子どもの才能は生まれつき?
いいえ、家庭の関わりが大きな作用を果たします。


2016.12.2 お子さんは鉛筆を正しく握っていますか?

 当たり前のことですが、学習塾で働いていると毎年たくさんの子どもの勉強に関わることになります。そのなかで、勉強の内容には直接関わりはないものの、勉強の成果に大きく関与することで、とても気になることが一つあります。それは、“鉛筆の握りかた”です。

 子どもの鉛筆の握りかたが気になり始めたのは随分前のことですが、近年妙な鉛筆の握りかたをしている子どもがどんどん増えているように思います。いつだったか、中指と薬指の間に鉛筆を挟み込み、拳骨のような形で鉛筆を握り込んで文字を書いている子どもを見ましたが、その様子は、鉛筆と格闘しているかのようで驚きました。聞けば、最近は学校で鉛筆の正しい握りかたを指導することはほとんどないとか。おたくのお子さんはどうでしょうか。

 「鉛筆の握りがよいか悪いかなんて、大した問題ではない」と、思っておられるかたもおありでしょう。しかしながら、鉛筆を正しく握れているかどうかは、勉強のはかどり具合に著しい違いをもたらします。間違った握りかたをすると、ただ書くのに手間がかかるだけではなく、字が汚らしく見える、手や指がすぐに痛くなる、勉強が長く続かないなど、よいことは一つもありません。

 一説によると、大人でも理想的な鉛筆の握りかたをしている人は5%程度とか。「いまどき、手で文字を書くことはほとんどない。鉛筆で字を書く時代は終わった」という見かたや風潮もあるようです。確かに、今やワープロソフトを使い、キーボードをたたいて書類をプリントアウトするのが常識の時代になっていますから、そう思われるのも無理はありません。

 しかしながら、今でも子どもたちは学校や家庭で勉強するときは鉛筆を使用しています。中学や高校、大学へ進学してからも、それは基本的に変わりません。段々と、ボールペンなどを使用する機会は増えるでしょうが、鉛筆が勉強に欠かせない重要なツールであるのは昔も今も変わりません。その鉛筆が合理的に自在に使えるかどうかは、学習の負担を著しく変えることになります。

 また、私自身日々の生活を振り返ってみると、書類にサインをしたり、メモをとったり、伝言したりと、自らの手で文字を書く機会はまだまだ結構あります。また、相手への誠意を伝える意味で、手書きの文字を使用したくなるケースもあります。先日は、のし袋に筆で文字を書く機会がありましたが、筆の握りも覚束ないありさまで、とうてい達筆とは言い難いわが筆跡を見て情けなくなりました。「正式な握りかた、筆さばきを身につけ、整った字を書けるようになっておけばよかった」と、そういうことがあるたびに思うことしきりです。

 以上から言えるのは、正しい鉛筆の握りかたを身につけておくことは、勉強に励むのと変わらないほど重要なことだということです。そのことが、これから先の勉強の成果を大きく変えることになるからです。もしも、お子さんがちゃんとした握りかたをしていないようでしたら、次の引用文を参考に対策を行ってみてはいかがでしょうか(一部を調整しています)。書いておられるのは、長年教育現場で活躍された小学校の先生です。

 正しい持ち方をさせるのに、いちばん簡単な方法は、輪ゴムを用いて矯正するやり方です。人差し指に鉛筆を沿わせ、そのまわりを輪ゴムで二重か三重にして第二関節に巻きつけるのです。そして、親指の先を人差し指の先と同じ位置まで下ろし、軽く鉛筆を押さえるのです。これが正しい持ち方です。
 正しい持ち方をすると、鉛筆と人差し指がぴったりと寄りそっていて、すき間がありません。人差し指は、鉛筆にこころもち巻きついています。親指の先と人差し指の先は向かい合っていて、その間隔は2mmほどです。鉛筆がその間から見えています。親指は反っておらず、富士山のように、への字の形になっています。ノートに対しては、斜めに55度ないし60度になっています。まちがった持ち方に比べて、うんと立てて書くことになります。この正しい持ち方をすると、鉛筆の先の動く距離が延びて楽に書けます。力を入れることなく書けますから、ちっとも疲れません。ただ、どうしても字が薄くなり、字が見えにくくなる恐れがあります。ですから、こどもに与える鉛筆はHBやHやFではなく、2Bを買い与えなければなりません。2Bなら、力を加えずとも、滑らかに書けますし、はっきりと濃い色になります。

