子どもの才能は生まれつき?
いいえ、家庭の関わりが大きな作用を果たします。


2016.8.5 子どもがかわいそうになるとき

 私は若いころテニスを趣味にしていました。長いブランクがありましたが、数年前にかつてのテニス仲間に声をかけてもらったのをきっかけに、再びテニスに興じるようになりました。

 いざやるとなると、何でも熱中するタイプの人間です。体力は下り坂で、スポーツなど今更の年齢になったというのに、テニススクールに通ったり、テニス雑誌に目を通したりするなど、テニスが生活の中に占めるウェートが衰えるどころかどんどん増しています。

 無論、今回の話題はテニスのことではありません。あるテニス雑誌の記事を読んでいたら、「これは、学習塾の指導担当者が感じていることとまるで同じではないか」と驚くことがありました。今回は、そのことについて書いてみようと思います。

 その記事というのは、ジュニア育成で有名なテニススクールのコーチが書いておられたものです。私がその記事のなかで注目したのは、「子どもがかわいそうになるとき」というコーナーでした。すでに察しのついたかたもおられるかもしれませんが、親のわが子への対応の様子に対する感想です。まずは、その内容をご紹介してみましょう(一部割愛しています)。

●子どもをもっと褒めてほしい(怒る親が多すぎる)
●試合内容を勝敗だけで、感情論的に評価しないでほしい。
●勝ったら褒めて、負けたら怒るはNG。特に低年齢には勝敗よりも楽しかったか、日頃のプレーができたかを聞いてほしい。
●家族内で意見が食い違い過ぎて、結果子どもが犠牲になっている。
●2時間のレッスンをず〜っと見ている。そういう子どもほど心が弱い。きっと家でもそんな感じなのかな…と思ってしまう。
●試合後のネガティブなダメ出し。
●試合に負けるとすぐに「テニスをやめさせる」とか言う。
●負けた試合の帰り、車中が地獄(後日、子ども談)
●子どもに、お金がないとしょっちゅう言っている。
●親に信念がないせいか、スクールを転々とし、子どもはその度に違うことを言われ、混乱してしまい、一番の犠牲者になっている。
●親がテニスのアドバイスをして、それを実行しないと試合後メチャクチャ怒られる。

 どうでしょう。シチュエーションをテニス教室から学習塾での勉強に置き換えても、見事に当てはまることがたくさん指摘されているように思います。テニス教室であれ、学習塾であれ、わが子に対する愛情や期待があるから通わせているのは間違いありません。ですが、親というのはどうしてこんなふうに振る舞ってしまうのでしょうね。

 「子どもは褒めて伸ばすべし」ということは、大概の親は心得ているはずです。ですが、現実にはそれができないケースがなんと多いことか。「結果よりも、がんばりを見て褒めてやろう」と思った矢先、テスト結果を見て真逆の対応をしてしまう。残念ながら、そんな保護者がたくさんおられます。

 勉強にせよスポーツにせよ、その世界に入った当初は子どもにその楽しさに触れさせる体験をさせることが大切です。それが長続きさせるコツであり、ひいては大成につながる からです。ところが、親はすぐ結果を求めがちであり、ついつい、叱ったり、 感情的な言葉を子どもにぶつけたりしてしまいがちです。その結果、力を 伸ばすことができないばかりか、“やる気”や“自信”など、人生を前向き に生きていくうえで欠かせないものを子どもから奪ってしまうことになり がちです。

 何につけ習い事にはお金がかかります。親の負担は少なくありません。普段はそういうことを子どもに言わない親も、子どものがんばりが見られなかったり、上達することに無頓着に見えたりすると、何かのきっかけで堪忍袋の緒が切れたようにお金の話をし、子どもの気持ちを揺さぶる保護者がおられます。学習塾でも、受験が近づく高学年になると「こんな成績なら受験をしても意味がないし、お金の無駄だから塾なんてやめてしまいなさい!」といったようなことおっしゃるケースが結構あるようです。

 確かに受験するには相当の経費がかかりますが、子どもの成績が悪いときにその話をもち出すのはどうでしょう。子どもは発奮するでしょうか。むしろ逆効果で、子どもはますますやる気をしぼませてしまうことでしょう。それどころか、親への尊敬や信頼の気持ちまで失わせてしまいかねません。

