子どもの才能は生まれつき?
いいえ、家庭の関わりが大きな作用を果たします。


2016.1.8 記憶に残るのは音読?それとも黙読? その1

 あけましておめでとうございます。今年も、玉井式を通して子どもたちの知育に貢献したいという願いを込め、保護者の方々に役立てていただける情報を発信してまいりたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 学習活動の土台となるのは“読む”という行為です。教科書や本を読む際には、文字列を声に出して読む“音読”と、目で文字列をトレースしていく“黙読”という、二つの方法がありますが、お子さんは家庭で勉強するときにどちらの読みかたをされているでしょうか。

 ただし、文字を正式に学び始めたばかりの段階ではまだ黙読はできません。一般に、黙読ができるようになるのは2年生の前半ごろだと言われます。ですから1年生の場合、まだ音読しかできないお子さんも多数おられるでしょう。今回お伝えする情報は、音読も黙読もできる段階に至った小学校3年生ぐらいまでのお子さんを想定した話としてご理解ください。

 文章を読むときに声に出して読む「音読」か、目で文章を追って読む「黙読」かでは、どのような違いがあるでしょうか。たとえば、文章の理解や記憶などの点において音読と黙読ではどちらが有利かわかれば、家庭での勉強に役立てることができるでしょう。このことに関しては、次のよう研究結果が専門家から報告されています。

音読と黙読の効果


 上記は、読んだ内容の記憶を比較した結果、音読のほうが効果の得られた研究の数と、黙読のほうが効果の得られた研究の数を比較したものです。調査学年に1年生がないのは、前述のように1年生の段階ではまだ黙読ができないからだと思われます。

 調査の結果を見ると、小学校の2〜4年生では、どちらかというと音読の方が有効であるということがわかります。音読したほうが多く記憶している子どもと、音読と黙読の差がほとんど見られなかった子どもの比率はほぼ同じでした。黙読したほうが多く記憶していた子どもは少ないようです。また、上記資料で分かるように、高学年以降になると音読と黙読の差はほとんどなくなります。

 では、低〜中学年までの子どもの場合、なぜ音読のほうが記憶に残り易いのでしょうか。目でとらえた活字のつながりを声に出せば、自分が今まで知っていた音声の言葉(話し言葉)と照合することができます。特に1年生の場合、声に出すことで初めて文章に書かれている言葉が何を伝えているかを理解できます。だから、話し言葉に一度変換する音読のほうがわかり易いし記憶に残され易いのです。また、この音読を通じて活字の言葉と音声の言葉の連絡網がつくられていくわけですから、音読は低学年児童にとって必須の学習だと言えるでしょう。

 以上からおわかりいただけると思いますが、文字を習いたての低学年のうちは、声に出して音声の言葉に照らしながら覚えるほうが記憶に残り易いのは当然だと思います。それを繰り返しているうちに、目でとらえた文字列の区切り目を瞬時に判断し、書かれていることの意味を理解する流れが完成されていきます。その意味においても、低学年のうちは音読を起点にした勉強スタイルを継続することが大切ではないでしょうか。

 近年は音読による学習が軽視される傾向にあります。また、声に出して読む作業を面倒がるお子さんも少なくありません。保護者におかれては、前述のような音読の効能をご理解いただき、積極的にお子さんが音読を励行するよう促していただければ幸いです。

H,S

 

2016.1.15 記憶に残るのは音読?それとも黙読? その2

 前回は、「音読と黙読とでは、どちらが著述内容の理解や記憶を促進するか」をテーマに掲げてみました。学者による研究を参考にすると、低学年児童には音読のほうがよいということがわかりました。

 ただし、音読から黙読へ移行していくのは、子どもの成長にとって自然な流れであり欠かせないことです。大人になると、日常で音読する人などほとんどいません。それは、黙読のほうがはるかに情報処理のうえで効率的だからです。

 そこで、今回は「黙読とはどういうことか」を理屈のうえで明らかにしておこうと思います。みなさんは、音読と黙読とでは、脳内の信号のやり取りにどんな違いがあると思いますか? あまり専門的な話をしてもわかりづらいでしょうから、なるべく簡単にお伝えできたらと思います。

 音読は文字に対応した音を声に出す作業です。それを繰り返していると、やがて音読という作業が迅速に行われるようになり、また、活字のまとまりを瞬時に見分けられるようになっていきます。それに応じて、文字の音を脳内でイメージできるようになっていきます。妥当でないかもしれませんが、「心のなかで読む」「脳内で音を確かめる」と言ったらよいでしょうか。それによって、声に出さなくても著述内容の意味を理解できるようになっていきます。これが黙読です。