 「鉛筆の正しい握りかたは、少しでも早くから身につけさせるほうがよい」とよく言われます。それは、筋力が未発達なうちに正しい握りかたを教えるほうが理に叶っているからです。筋力がないと、きちんとした握りかたをしなければ字を書けません。だからこそ、こういう時期がチャンスなのです。いったん筋力がつくと、おかしな握りかたをしていても力に任せて書けてしまいます。こうして、自己流の書きかたが染み付いてしてしまうと、ますます矯正が難しくなってしまうのです。

 今回は、“鉛筆の握りかた”という、いささか地味な話題をとりあげてみました。人間の一生のなかで、鉛筆を握っている時間はどれぐらいあるでしょうか。きっと、想像もつかないほど長い時間であろうと思います。その長い時間を有効に使えるかどうかと深く関わるのが鉛筆の握りかたです。子どもの学びの時間を快適なものにするために、ぜひ現状をチェックしてみてください。

 なお、正しい鉛筆の握りかたを視覚的に具体的に確かめたいかたは、鉛筆をつくっている会社(トンボ鉛筆など)のサイトをご覧になってはいかがでしょうか。写真を用いてわかり易く説明されています。

H,S

 

2016.12.9 習い事やスポーツ教室に通わせることの是非って!?

 少子化が進んだ今日においては、一家庭あたりの子どもの数は一人か二人ぐらいが一般的であるようです。みなさんのご家庭の家族構成はどうでしょうか。おそらく核家族の場合、3〜4人ぐらいで家庭生活を営んでおられるのではないかと思います。

 子どもの数が少ないと、子ども一人に投資できる教育費も相対的に余裕が生まれます。小学校の低学年児童でも、習い事やスポーツ教室、学習塾などに通うケースが多いようです。日本の経済が「行き詰っている」と言われて久しい年月が経過していますが、世界的に見たらまだまだ日本の家庭は裕福であり、高学歴社会が相変わらず維持されています。したがって、大概の家庭はわが子の教育にかなりの投資をしておられると思います。

 たとえば小学生について見てみると、学校が終わった後、習い事、スポーツ、学習塾と、毎日のようにいろいろなところに通う子どもがたくさんいます。どうしてこんなにたくさんのスケジュールが組まれているのでしょうか。それらは子どもの希望や意志で通っているものもあるでしょうが、親が選んで行かせているものも相当あるようです。

 あるとき、「玉井式体験授業会」に来られたおかあさんが、帰り際に次のようなことをおっしゃいました。
「子どもも楽しそうだったし、私もいいなと思ったんですけど、通わせる曜日が確保できません」
「でも、まだ今年2年生ですから、週1日ほど何とかなりませんか?」と申し上げたところ、
「それが、毎日スケジュールが埋まっていて、1日も空いていないんですよ」とお返事されました。
「なるほど、いろいろと通っておられるんですね。でも、先ほども申しましたように、低学年の頃の勉強は、将来の伸びしろを決める重要なものです。何とか週1日ほど時間をつくっていただけないものでしょうか」と、食い下がってみました。
 すると、そのおかあさんはこんなことをおっしゃいました。
「先生の言われることはわかっているつもりです。でも、親には子どもが今の年齢だからこその夢があるんですよ」