 子どもが成果を得られないとき、親には「別のところに通わせてみたらどうか」という気持ちが働くことがあります。なかには学習塾をいくつも渡り歩く子どもがいます。だいぶ前になりますが、新年度の開講日に、ある子どもが隣の席の子どもにこんなことを言っていました。「きみとは、○○塾で一緒になり、○○塾でも一緒になり、ここでもまた一緒になったね。きみとは、よく一緒になるね」 なんと、この二人は行く先々の塾で顔を合わせているようでした。親の気持ちはわかりますが、こういう子どもが成績のよいケースはほとんどありません。

 以上、私の感想をいろいろ書きましたが、決して親をとがめているわけではありません。むしろ「親って辛いよね」と、同調する気持ちのほうが強いくらいです(私自身にも親としての苦い経験があります)。思い通りにならないわが子を見ると、親はなぜかこういう振る舞いをしてしまうのです。溢れるほどの愛情や期待があるからこそ、わが子の現実を受け入れられなくなってしまうのでしょう。ですが、子どもは親とは別の人格をもった人間です。親がコントロールしようとすればするほど、子どもの気持ちは親から遠のいていくことでしょう。

 私は学習塾で保護者にお話しする機会があると、「受験の見守りと応援は、親にとっては我慢と、忍耐と、辛抱の連続です。最後までわが子への期待をあきらめずにサポートしてあげてください。それが子どもの心をいつか奮い立たせるときがやってきます。そのときが来るのを信じましょう。決して親が先にあきらめてはいけません」と申し上げています。

 どんな状況でも自分を信じ、最後まで応援してくれる存在。子どもにとって、それは親や家族しかありません。思い通りにならないときは、一緒に悔しがり、「どうしてうまくいかなかったのかな?」と優しく問いかけてやりましょう。そんな親の姿勢が子どもを動かさないはずがありません。きっとお子さんは、「親の期待通りの人間になりたい」と心から思い、やる気を少しずつ行動に転化させていくことでしょう。

H,S

 

2016.8.12 子どもの学習意欲を支えるのはなに?

 小学生のおかあさんとお話しする機会があると、しばしば子どもの“やる気”についての話題になります。こう切り出すと、この後の展開についておおよそ察知されるかもしれませんね。そう、「わが子にやる気が見られない」「どうしたらもっとやる気になりますか」といった具合です。

 以前資料をもとにお伝えしたことがあったと思いますが、日本のおかあさんは期待が大き過ぎるせいか、何につけ子どもの現状を不満に思う傾向が強いようです。「やる気が足りない」という受け止めかたも、親としての大きな期待の裏返しなのでしょう。

 無論、子どもが意欲的に勉強に取り組んでくれれば、親としてうれしいに決まっています。また、ものごとに意欲的に取り組むことは、とりもなおさず子ども自身の能力拡充や今後の一層の成長につながります。ですから、私たち学習塾の関係者も、子どもの学習意欲を高める方法について、「よい情報はないか」と様々な専門書に目を通したり、自分の経験で知り得たことを思い起こしたりし、その都度保護者に情報をお伝えしてきました。

今回は、保護者にも学習塾関係者にも基礎知識として大いに役立つと確信する専門家の資料をご紹介してみようと思います。

 あるとき、大学の心理学教室で学習意欲について研究しておられる先生の書物に目を通していたら、とても興味深い調査結果を示すグラフが目に留まりました。それが、以下にご紹介する資料です。この資料は、子どもの学習意欲の源となる主要な要素をいくつか提示し、それらの相対的な強さの関係が年齢とともにどのように変化していくのかを調べたものでした。では、ちょっと目を通してみてください。



 これによると、子どもの学習意欲の源となる主要な要素は4種類ありますが、それらの強さは常に一定の傾向を示すのではなく、子どもの加齢とともに内面が成熟していくことで相対的に変わっています。4つの要素がどういうものかを、ご説明してみましょう。

A〔賞罰による学習意欲〕 ほめられる、叱られる、褒美をもらう、罰を与えられることによって高まる学習意欲です。この要素は、小1・小2の時期がいちばん影響力をもちます。これは、全面的に大人(親)に依存して暮らす年齢期だからこその特徴でしょう。子どもの年齢が上がるとともに影響力は衰えていきます。「ほめられる」「褒美をもらう」と、「叱られる」「罰を受ける」とでは、同じように子どものやる気を引き出すにしても、気持ちの方向性に随分違いがあり、すべてがプラスに 作用するわけではありません。ですから、親はこれらを適用することの是非をよく検討する必要があるでしょう。そのあたりの詳しい点については次回ご説明しようと思います。

