子どもの才能は生まれつき?
いいえ、家庭の関わりが大きな作用を果たします。


2016.10.07 子どもの知力を育む家庭の会話

 前回に引き続き、今回も家庭の言葉の使用状況と子どもの学力との関係についての話題をお届けしようと思います。

 前回は、子どもが家庭で慣れ親しんだ言葉遣いが、学校という勉強の場で用いられる言葉に近ければ、学力形成に有利であるということについてお伝えしました。正式な学びの場で先生が手本を示し、子どもにも使用を求める言葉は、フォーマルな言い回しを基本とします。つまり、文法に則った正しい言葉遣いにより、意図する情報を丁寧に伝達することが求められます。

 しかしながら、普段の家庭生活ではそういう言葉遣いは必要ありません。話し相手は極めて親しい間柄にあり、互いに伝えたいことをわかり合うための状況を共有しています。しかも、身振りや手ぶり、表情など、副次的なコミュニケーション手段も使用することができます。このような環境で暮らしていると、言葉のみで相手に複雑な事柄を伝える苦労が要らず、簡単なやり取りで自分の思いを伝えることができるでしょう。ですから、ともすれば学校で求められる言葉遣いとは違ったものになりがちです。

 このことからもわかるように、家庭での言葉遣いと学校で求められる言葉遣いとがピタリと一致することはまずありません。一般的な常識から考えても、同じになることはあり得ないことです。しかしながら、両者の差が極端に大きければ、子どもは学校で戸惑うことになりますし、前回お伝えしたように学力形成において不利をかこつことになるでしょう。

 かれこれ40年程前になりますが、イギリスにおいて富裕層の家庭と低所得層の家庭の言葉の使用状況に関する大掛かりな調査が行われたことがあります。富裕な家庭は、代々知的能力を高いレベルで維持し富を継承する傾向が強いのに対し、低所得層の家庭は学力的に低い子どもが圧倒的に多く、いつまでも貧しさから抜け出すことができませんでした。その理由を調べるための調査でした。

 調査の中心になったのは、当時ロンドン大学の教育社会学者だったバーンステイン 教授でした。この調査内容からもわかるように、バーンステイン教授は、問題を解く カギは「家庭の会話」にあるのではないかと推察したのです。

 さて、調査の結果ですが、富裕層と低所得層とでは、あきらかに家庭内の言語使用のルールに大きな隔たりがありました。この言葉の使用状況の違いが、学力を伸ばしやすいか、伸ばしにくいかの差を規定していたのです。このバーンステイン教授の理論は「言語コード論」と呼ばれています。ここでは、その内容を詳しく説明するのではなく、子どもをもつ家庭の参考にしていただける範囲でご紹介してみようと思います。

 言語コードとは、「話し言葉を使うときに働かせる無意識のルール」のようなものとご理解ください。
下の表は、富裕層の家庭と低所得階層の家庭で使用される言葉の特徴を比較したものです。バーンステイン教授は、前者の家庭で主に用いられている言葉のコードを「精密コード」、後者のそれを「限定コード」と名づけました。

 言語コード論は、1980年代の初めごろからわが国で知られるようになったようです。私がよく目を通す教育社会学者の著書にも頻繁に登場していますので、当時相当にインパクトのある学説であったことが想像されます。以下の資料は、日本の教育社会学者の書物から引用したものです(一部を調整しています)。



 精密コードの会話の特色を見てみましょう。会話のセンテンスが長く、使われる語彙が豊富で、重文(主語・述語の関係が二つ以上ある)・複文(述語が二つ以上ある)などの複雑な構文が多く用いられています。また、代名詞で省略した言いかたではなく、その人の名、そのものの名を丁寧に呼ぶ言いかたをしています。また、論理に基づいた話しかたをし、会話に関わる者相互で共有する状況に頼らず、誰がどこで聞いていてもわかる話しかたをしています。

 一方、限定コードの会話は、ぶつ切りの短い言い回しが主体で、語彙も貧しいのが普通です。当然、構文は単文で主語や述語さえ省略されることが多くなります。人の名も「あいつ」「おまえ」「おれ」など、代名詞で呼ぶことが多くなります。論理に基づいた話しかたではなく、そのときの感情から言葉を発することが多く、相手が目の前にいて初めて会話が成り立つ(身振り手ぶり、表情などに依存)言い回しを多用します。