 そうです。親には、今だからこそわが子にやらせておきたいことがいろいろとあるんですね。親が子どもの頃にできなかったことをやらせてみたい。あるいは、親が子どもの頃に経験した習い事を子どもにもやらせてみたい、などの思いがあるのかもしれません。おとうさんはともかく、多くのおかあさんには、習い事に関してある種のこだわりや、わが子に託す夢があるというのは頷ける話です。

 さて、どこかの統計調査から得た情報ですが、こうした習い事には相応の投資が求められます。しかしながら、せっかく習ったことの大半は子どもが一定の年齢に達した段階で終了し、ほぼ100%は痕跡すら残らずに消えてしまうとか。そう言えば、私の息子も小学校3年生の秋までピアノを習っていましたが、大人になった今では全くピアノを弾くことができません。やめた理由ですが、あまり楽しそうでないので、「いやならやめてもいいんだよ」と言ったところ、次のレッスンの日にすかさず「今日でやめます」と先生に言ったそうです。先生からの電話で知ったのですが、あの優柔不断な息子が自分から行動したことに驚きました。よほど嫌だったのでしょう。

 では、習い事なんて意味がないのでしょうか。そんなことはありません。前述の ように、親には今のうちにわが子にやらせておきたいことが山ほどあるのです。 それをあきらめたなら、親として大きな後悔が残るというものです。

 ただ、習い事をそのまま続けさせるかどうかについて、判断すべきポイントがあります。それは、子どもがあからさまに嫌がってはいないものの、気持ちが受動的になっていたり、スケジュールに追われて疲れ気味だったりすると「やや問題あり」と判断すべきでしょう。

 気持ちがそこにないのに通い続けるのは時間やお金の無駄ですし、それ以上に気になるのは子どもが養うべき主体性が損なわれてしまうことです。何事においても自分なりの考えをもち、自分で行動を律していく姿勢を培うことが、小学校の低〜中学年の時期には求められますが、親に促され親の決めたスケジュールに追い立てられて行動していると、それを育むことができなくなってしまいます。

 反対に、やや過密スケジュールに見えても、子どもが習うことを希望し、自分の意志でやっている場合には続けさせることのメリットのほうが大きいかもしれません。私の勤務する学習塾は中学受験塾ですが、私が指導を担当した子どもたちのなかにも、入試直前まで習い事やスポーツを続けて志望校合格を達成した例がたくさんあります。こうした子どもたちに共通するのは、自分自身が続けることを希望し、「勉強と習い事やスポーツとを両立させるのだ」という信念をもっていたという点です。

 結局、大切なのはやり通す意志や行動の主体性であり、それらを育むこと自体が習い事やスポーツをする意義でもあるのではないかと思います。はたで見て「辛そう、かわいそう」と見えることでも、子ども本人がそれを受容し積極的な気持ちで取り組んでいれば、すばらしい自己鍛錬を実践していることになります。

 今、お子さんの毎日のスケジュールはどうなっているでしょうか。また、お子さん自身はどういった気持ちで習い事やスポーツ教室などに通っておられるでしょうか。現状をちょっと振り返り、お子さんと話し合ってみてはいかがでしょう。本人にやりたいという気持ちがあれば、勉強との両立の重要性を伝え、どちらもおろそかにせずにがんばるよう励ましてあげてください。きっとお子さんの成長につながるよい環境ができあがることでしょう。

H,S

 

2016.12.16 子どもに手伝いをさせていますか?