B〔期待に支えられた学習意欲〕 「大人(主に親)の期待に応えよう」という気持ちが引き出す学習意欲です。小3頃から思春期に入る中2前後まで、学習意欲のいちばんの源になっています。これも親の影響力が強い年齢期ならではの現象です。同じように「親に認めてもらいたい」という気持ちが背景にあるものの、Aの要素は子どもの感情が意欲の原動力となるのに対し、Bの要素は親の浸透させた価値観が意欲の原動力になります。したがって、子どもの成長に伴い、Bのほうが影響力を高めるのは必然的流れだと言えるでしょう。この時期の親に必要な判断は、「何を期待として示すか」です。それが子どもの成長を左右するポイントになります。(例:「成績」を期待するか、「努力」を期待するか)

C〔内発的学習意欲〕 物事への興味・関心に基づく学習意欲です。「知りたい」「解き明かしたい」という探究心によって高まる学習意欲であり、人間が健全に知的能力を高めていくうえで最も望ましいものだと言われています。小学校6年間において、常に学習意欲の重要な要素として働きます。ただし、中学生になると影響力が下がっていきます。これはどういうことでしょう。大人になってからも、知的好奇心を失うどころか、ますます物事への興味や関心を高める人だってたくさんいます。 これには理由があります。一見、内発的学習意欲は大人に近づくとともに下がっていくように見えます。しかし、実際はそうではありません。この点について は、次回以降に詳しくご説明します。ともあれ、この学習意欲の要素は今も、 これからもとても大切にすべきものであることは間違いありません。

D〔自己目標実現のための学習意欲〕 目標達成への願望が源となる学習意欲の要素です。この要素は、小学校の低〜中学年においてはほとんど学習意欲を高める要素になりません。その理由はおわかりでしょうか。小学生までの子どもは、人生経験がまだ浅いうえ、社会がどのようにして成り立っているのかについて知識も興味もありません。ですから、目標を定めるにしても、身近なことにまつわる動機以外には目標が成り立ちにくいと言えるでしょう。中学受験準備のための勉強をしている高学年の児童にしても、先々の人生を見通したうえでの受験動機はあまりありません。ですから、親から見ると目標意識が希薄なように見えてしまいます。「もっと、目標めざしてがんばれないのか」と叱る保護者もおられますが、子どもの内面の発達の流れから言って、仕方のないことだと言えるでしょう。

 子どもたち個々の学習意欲はそれぞれに違っています。どのお子さんについても絶対値が同じなどと言うことはありません。ですから、上記資料のタイトルは「学習意欲の強さの相対的変化」となっています。

 このブログの読者は、主として年長児〜小学校中学年前後までの保護者であろうと思います。そこで次回は、この年齢期の子どもの学習意欲と関わりの深い、Aの要素についてもう少し詳しく考察してみようと思います。よろしければ読んでみてください。

H,S

 

2016.8.19 「賞罰」は学習意欲にどんな影響を及ぼすか

 前回は、子どもの学習意欲は何によって高まるのかを話題にとりあげました。また、学習意欲を支える要素には4つあり、それぞれの強さの度合いは年齢とともにかなり大きく変化するということを、大学の先生の研究資料をもとにしてお伝えしました。

 今回は、小学校低学年期の学習意欲と深く関わっている要素をとりあげ、それらを活性化するために、親はどんなことを知っておくべきか、わが子にどう関わっていくべきかを共に考えてみようと思います。
 では、前回ご紹介した資料をもう一度チェックしてみましょう。



 Aの「賞罰による学習意欲」の推移を見てみましょう。この学習意欲の要素は、小学1年生から3年生の初めごろにかけていちばんの意欲を支える要素となっています。親の存在が絶対的であり、日常生活の全てを親に頼っている年齢期ですから、当然と言えば当然のことだと思います。

 前回ご紹介したように、賞罰と一口に言っても、「ほめる」「叱る」「褒美を与える」「罰を与える」など、いろいろな方法があります。そのなかで効果が高いように思われるのは、「ほめられる」と「褒美をもらえる」ということではないでしょうか。子どもが歓迎し、喜んで受け入れそうな方法だからです。

 両者のうち、どちらの方法が望ましいかについては、おおかたの保護者の見解は一致するのではないかと思います。「褒美を与えてがんばらせる」という方法を何度も使うと、子どもは褒美を当てにするようになり、「褒美をもらえないのならやらない」といったようになりかねません。ですから、「褒美で子どもを釣るのは教育上好ましくない」と考える人が多いようです。