 いかがでしょうか。自分の思いを詳細に相手に伝えることができるのは、明らかに精密コードであることに気づかれると思います。また、学校で先生が使用するのは明らかに精密コードに基づく言葉です。こういった言葉に親しんでいる子どものほうが、勉強で困らないのは自明のことでしょう。

 このブログをお読みくださっているのは、主として玉井式の教室にお子さんを通わせておられる保護者です。つまり教育に熱心な方々ですから、「限定コード」に偏った会話をされていることはまずないでしょう。しかしながら、この調査結果を参考にし、家庭内の会話のありかたを調整されれば、年長児や低学年までの小学生の子どもの学びの状況は今よりもずっと良くなるのではないかと思います。ぜひ、参考にしていただきたいですね。

 今回も、文字数が随分かさんでしまいました。そこでとりあえずここまでとし、次回は親子の言葉遣いの実際の例をあげ、この言語コード論のもたらす意味についてもう少し掘り下げて考えてみようと思います。若干難しい言葉も出てきたため、興味を失ったかたがおられたかも知れません。しかしながら、言葉をいかに身につけ使用するかは、子どものこれからの人生の歩みを決定づける重要な問題です。次回も辛抱してお読みくださると嬉しいです。

H,S

 

2016.10.14 子どもにとって一番の言葉の先生は誰?

 前回は、家庭での言葉遣いが子どもの知的能力の形成にどのように影響するかについて、イギリスの大がかりな調査の結果をもとにご説明しました。

 もう一度確認してみましょう。イギリスの富裕層と低所得層の家庭の親子間に営まれる会話の特徴を調べてみた結果、次のような違いが明確になりました。



 富裕層の家庭の子どもたちは総じて高い学力を有し、いわゆるオックスブリッジなどのハイレベルな大学に数多く進学しています。当時、イギリスの有名な教育社会学者であったバーンステイン氏は、その理由として、家庭内で使用する言葉の違いに着目しました。

 要するに、富裕家庭の会話の特徴は、情緒に流されず、相手を納得させる筋道立てた話しかたをし、第三者が聞いても伝えようとしている内容がよくわかるのに対し、貧困層の家庭では、状況を共有している目の前の相手にしかわからない(第三者にはわかりにくい)しゃべりかたをする傾向が強いようです。具体的には、1文あたりのセンテンスが短く、「それ」「おまえ」「あそこ」などの指示語を多用し、「おい!」「こら!」「うるさい!」などのような感情交じりの言葉を多く用いる、などの傾向があります。これでコミュニケーションが事足りるのは、状況を共有する親しい間柄だからです。

 学校など、改まった言葉が用いられる場、不特定多数に一定の情報を正確に伝える必要のある場で役に立つのはどちらの言葉遣いでしょうか。日常の言葉遣いが学校で要請されるものに近ければ、子どもは戸惑うことがありません。細かで複雑な内容を伝えるのに適した言葉遣いができれば、当然学問の修得においても有利に働くでしょう。つまり富裕層の家庭で用いられる言葉のほうが遥かに学力形成に有利なのです。この調査結果は、私たち日本の家庭にも大いに参考になるのではないでしょうか。

 ここで読書のみなさんに質問です。子どもの言葉遣いは誰に教えられて身につくのでしょうか。言うまでもありませんが、そのほとんどはおかあさんです。そう言われると、「私は、そんな理路整然とした丁寧な話しかたを教えていません」と、ややネガティブな反応を示すおかあさんもおありでしょう。また、「親子でそんなもってまわった丁寧な会話をするなんて変です」と、反発をされるかただっておられるかもしれませんね。

 それは当然です。家族間でかしこまった表現に終始することはほとんどないのが普通ですから。しかしながら、なるべく相手にわかるよう、誤解が生じないように話をしようという姿勢を子どもにもたせることは必要だと思います。また、ごく親しい家族間のコミュニケーションと、外の人に対するときのコミュニケーションで、それぞれ違った話しかたの様式があるということを教えておくことは必要です。さらには、子どもが感情をコントロールし、冷静に自分の気持ちを伝えたり、相手の言うことに耳を傾けたりできるよう、家庭での会話を通して子どもの成長をサポートする必要もあるでしょう。