 みなさんは、子どもに何か手伝いをさせておられますか? 今回の話題は、子どもに手伝いをさせることの必要性や意義について考えてみたいと思います。

 便利で快適な道具が普及した今日の日本では、昔と比べて家事の負担はずいぶん軽減されています。また、少子化がすっかり定着したため、一家庭あたりの人数が少なくなり、家事の全体量も減っています。ですから、私の子どもの頃ならいざ知らず、今日の家庭の保護者のなかには、「子どもに手伝いをさせる時間があったら、勉強をやらせます」、「手伝いをさせると、かえって足手まといになるからやらせません」、などとおっしゃるかたが多いかもしれませんね。

 しかしながら、子どもに手伝いをさせるのは、親や家族にとって助かるからではありません。子どもの望ましい成長を引き出すうえで必要なことだからです。年齢的に幼い子どもの場合、やらせることは限られてしまいますが、ぜひ何か家庭で子どもの役割としての手伝いをさせてほしいですね。

 戦前の日本では、子どもが5人、6人、7人という家庭も珍しくなかったそうですね。それは貧しさゆえのことで、農作業を手伝わせるとか、幼い弟や妹の面倒を見させるとか、その時代の家庭に共通する必然性があったわけです。世界を見渡すと、今でも後進国、貧困にあえいでいる国では例外なく子どもが多く、そのほとんどは幼いうちから労働力の提供者としての役割が求められています。

 それは子どもにとってかわいそうなことのように思えますが、その代わりに子どもを早くから一人前にさせ、行動に責任をもつ姿勢を育んでくれます。今の日本の子どもに必要なのは、そうした心の側面を育てることではないでしょうか。

 ユダヤ人の教育関係者は、心理学者ルドルフ・ドレイカースの「子どもを幼いうちから、家庭生活に積極的に参加させるようにすべきだ。そうすれば社会的関心や協調性が育つ。そのうえ自信がついて、何か役に立つことをしようと思うようになっていくものだ」という言葉を紹介したうえで、子どもに手伝いをさせることについて、次のようなことを述べておられます。

 幼い子はたいてい親の手伝いをしたがります。手伝っていいと言われると一人前になったような気がします。といっても、幼いから仕事はぎこちなかったり遅かったりで、手伝ってもらっても助かるどころかじゃまだったりします。それに幼い子は、手伝いも遊びのように思っているので、大人のようにやり方にこだわったり、さっさと与えられた仕事を片づけたりしようとはしません。そんなわけで、子どもがせっかく手伝おうとしているのに我慢できなくて、手や口を出して、手伝いたいという気持ちさえも叩きつぶしてしまう親もいます。 (中 略)
 子どもがもっと大きくなっていろいろなことができるようになってから手伝わせればよいと思っていても、そうなってからではなかなか言うことをききません。こうした傾向のある親は、自分の日常の仕事が多少不便になったり、かき乱されたりしても、我慢して子どもに手伝わせてください。
 幼児でも、例えば、お皿を流しに持って行ったり、テーブルをふいたりするなどの手伝いができます。たいていは、五、六歳までに上手に皿洗いができるようになりますし、したがるようにもなります。踏み台を置いたり、いすにひざをつかせたりしてください。時間をかけるだけの価値のある訓練です。それも比較的、子どもが小さいうちのほうがやらせやすいもの。あとになって習慣づけるのはもっとむずかしくなります。
 ある若い親は、どうしてお宅のお子さんたちはそんなに喜んで料理を手伝うのですかと聞かれて、「子どもたちは、私が台所でやっていることを、いつも遊びだと思って見ていました。まだとても小さい時に、一緒に台所で『ままごと』をしてもいいと言ってやったのです。できることは、トマトの薄切りでもなんでもやらせました。それであの子たちは料理が好きになりました」と言っていました。

 どうでしょう。親の水の向けかた次第で、子どもは手伝いを積極的にするようになるのですね。今からでも遅くありません。お子さんが小学校の2、3年生になっていたとしても、手伝いをさせることは大いに必要だと思います。先々中学受験を視野に入れておられる家庭でも、「勉強さえちゃんとしてくれればよい」といった考えは禁物です。

 なぜなら、勉強は自分のためにすべきものです。親に「勉強させてください」と懇願してチャンスを与えてもらうどころか、「勉強しなさい」と言われてするわけですから、どうしても受け身になりがちです。その結果、勉強から得られる達成感や発見の喜びを味わえない、無味乾燥な勉強の繰り返しに終始することになりがちです。これでは高いレベルの学問を自ら進んで修めていく人間には到底なれないことでしょう。

