そうおっしゃるおかあさんの笑顔がとても印象的でした。このお子さんが、入試で好結果を得るだけでなく、先々も学力を大きく伸ばしていくであろうことは、想像に難くありません。自立した勉強のできるお子さんに育てておられるおかあさんに、心から敬意を表せずにはいられませんでした。

 小学校低学年の段階では、お子さんもまだ何につけ親頼みであるのが普通です。しかし、自立に向けて少しずつ準備をしておくことは重要だと思います。何でも親に頼るより、自分でやり遂げたほうが気持ちがよい。そういう実感が得られるような体験を繰り返しさせるのです。また、そういう考えかたの持ち主になるよう方向づければよいのではないでしょうか。

 「どんな取り組みを期待しているか。どんな人間になってほしいのか」それをしっかりと伝えてやれば、子どもは納得し、親を信頼してがんばろうとするものす。少子化が進み、それ故に過保護になりやすい日本の家庭ですが、子どもの人となりが定まっていく途中の子育ては、子どもの歩む人生に多大な影響を及ぼします。今の子育てをちょっと振り返ってみませんか?

H,S

 




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