 具体的な場面で考えてみましょう。おかあさんが忙しく家事をしているとき、子どもが「あのね、今日学校で…」などと話しかけてきたとき、どう対応されているでしょうか。「後でね」と言ったきり、忘れてしまってはいませんか? また、「うるさいから静かにしていなさい!」と、叱ったりしていませんか? 近年、人の話を聞かない子どもが増えているということが取りざたされています(それが学力形成の大きな支障となっています)が、先ほどのような対応は、子どもに「人の話は聞かなくてよい」ということを教えることに他なりません。

 このように、日常生活では親がわが子に対してしつけをしたり、様々な知識を伝授したりする場面があると思います。そういうとき、親がどういう言葉を使っているかは、子どもの話しかたの様式に大きな影響を及ぼすことになります。以下は、長年教育現場で活躍された先生の書物にあった事例です。子どもへの接しかたや言葉遣いの違いに着目してみてください。



 Aのような対応は、ただ命令に従うこと、また、命令に従わなければ厳しく叱られることを子どもに教えるだけです。これでは効果はその場限りに終わってしまうし、子どもに望ましい行動規範や価値観を植えつけることはできません。知的な会話のできる人間に育つことは期待できないと思います。

 いっぽう、Bのような対応は自分の行動のどこがいけないのか、注意を守らないとどうなるのかを、子どもに考えさせることになります。親がこのように接していると、やがて子どもは思慮深く考え、自主的に行動する姿勢をもった人間に成長することができるでしょう。また、自分の思いを丁寧に相手に伝える姿勢も育つのではないでしょうか。

 理屈ではBが望ましいことは誰にでもわかります。しかしながら、親のほとんどは子どもの望ましくない行動を目の当たりにすると、冷静さを失って支配的な態度で子どもに接してしまうことが多いものです。母子という非常に近い関係が、そうさせてしまうのでしょう。しかしながら、だからこそおかあさんは落ち着いて冷静に子どもに説明する必要があるように思います。

 子どもがどう育つかは、毎日の家庭生活の積み重ねで決まります。わけても、会話のスタイルは子どものコミュニケーション能力や知力の発達に多大な影響を及ぼすことになります。まずは、日頃の親子の会話の現状を振り返り、「人の話に耳を傾ける」ことと、「自分の思いを丁寧に相手に伝える」ことを根本に置いた会話生活の実現に向けてがんばってみてはいかがでしょうか。きっとお子さんは変わると思います。

H,S

 

2016.10.21 親は“聞き役”になることも大切?

 前回、子どもが人の話を聞かなくなるのは、おかあさんが忙しいことを理由に、子どもの話を聞いてやらなかったり、子どもの話をさえぎったりするからだといったような趣旨のことを書きました。

 言いがかりをつけられたような気分になられたでしょうか。そう思われるのも無理はありません。おかあさん自身は、「人の話はちゃんと聞きなさい」と、日頃から教えておられると思うからです。しかしながら、このような言い聞かせる言葉よりも、おかあさんが身をもって示しておられる手本のほうが遥かに子どもに大きな影響力を発揮するものです。

 突然話しかけてきたわが子に対し、「今忙しいの。あとでね」と言ったまま、それきり忘れたことはありませんか? また、家事の最中に話しかけられてイライラし、「うるさいわね。静かにしていなさい!」などと子どもの言葉をさえぎったことはありませんか? このようなこと が頻繁に続くと、子どもは「人の話は聞かなくてよいのだ」という手本 を見せられたことになるでしょう。このような体験をした子どもが、 おかあさんの言うことを熱心に聞くようになることはまずありません。

 そういったことが波及し、子どもは学校や塾の授業においても人の話を傾聴しないという事態が生じる可能性は十分にあります。こうした因果関係に気づかないと、「どうしてうちの子は授業をちゃんと聞けないのかしら」と、問題の在り処がわからないまま、対処の方法を見出せないといった事態も生じかねません。学力形成においても、人との交流においても、「人の話に耳を傾ける」ということは最も基本的で重要なことであり、低学年のうちにぜひとも子どもに浸透させておきたいことの一つです。

 子どもは自分の言いたいこと、伝えたいことを親が聞いてくれると大変喜びます。また、気持ちを落ち着かせることができます。それが物事に取り組む意欲につながります。さらには、親から特に指示や命令がなくとも、「おかあさんは、ぼくに何を期待しているのかな?」ということを率先して考え、自発的にやれるようになってきます。