 褒美について考えさせられた話があります。随分前、6年生の受験指導の現場にいたときのことです。休憩時間に担当クラスの男の子が、「『成績優秀者にランクされたら5千円やろう』って、おかあさんに言われたんです」と思いがけないことを私に報告してきました。しかし、彼は何となく浮かない顔をしています。「それで、どうなったの?」と聞くと、「いくらがんばっても、成績優秀者になれません。きっと、『どうせ無理』と思っているから、あんなこと言ったんだと思います」と語りました。そのときの彼の自嘲気味の苦笑いが、なぜだか今も記憶に残っています。

 おかあさんとしては、成績に進境が見られない状況に堪りかね、奮起を促そうとあんなことをおっしゃったのでしょう。しかし、おかあさんの作戦は逆効果になってしまいました。彼の成績は最後まで低迷したままで、入試においても志望校合格の夢は叶いませんでした。今思うと、賞罰がなぜ年齢とともに効果を失うかがわかるような話です。子どもに知恵がつくと、親の意図の裏を読んだりするようになってしまいます。その結果、却ってやる気を失わせてしまうことになりかねません。お金をちらつかせてがんばらせようとする親に対して、「尊敬できない」と思うようになる恐れもあるでしょう。

 では、ご褒美作戦はすべてダメなのでしょうか。一概にそうとは言えません。私が、「こんなのならいいんじゃないか」と思ったエピソードがあります。優秀な入試結果を得た受験生のおかあさんからお聞きした話です。ただし、この事例は賞罰の範疇に入れるべきものかどうか迷うのですが、「どれに近いか」となると、「やっぱり賞罰かな」と思います。

 6年生の秋になると受験勉強も佳境に入ります。大概の受験生は、塾のある日は授業後も質問や補習で残るようになり、帰宅が遅くなりがちです。そこでそのおかあさんの家庭では、お子さんが帰宅すると「今日もごくろうさま」の言葉とともに、おかあさんお手製のフルーツジュースで慰労されたのだそうです。この話をご紹介くださったおかあさんの表情も清々しいものでしたが、「親の愛情のこもったジュースで、お子さんは随分元気づけられたことだろう」と感じ入ったことを記憶しています。

 こうしてみると、子どもへの愛情が伝わるものなら、賞罰のネガティブな側面がなくなり、子どもが何歳になろうと効果を発揮するのです。どうでしょう。わが子が「がんばっているな」と思ったとき、週末の晩御飯のメニューに、子どもの大好きな一品を加える。こんなのもよさ そうですね。子どもが、「わっ」と喜びの声を上げる様子を見ながら、おかあさんは何も言わずほほえむ。そんなことが何度かあると、子どもはおかあさんの気持ちを汲み取るでしょう。親子の意思疎通は確実に強化されていくのではないでしょうか。

 賞罰の効果は小学校中学年頃から失われはじめ、6年生になるころには影響力がすっかりなくなってしまいます。しかしながら、親から子への上から目線の「賞罰」ではなく、親がわが子を大切に思う気持ちの表れとして表現されたものであれば、子どもは何歳になってもうれしいし、親への感謝の気持ちをやる気に転化させていくのではないかと思います。また、子どもがそれを当てにするかどうかということも、さしたる問題にはならないと思います。

 今、みなさんのお子さんは「賞罰」が一番効果を得る年齢期であろうと思います。親の愛情を背景とした上手なアプローチを工夫してみてください。単にお子さんはやる気を高めるだけでなく、親子の信頼関係をより密にすることにもなるのではないでしょうか。

H,S

 

2016.8.26 子どもの学習意欲は親しだい!?

 長い夏休みも、いつの間にか終わろうとしています。今年の夏休みはいかがでしたか? お子さんと一緒に振り返ってみてください。反省あり、収穫ありの報告をされたなら、きっとお子さんはこの夏休みを確かな成長の場にされていると思います。えっ、夏休みの宿題に追われてそれどころじゃない? このブログをお読みの保護者のご家庭が、そんな状態でありませんように…。

 前々回から、子どもの学習意欲に関する話題をとりあげています。教育心理学者によると、子どもの学習意欲を支える要素は4つあります。それらの強さは年齢とともに相対的に変化していきます。前回は、低学年期の子どもの学習意欲に最も大きな作用を果たす「賞罰」をとりあげ、親はそれをどのように活かしたらよいかを共に考えていただきました。

 「賞罰」の影響力が次第に弱まるのと相前後して、学習意欲に大きな影響を及ぼすようになるのが「親の期待に支えられた学習意欲」です。この学習意欲の要素は、小学校中学年から思春期までの期間において、子どもの学業面に絶大な影響力を発揮します。今回はそれを話題にとりあげ、その性質や特徴について掘り下げて検討してみようと思います。