 1年生の子どもたちに国語の課題を与えて取り組ませると、ぶつぶつ小さな声が聞こえてくることがよくあります。そう、音声として聞こえるか聞こえないかの小さな声を発して読んでいるのです。これは、ちょうど黙読への過渡期にあることを裏付ける様子ではないでしょうか。

 「うちの子は1年生だけど、もう黙読していますよ」とおっしゃるおかあさんがおられますが、声に出さないことが、しっかり黙読ができていることの裏付けにはなりません。できれば音読をさせてください。というのは、音読をさせたらスムーズに読めているかどうかが親にもわかります。声に出さずに読めているからと安心していると、実は飛ばし読みをしたりでたらめな読みかたをしたりしている場合もあります。読解力で躓いているお子さんを調べてみると、音読から黙読へのステップに問題を抱えていたケースが少なくありません。


 黙読は、音声というバイアスがはずされますから、読みの負担がずいぶん軽減されますし、何よりも読みがスピードアップします。つまり、読むという作業が快適にできるようになります。この段階に至った子どもは、自然と活字が繰り広げる世界に惹かれ、読書にいそしむようになっていきます。それは、だいたい2年生の半ばから3年生ごろのことでしょうか。今、おたくのお子さんの読書活動はいかがでしょうか。自分から本を読みたがるようなら順調ですね。反対に、本を読みたがらないようでしたら、まだ黙読の態勢が整っていない可能性があります。

 読んだ内容の記憶に関しては、随分前にアメリカの大学で大がかりな研究が行われています。これはおそらく大学生を対象とした実験であろうと思いますが、単語を音読して覚えるのと、黙読によって覚えるのとでは、どちらが多く覚えているかを調査したものです。結果は、音読の方が34パーセントも多く覚えていたという報告があります。

 また、筆者が外国語の同時通訳者として活躍されているかたから、メールのやりとりで教えていただいた話ですが、声に出して読む学習は、外国では大変重要視されており、週あたり何時間も音読が採り入れられているそうです。その同時通訳者の方自身、「毎朝、新聞は音読します。外国の要人との話において、新聞ネタは大いに必要なものですが、音読した方が頭により多くの情報が残ります」とおっしゃっていました。

 以上から、音読は黙読よりも読んだ内容の記憶と理解に有効であると言えるでしょう。視覚と聴覚との両方を通じて脳に記憶をさせるのですから、当然といえば当然かも知れません。家庭で「できたかな?プリント」に取り組むときや、学校の宿題に取り組むときには、課題の文をしっかりと大きな声で読む習慣をつけましょう。そのほうが課題の意味をよく理解できるし、取り組みに活力が生まれてきます。声に出すということは、元気を生み出す行為なのです。

 ただし、音読をするときに気をつけるべきことがあります。間違えずに読むことだけに集中力が奪われると、内容を理解・記憶する力は相対的に下がっていきます。「声に出して読む→内容を心に留める」といった流れを大切にして音読に励みたいものですね。

 「うちの子に音読をさせてみようと思うけれど、どんな素材を与えたらよいかがわからない」――このように思案されているかたはおられませんか? 

 学校の教科書、児童向け図書、玉井式の長文など、年齢やお子さんの状態に即したものなら何でも構いません。以前お伝えしましたが、難しい文章を無理に読ませるよりも、お子さんが楽しく興味をもって読むのでなければ、活字で描かれた世界をイメージすることはできません。そのあたりの配慮をしっかりされていれば、どんな本、どんな文章でも音読の効果は得られます。

 何につけ言えることですが、「継続は力なり」です。一般的に、音読は3か月ぐらい続けると効果を実感できると言います。おたくでも実行してみませんか?

H,S

 

2016.1.22 玉井式で成果をあげるための条件

 これはなにも玉井式の教室に通っているお子さんだけに当てはまる話ではありません。学習塾に通って十分な成果をあげるにはどうしたらよいか、子どもの学力を伸ばすためにはどんな勉強をしたらよいかという話です。

 「玉井式国語的算数教室」は、いずれの学年も週1日の通学を原則としています。低学年児童はまだ家庭と学校を軸とした生活を安定させるべき段階ですから、これ以上の負担は望ましくありません。そこで今回話題にするのは、「週1回の通学で、いかにして成果をあげるか」ということです。

 週1回学習塾に通って勉強すれば、その学習塾のプログラムに組み入れられている学習内容がどの子どもにも身につくのでしょうか。通学日の学習時間はせいぜい1〜2時間です。それで看板通りの成果が得られるなら、その学習塾の人気は留まることを知らぬほど高まることでしょう。授業はどのクラスも定員いっぱいで、押すな押すなの大繁盛は間違いありません。

 そう、ことはそう簡単ではないのです。学習塾は、週1回の指導という条件下で、「いかにして子どもたちに成果を保障するか」を考え、工夫を凝らしながら授業を行っています。しかしながら、与えられた時間内に消化できる学習は限られています。塾での取り組みによって一定の成果は得られますが、残念ながらそれだけで見違えるほどの変化が生じることは期待できません。