 「宿題ちゃんとやったの?早くやりなさい!」と言われてやるのと、おかあさんとの楽しい会話の後、自分から宿題に取り組み始めるのとでは、子どもの意欲や能動性は随分違ったものになるのは想像に難くありません。子どもの話に耳を傾ける。それは、驚くほど子どもの変化を引き出すことなのです。

 これは随分前に読んだ教育関係の本に紹介されていた話です。

 夫婦で商売をしている家庭がありました。その家庭には男の子が一人いました。両親はともに学がなく、特に教育熱心というわけではありませんでした。また、仕事が忙しくて子どもの勉強の面倒を見るだけの時間もありませんでした。しかし、毎日の生活で子どもに必ずやらせていたルーチンがありました。それは特別なことではありません。学校から帰ったら、親は忙しいなかで時間を設け、10分か15分、その日にあった出来事について子どもに尋ね、報告させました。親は子どもの話を最後までしっかりと聞いてやることだけは怠らなかったそうです。そのあとは宿題をやる時間と決まっていました。宿題をやったら、おやつを食べ、あとは自由に何をしてもよいことにしていました。

 ただそれだけの話です。しかしながら、このような生活の繰り返しのなかで子どもは確かな学習の習慣を築きました。また、宿題を必ずやることで基礎学力がしっかりと定着しました。その結果、男の子は中学、高校と進むにつれて学力を伸ばし、やがてトップランクの国立大学へ進学したそうです。

 このエピソードを、先ほどの「人の話を聞く」ということに絡めて考えてみましょう。男の子は、自分の話をしっかりと聞き届けてくれる親に学び、学校でも授業に集中して耳を傾ける姿勢を培うことができたのです。また、前述のように、自分の話をちゃんと親が聞いてくれること以上に子どもにとってうれしいことはありません。男の子はその日の報告をしながら、「次は宿題をやる時間だ」ということを心にめぐらせ、話を終えたら親が何を言わなくてもサッと机に向かったのです。子どものやる気や行動力を促すために親は何をすべきか、それを端的に教えてくれる話ではないでしょうか。

 とは言え、子どもの話をきちんと最後まで聞いてやるには忍耐が必要です。特に男の子の場合、「えーとね、それでね、……」と、時系列に数珠つなぎの話しかたしかできないため、まとまりのない話が延々と続き、さすがの親もイライラを抑えられなくなりがちです。そういうことが毎日続いたら、親も堪りませんね。

 では、どうしたらよいでしょうか。先ほどのエピソードを思い出してください。1日10分か15分でよいのです。それをできれば毎日続けるのです。「継続は力なり」と言われるように、毎日の繰り返しによる効果はやがててきめんに現れてきます。

 その効果は、毎日の会話があったからこそ引き出されたもので、高学年になってからおいそれと育てられるものではありません。毎日の会話を通じて、子どもは「人の話を聞く姿勢」「人にわかるよう順序立てて話す姿勢」「親子の信頼関係」「親の期待に沿った学習活動の実践」という、すばらしい成果を手に入れることができるのです。

H,S

 

2016.10.28 学ぶ楽しさを体験すると脳が変わる! その1

 子どもの学びにおいて最も大切にすべきことは何でしょうか。小学校の低〜中学年に関して言うと、「勉強の楽しさにふれる経験をたくさんすることだ」と、私は考えています。それは、この時期が子どもの学びに対する向き合いかたや、将来の伸びしろを決定づける、人間形成上の大切な節目にあるからです。どんな学びを経て高学年に至るかで、以後の人生の歩みが大きく変わるのです。

 低学年の子どもは何にでも夢中になります。なぜなら、この年齢期の子どもには“勉強か遊びか”といった区別などそもそもないからです。夢中になるかどうかの分かれ目は、子どもが「おもしろい」「もっと知りたい!」と思うかどうかにあるのです。このような低学年期の子どもの特性を踏まえた指導をすれば、すばらしい成果を引き出すことができるのではないでしょうか。

 低学年児童の勉強というと、ともすれば「勉強をさせる」「学力をつけさせる」といったふうに、大人からの強制という形で行われがちです。

 しかし、大人があてがう勉強の内容をよく吟味しないと、子どもの学びは活性化しません。夢中になって考え、疑問を解決したときに無上の喜びを味わえるような学びの体験ができるよう工夫すべきです。それが子どもの学びに向かう志向性を高め、主体的に勉強に取り組む姿勢を育むからです。長い学びの人生を見通すなら、このほうが子どもにとってはるかに有益でしょう(算数の計算や国語の漢字など、習熟によって力をつける学習も、無論大切ではありますが)。玉井式を導入したのも、そういった私たちの学習塾の考えと玉井先生の考えとが一致していたからです。