 いっぽう、手伝いを通して「自分は、家族のために役立っている」という意識をもたせると、子どもは自分自身に自信をもつことができますし、家族の気持ちを汲み取る姿勢も育まれます。それが勉強の積極性にも波及していくことになります。手伝いをさせるということは、結局子ども自身の自律性や行動力の獲得につながっていくのですね。勉強に専念させるよりも、このほうが遥かに子どものためになるのではないでしょうか。

 高学年になって受験勉強に取り組む段階になると、率先して勉強に取り組んでいる子どもと、受け身の気持ちで仕方なく勉強をしている子どもとの学力差がどんどん開いていきます。勉強が高度になって負担が大きくなると、勉強に向かう根底のところの意識の違いが取り組みにはっきりと反映されてくるのです。

 お子さんは今何年生でしょうか。今の学年に似つかわしい手伝いがきっとあるはずです。それをやらせてみましょう。それが契機となり、お子さんのものごとに取り組む姿勢が変わっていくかもしれません。

 なお、次回は手伝いをさせるにあたり、親はどんなことに気をつけたらよいかについて書いてみようと思います。よろしければお読みください。

H,S

 

2016.12.22 手伝いを気持ちよくする子どもにしよう

 前回は、子どもに手伝いをさせることの意義について書きました。手伝いを通して、子どもは「自分が家族の役になっている」という実感を得ることで、自分という存在を肯定的にとらえることができ、それが物事への取り組みを積極的なものにしていくということをお伝えしました。

 今回も引き続き手伝いの話題で、子どもが手伝いを気持ちよくやってくれるようにするために、親はどんなことを心がけたらよいかについて書いてみようと思います。

 いきなりで恐縮ですが、みなさんは家事をしているとき、どんな表情をしておられるでしょうか。唐突で、「いったい何を知りたいの?」といぶかしく思われたかもしれません。親がどんな表情や様子で家事をしているかということが、子どもの手伝う態度に大きな影響を及ぼすからです。

 たとえば、親がいつも不機嫌そうに、いかにも面倒くさそうに家事をしていたなら、子どもは「家の仕事はつまらないものなんだ」「親は家事をイヤイヤやっているんだ」と思ってしまいかねません。そうなると、どんな頼みかたをして手伝いをさせるか」を考える以前に、子どもは手伝いを嫌がることが想像されます。親が暇も見つけては楽しそうに読書をしている家庭では、大概子どもも読書に勤しむようになるという理屈の裏返しです。何につけ子どもは親を観察していますから、その点も注意しておきたいものです。

 ただし、子どもがどう見ているかなど関係なく、親がひたすら家事に負われていたとしたら、これはこれで家事の重要性や親の大変さを肌で感じる経験になり、子どもが手伝いに対して協力的になるということも大いにあり得ることだと思います。

 さて、ここからが今回のテーマに沿った話です。おたくでは、子どもに手伝いをさせておられるでしょうか。そのときにどんな頼みかたをしておられますか?「どんな頼みかたをするかを考えることはありません。『これをしてちょうだい』『これをしなさい』と言えば子どもは嫌がることなくやってくれます」――そんな反応をされるかたもおありでしょう。もしもそうなら素晴らしいですね。親子関係が確かな信頼でつながっているからでしょう。

 ですが、多くの家庭ではそうすんなりとはいきません。なかには嫌がる子どももいます。親がわが子に手伝いをさせるうえで、どんな点に気をつけるべきなのでしょうか。私はその方面に詳しくないので、教育関係者の著書で参考になりそうなものを探してみました。まずはNGの例をご紹介してみましょう。