 では、どうすれば塾への週1回の通学が生きてくるのでしょうか。それは、塾での学習を起点にして、家庭学習に連動させていく流れを築くことに尽きるでしょう。つまり、勉強というものは毎日の継続によって脳のなかに変化を起こしていく作業なのです。勉強は、繰り返されることで学習内容に適合した脳が少しずつ形成されていきます。学んだ内容を長期記憶として残すには、記憶を司る海馬と言われる脳内器官が「重要な情報だ」と認識する必要があります。

 では、海馬が重要な情報と認識するうえで決め手になるのはどんなことでしょうか。一つには、子どもの気持ちがわくわくするような学習を体験することです。すると、海馬の脳細胞が「この情報は重要だ」と認識し、記憶のふるいに残すよう指令を発します。こうした効果が生まれるよう、玉井式の導入塾ではその日の単元の学習を通じて、「今日は面白かった!!」「ちょっと難しかったけど、がんばったらできるようになった!」という楽しさや充実感の伴う体験を提供すべくがんばっています。また、それが「家でもやってみよう!」という前向きさを引き出し、家庭勉強の実践へとつながっていきます。こうなって初めて、塾に通う意味が生まれてくるのです。


 さらに、心の躍動するような学習を体験すると、海馬のなかでシータ波が発生すると言われます。シータ波は海馬の入り口にある顆粒細胞(丸い形状をした細胞)を刺激し、記憶をつくる脳細胞の細胞分裂を促します。記憶を司る細胞が増えれば、記憶力自体もその分向上します。つまり、「この勉強は楽しい!⇒記憶力が増強する」という流れは、学習で最も大切にすべきことなのです。

 また、学んだことを記憶に残すうえで有効な方法は、「繰り返し学ぶ」ということです。よく「家庭で復習を励行しなさい」と言われますが、復習すると学校や学習塾でわかりかけていたところや、まだわかるところまで漕ぎつけていなかったところがわかるようになります。また、繰り返しインプットされた情報は、海馬が重要な情報と認識し、長期記憶へと転送してくれます。

 家庭で毎日少しずつでも「できたかな?プリント」に取り組めば、同じ単元を繰り返し学ぶことになり、「理解促進」と「長期記憶への転送」という大きな収穫を得ることができるでしょう。ただ、授業での楽しい体験が、そのまま次の通学日まで持続されればよいのですが、なかなかそうもいかないようです。そこで重要になってくるのは、「親の励ましやサポート」です。

 子どものやる気を上手に引き出し、毎日の前向きな学習を実現できるかどうかは、親の出かたにかかっていると言えるでしょう。「では、どういう関わりがよいの?」という疑問をもたれるかたは、以前掲載した記事(「子どもを伸ばす親のちょっとした違い」9月17日掲載)を読み返してみてください。きっと子どもを奮起させるよい方法が見つかると思います。また、「子どもの家庭学習が継続されるかどうかは親次第なのだ」ということをよくご理解いただけるでしょう。

 早期から子どもに難しい問題に取り組ませても、決して子どものためにはなりません(その理由は、8月10日、17日に掲載した「伸びる子にするための基本を考える」という題の記事に書いています)。子どもの年齢や発達段階をふまえた学習材料を用意し、そのうえで、子どもが頭を使うことの楽しさや醍醐味を味わえる学習体験をすること、毎日少しずつ学習を継続すること。この二つを実現するのが最も効果ある方法だと私は思っています。「楽しさ」と「継続」、この二つを胸に留めてお子さんをフォローしてあげてください。

 私の勤務する学習塾で学び、やがて東京大学や京都大学などの一流大学へ進学しているお子さんは多数いますが、そのほとんどは、大人が追い込んで早くから難しい課題をやらせていたお子さんではありません。勉強のよさや楽しさを享受し、毎日家庭学習を継続的に行っていたお子さんが学力の花を大きく咲かせているのです。最後に、そのことをお伝えしておきたいと思います。

H,S

 

2016.1.29 “しつけ”の本質とは何かを考える

 私は勤務先の学習塾のHPにもブログを書いています。かれこれ7年あまり経ちますが、書いた記事数は500回を超え、累計閲覧数は100数万件に達しました。

 始めた当初は予想だにしていなかったことであり、まさに「塵も積もれば山になる」ということを実感しています。自分が書いた文章を多くのかたが読んでくださる。そのことが大きな励みを与えてくれるからこそのことであり、読者の方々に深く感謝申し上げる次第です。