 「親の期待に支えられた学習意欲」は、引用した資料には「規範意識に基づく学習意欲」と書かれていました。ここで言う規範とは、主として親が子育てを通じて浸透させたもので、「どうすべきか」についての基準を意味します。ですから、「親の期待に沿った人間でありたい」「親の望むように行動しよう」という気持ちを背景にした学習意欲だと解釈できるでしょう。したがって、どなたにもわかり易い表現をと考え、このブログでは「親の期待に支えられた学習意欲」という呼称にしました。

 思春期が訪れると、子どもは親から心理的に独立して、自分自身の価値観に基づいて行動するようになります。その意味において、「子育て」は思春期の訪れをもって一応は終了するのだと言ってよいでしょう。逆に見ると、思春期を迎えるまでは親に様々な面で依存しており、親の影響力が非常に強いわけです。子どもが身につけていく常識や様々な判断基準は、そのほとんどを親から仕入れていると言っても過言ではありません。

 したがって、思春期を迎える前までの子どもは、前述のように「親の期待通りの人間でありたい」「親が期待するよう行動しよう」という気持ちを大変強くもっています。それが学習意欲を高めるうえでも大きな作用を果たしているのですね。親は、こうした児童期の子どもの心理や行動を踏まえ、子どもに差し出す期待が人間形成上望ましいものかどうかをよく吟味する必要があるでしょう。それによって、子どもの成長の流れも随分違ったものになる可能性があるからです。

 端的な例をあげてみましょう。中学受験のために子どもを学習塾に通わせると、親としては、何はさておいても成績が気になるものです。しかしながら、親が成績を見るたびに一喜一憂すると、子どもは次第に「成績さえよければ親は喜ぶんだ」と悟ってしまいます。まして、成績が落ち込んだとき、「なんて頭が悪いんだ」などと叱ったなら、「親が期待しているのは成績だけなんだ」と思うようになり、親に対する尊敬や信頼の気持ちを喪失してしまいかねません。また、親が成績本位の姿勢でいると、子どもはズルをしてでもよい成績をとろうとし始めるかもしれません。

 いっぽう、親が子どもに努力することを期待し、たとえ成績が悪くても、「成績はもうちょっとだったけど、よくがんばっていたよね。今に成績もあがると思うよ」などと励ましたならどうでしょう。おそらく子どもは、以前に増して発奮するのではないでしょうか。児童期までの 子どもは、「がんばっている自分を認めて評価してもらいたい」と強く願っています。親はこの願いに応えてやるべきであり、それが何よりも子どもを奮い立たせるのです。

 「努力を求めても、子どもはがんばりません。どうしたらよいのですか?」という疑問をもたれるかたもおありかもしれません。もしもこのような状態であったとしたら、親が期待している価値観が子どもに行動規範として浸透していないと見るべきでしょう。

 その場合、勉強だけを視野に入れるのではなく、子どもの生活全般に目を行き届かせ、子どもの好きなことも含めて取り組みの様子を見守ってみてください。きっと、努力していることがあるはずです。子どものその小さな努力を拾い上げ、それを言葉にして伝えてやるのです。「〇〇をよくやっているね」とフィードバックしてやるのです。そういうことの繰り返しを通して、親は勉強だけでなく、何でも努力すれば認めてくれるのだということを再認識することができます。そこから親子の信頼関係を巻き返していけば、勉強だってがんばるようになるに相違ありません。

 ただし、これには忍耐が必要です。「勉強しなさい!」の言葉に食傷し、不感症のようになっている子どもを変えるのは容易ではありません。しかし、もしもそのような状態になっている家庭があるなら、その忍耐を発揮すべきは今だと確信をもって言えます。このまま子どもが思春期になってしまうと、親の言うことには全く耳を貸さなくなってしまいますから。

 繰り返しになりますが、今回話題にしている「親の期待に支えられた学習意欲」が大きな効力を発揮する時期は、ちょうど子どもの人格が形づくられていく時期と符合します。そのことに鑑みるなら、わが子にどういう人間に成長してほしいかということと、わが子に差し出す期待とが、方向性において一致していることが何よりも大切だということに気づかされます。

 もしも親の側に修正の必要を感じられたなら、今なら遅くありません。前述のように、子どもの生活の全域に目を向け、“努力”を基準にした価値観を浸透させていきましょう。

H,S

 




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