★望ましくない手伝いの頼みかた <例>
1.「すまないけど、リビングの掃除をしてもらいたいんだけど」という言いかた(この頼みかたは親がお願いをしているというニュアンスが強すぎて、子どもの心理によくない作用をもたらす)
2.「いやじゃなかったら、庭の鉢植えに水をやってもらえないかしら」というような、子どもの反応を気にするような頼みかた(あまり親が引き下がった言いかたをすると、親の自信のなさが子どもに伝わってしまう)
3.「いい子だから、おかあさんのためにごみを収集所に運んできてね」という頼みかた(子どもに取り入るような頼みかたも、子どもに手伝いをさせる意図に反するので望ましくない)
4.お皿洗いを手伝いたい?(このようなもってまわった言いかたは、親の気持ちがストレートに伝わらないし、子どもが嫌だと言ったらそれで終わりになってしまう)
5.「おかあさん疲れているの。洗濯物を取り入れてくれないかしら?」(このような依頼のしかたは、弁解じみていて望ましくない)

 では、どんな頼みかたをするのが望ましいのでしょうか。先ほどのNG集の対案をご紹介してみましょう。

☆望ましい手伝いの頼みかた <例>
1.「リビングの掃除をしてね」(穏やかに淡々と話すほうがよい)
2.「庭の鉢植えに水をやってくれると助かるわ」(下手に出ず、率直に頼みたいことを伝えればよい)
3.「今日はごみの日なの。収集所にもって行ってちょうだい」(必要なことを依頼しているというニュアンスで)
4.「お皿洗い、手伝えるわね」「お皿を洗ってくれたらうれしいわ」(相手に判断を委ねるのではなく、頼みたいことをストレートに言えばよい)
5.「洗濯物を取り入れておいてね」(手伝いに理由をつける必要はない)

 どうでしょう。望ましい手伝いの依頼のしかたの例は、すべて同じニュアンスに
基づいていることに気づかれたでしょうか。要するに、手伝いは特別なことではなく、当然のことを依頼しているのだという態度でよいのです。

 子どもに手伝いを依頼するとき、親の不安やイライラ、怒りなどが伝わるような言いかたをすると、てきめんに子どもに伝わります。「嫌だと言うのではないか」と、親が心配していることが言葉ににじみ出ていると、その気持ちが伝わるのか、子どもは親の心配通りの反応を示すものです。

 最後に。手伝いは当たり前のことなのだという姿勢で臨みつつも、子どもがちゃんと手伝いをしてくれたときには、必ず感謝の気持ちを伝えてやりましょう。手伝いは子どもにとって普通の行いであり、報酬などを当てにするものではありません。しかしながら、家族のためになにがしかのことをして役立ってくれたことへの感謝の気持ちは伝えたいものです。それが、子どもの健全な性格形成にもつながることになります。

 こうしてみると、手伝いをさせることは子どもの心の健全な成長にとっても大いに意義があるということがわかりますね。あなたのご家庭でも、お子さんに手伝いをさせてやりましょう。きっとお子さんの内面の発達によい影響をもたらすことでしょう。

H,S

 

2016.12.28 子育てからこの1年間を振り返る

 今日は12月28日(水)です。気がつけば、今年も余すところあと数日になってしまいました。みなさんにとって、今年はどんな年だったでしょうか。

 このブログは「家庭教育」をテーマにしていますので、子育て的な側面から今年を振り返ってみていただきたいですね。小学生、それも低〜中学年の子どもは、まだまだ行動面で親も気を許すことのできない点が多く、いろいろ大変だったかもしれませんね。

 小学生の子どもは日に日に変わります。そうした成長の様子を見守るのは、親として他の何よりも楽しみなことであろうと思います。ただし、お子さんによってはそろそろ親の言いなりに行動する段階を終えつつあるかもしれません。思わぬところで自己主張をしたり、気に入らないことがあると抵抗したり。それは親にとって嬉しくも辛いことです。そうした局面で「どう対応すべきか」と、いろいろ神経を使わされたり子どもに翻弄されたりすることもあるでしょう。まさに子育ては悲喜こもごもの体験が避けられない、負担の多い仕事と言えるでしょう。