 今回は、私がこれまでに書いた数多い記事のなかで、とりわけたくさん閲覧していただいている記事の話題をとりあげ、改めて心に浮かんだことを書き添えてみようと思います。

 近年、わが子を虐待する事件が多発していますが、逮捕された父親が「“しつけ”のためにやった」などとコメントをしているのを何度も新聞誌面などで見かけました。こうした暴力としか言いようがない行為としつけとは、果たして同じ次元でとらえてよいものなのでしょうか。

 このブログをお読みくださっている保護者の方々は、“しつけ”という言葉の意味をどうとらえておられるでしょうか。

 私は仕事柄、発達心理学や学習心理学、認知心理学など、心理学系の本を読む機会が多数あります。あるとき、こうした類の専門書に目を通していたとき、この“しつけ”という言葉の意味について考察されたくだりがあり、「なるほど、そういうことなのか」と得心したことがあります。前述の「たくさんの方々にお読みいただいた記事」というのは、そのことについてご紹介したものでした。

 まずは、「しつけの本質とはどういうことなのか」について書かれていた箇所をご紹介してみましょう。

 (省略)五歳から七歳の子どもたちは、いよいよしつけ糸をはずしはじめる年齢にあたります。それまでは親が外側から枠組みを与えて、子どもに行為や生活習慣をかたちづくらせていたのですが、いよいよその枠をはずして、子どもが自分の力でみずからの行為や生活習慣を生み出しはじめる時期に入っていきます。
 しつけ糸をはずすことは、いうまでもなく、子どもを本人の自律にゆだねることです。しつけとは、もともと自律に向けてのしつけなのです。外からの強調によって社会のきまりをあてがうことよりも、むしろそうした外的強制をとりはずすことをめざすものです。しつけが不要になるようにしつける、といってよいかもしれません。
 このようにのべてきますと、私のいう「しつけ」は、読者の方々が一般に「しつけ」ということばから受けとっている意味とかなり違っているといわれるかもしれません。ふつうには、「しっかりと」とか「きちっと」「きびしく」することこそがしつけの第一の目的におかれるのではないでしょうか。それに対して、私のここでいっている「しつけ」は、そういう外からの規制をとりはずして、不要なものにしてゆくことこそ、しつけのねらいなのだと言っているのですから。とまどいを与えるようで申しわけないのですが、しつけの中で、そのねらいが見落とされていたら、それはけっきょく外見だけのしつけ、子ども不在のしつけに終わってしまうと思うのです。


 いかがでしょう。一般に“しつけ”は漢字で“躾”と書かれることが殆どですが、この記述によると“仕付け”と書いたほうが言葉の成り立ちに沿っているように思われます。


 余談ですが、“躾”という漢字は中国から伝来したものではなくて、日本で工夫されてつくられた漢字です。このような漢字を“国字”といいますが、峠(とうげ)、辻(つじ)、畑(はたけ)、梺(ふもと)、麹(こうじ)、働(はたら〈く〉)、杜(もり)など、1500ほどあるそうです。それらのなかでも、“躾”は「身を美しくする」という意味にとれることから、「とてもよくできた、好きな漢字です」というかたが数多くおられます。

 たとえば、かつて『週刊朝日』の名編集長であり、朝日新聞社の論説委員、学芸員を務められた扇谷正造氏(1913−1992)の書かれた「千年樫の下に」という書物に、「教育は、本来、自分の体におぼえこむということである。『躾』という字は日本人が発明した漢字だといわれているが、いつもきれいなことばだと思っている」とあります。

 さきほどの話題に戻りましょう。上記の文章は、京都大学の発達心理学者として長年活躍された、岡本夏木先生(2009年にお亡くなりになりました)が書かれたものです。岡本先生は、「“躾”という字がもたらす意味よりも、この“仕付け”を背景とする意味のほうが、子どもをしつける過程の本質をよく言い表しているのではないか」と述べておられます。ご存知のように、「仕付け」とは、着物の形が整うよう、仮に縫いつけておくことを言いますが、そこで大切なことは、着物がやがて縫いあがると、仕付けの糸がはずされるということです。着物の完成をもって、もはや仕付けの糸はそこにあってはいけないものになるのです。

 この考えに立つと、「子どもが言うことを聞かないから、しつけのために殴った」などということはまるで“しつけ」”という概念から外れた行為であると思わざるを得ません。子育ては仕付け糸をまだまだ外せない段階の子どもを人間らしく育てることです。その過程においては、ストレスのたまることも数多くあることでしょう。そこで、ついつい“しつけ”の原点にあるべきものを忘れてしまいがちですが、「しつけとは、『やがてそれがはずされるものである』という前提に立って行われるべきものだ」ということを肝に銘じておきたいものですね。

 日々のしつけを通して、お子さんが自律に向けて少しずつ成長していけるよう、辛抱強く温かい見守りやサポートをしてあげてください。

H,S

 




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