 実際、授業で子どもたちの興味を上手に誘導すると、ほとんどの子どもは必死になって考えを巡らせ、課題を解決しようとします。4年生などの中学年でも、おもしろい課題に取り組ませたときなど、ヒントを言われることを拒否し、何が何でも自分で解決しようとする子どもが見られます。

 一つ例をあげてみましょう。だいぶ前、4年生の国語の授業で発展的な課題に取り組ませていたときのことです。やや課題が難しかったようで、ほとんどの子どもが解決の糸口を見いだせないでいました。気がつくと、いつの間にか授業の終了時間が迫っていました。

 そこで、「これは難しいようだね。先生がヒントを出すから・・・・・・」と、手早く切り上げようとしました。すると、「ヒントを言っちゃ、ダメ! 今、わかりかけているんだから!」と、一人の女の子が教室に響き渡るほど大きな声で抗議をしてきました。その口調があまりに真剣だったので、思わず「ゴメン、ゴメン。もうちょっと考えてみようか」と謝ったことを思い出します。

 4年生は、読みの熟達が進み、思考のレベルがどんどん上がっていく時期にあたります。だから、指導をしていてもとても楽しかったことを覚えています。振り返ってみるに、受験のことなど念頭になく、ひたすら子どもたちに文章のおもしろさを味わわせたり、重要な核心部分に気づかせたりすることに没頭したあの頃が、学習塾での仕事で最も生き甲斐の感じられた時期だったように思います。

 このときの4年生の指導が終わって以後、その女の子に出会ったのは、地域で一番の難関として知られる私立の女子一貫校に取材で訪問したときでした。大がかりなイベントの準備のために、中3生全員が集まっていたのですが(その日、私はこの学年集会の様子を撮影させていただくために訪問していました)、そこで議事進行役を務めていたのが彼女でした。

 まさか彼女に出会おうとは思いもしていなかったので、「えっ!?」と驚きました。4年生当時の彼女の成績はごく普通であり、この私学へ進学しているとは想像もしていなかったからです。私を見つけた彼女は、かつて同じクラスにいた仲間数名とともに、すぐさま駆け寄ってくれました。こんなときはうれしいものです。「4年生のときに1年間一緒だっただけなのに、よく覚えていてくれたね」と言うと、「そんな…、ちゃんと覚えているよ!」と切り返し、私をさらに喜ばせてくれました。

 そして、その後数年経ったとき、偶然かつてのクラスメートだった学生から、彼女が東京大学へ進学していることを知りました。あの無邪気な4年生の頃、いつも楽しそうに授業を受けてくれていた彼女の輝くような笑顔を思い出し、「勉強を心から楽しむ姿勢があったからこそ、彼女はあんなにも成長したんだろうな」と、感心することしきりでした。

 考えることを、心から楽しみ、自分で解決しようと必死になって取り組む。このような学習を繰り返し体験した人間は、人に言われてするのではなく、向上を求めて自ら学び続けます。この姿勢が備わっていたからこそ、彼女はどんどん学力を伸ばしていったのでしょう。

 これをお読みの保護者のみなさんへ。小学生の頃、子どもにそういう体験をタップリとさせてやりませんか? そうすれば、ただ単に学力優秀な人間になれるだけでなく、生涯失うことのない自律的学びの姿勢を携えた人間に成長できるでしょう。人に指示されたり、命令されたりしないと行動できない人間ではなく、自ら考え、自ら行動する人間になる。そのことは子どもの人生にとって大変な価値ではないでしょうか。

 子どもが小学校低学年の今なら、この先どのようにでも変われる可能性があります。ですから、学びの楽しさを享受し、自ら積極的に勉強に取り組む姿勢が育つよう子どもに働きかけてやりたいものです。玉井式の教室においても、きっと先生は学ぶことの楽しさを少しでも味わえるよう子どもたちの指導にあたっています。これに連動して、ぜひご家庭でも同じような観点に立ってお子さんの勉強をバックアップしてあげてください。

 なお、子どもの家庭学習への望ましい関わりについて、よくわからないかたもおありでしょうか。次回以降、機会を見て少しずつそういった点に関わる話題を取り上げ、ご提案してみようと思います。よろしくお願いいたします。

H,S

 




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