 息子が小学生の頃、私はしばしば親子でサイクリングを楽しんだものです。そんなある日、息子の予期せぬ態度に驚かされたことがあります。かなりの距離を二人で走った後、「おい、帰るぞ!」と言ったら、猛烈に反抗してきたのです。はじめは、なぜ息子が腹を立てているのかわかりませんでした。息子の剣幕にそれまでと違う何かを感じた私は、頭ごなしの言いかたを控え、「どうしたんだ?」と尋ねてみました。

 すると、息子はこう言いました。「おとうさんは、いつも行先を自分で決め、帰る時間も勝手に決めるじゃないか。それって、頭にくるんだ」と言うではありませんか。それをきっかけに、私は息子に関わる事柄については息子の意向を確認し、話し合ってからどうするかを決めるようにしました。

 そう言えば、中学入試の国語の素材文にも似たようなシーンがあったことを思い出します。父親がときどき気まぐれに息子を風呂に連れていって、バリカンで髪の毛を刈り落とし、坊主頭にしていたのですが、ある日息子が目に涙を浮かべて抵抗してきたのです。そのときのセリフを、ぼんやりとですが覚えています。「おとうはよう、そうやって突然オレを捕まえて無理やり坊主頭にしてよ、それで何が面白いんだ!」といったようなことを言っていたと記憶しています。

 不意を突かれた父親は、はじめは何が起こったのか呑み込めませんでしたが、すぐに息子の成長の表れだということを悟りました。そうして、この日をもってバリカンで坊主頭にする親子の儀式?は終わりを遂げたのでした。この父親とは作家の椎名誠さんのことですが、この話が載っているのは「岳(がく)物語」もしくは「続岳物語」だったかと思います。「岳」は、息子さんの名前で、本に書かれていることの大半は実話であることが想像されます。20年以上前、高校の教科書にこの本の一部が掲載されたのをきっかけに、全国の中高一貫校の入学試験の素材文として再三用いられ、ブームのようになったことがあります。

 このような、ささやかな事件をきっかけにわが子の成長を感じる。そんなことがあるものです。みなさんのご家庭でも、おそらくそれに似たようなことが起こっていることでしょう。このような思い出は、そのときにはさほど意識することなく記憶から遠ざかるかもしれませんが、随分時間が経ったとき、何かのきっかけで蘇ってくるものです。そして、子どもの成長の軌跡を物語るエピソードとして貴重なもののように思えてくるのです。みなさんにおかれては、後悔が残らないよう、今、一緒にいる時間を、そして今の親子関係をぜひ大切にしていただきたいと存じます。

 さて、今年最後の記事の終わりに、40年余り小学校の教育現場に立っておられた先生の著作で見つけた言葉をご紹介します。児童期、それも前半までの子どもは、親を見、親のすることを模倣(モデリング)しながら成長していきます。そのことを親は忘れないようにしたいものです。子どもは、いいところもいけないところも親から学ぶのですね。そのことに関して、その先生は次のような言葉を残しておられます。

叱られて育った親は、子供を叱る
責められて育った親は、子供を責める
なぐられて育った親は、子供をなぐる
泣き虫に育った親は、子供を泣き虫にする
ほめられて育った親は、子供をほめる

 子どもは、親がしたように育つと言われます。まさにそのことを指摘した言葉だと思います。わが子を何事にもくじけず、希望を失わずにやり通す人間に育てたいなら、子どもの小さな努力を見逃さず、ほめて励ます親でありたいものです。

 この1年間をそうした観点から振り返り、来年からの子育てに活かしていただきたいと存じます。では、よいお年をお迎えください。

H,S

 




会社概要 | プライバシー・ステートメント | 個人情報保護方針 | お問い合わせ