子のイラストバックナンバー

2018.12.07

アニメーションで学ぶのは
幼稚なこと?


 今回は、「玉井式国語的算数教室」の最大の特徴である、アニメーションを介した学習のよさや効能について共に考えていただこうと思います。今から玉井式の講座への入会を検討くださるかただけでなく、現在すでに受講しておられるお子さんの保護者にも、読んでご確認いただければ幸いです。

 今回取り上げたテーマは、玉井式最大の長所を、アニメーションに対する認識の間違いによってご理解いただけない保護者が一部おられることに基づき、アニメーションを活用した学習の本質についてお伝えしたいと考えたからです。

 ズバリ申し上げると、保護者のなかには「アニメーションを使って学ぶ」というだけで、「アニメで学ぶなんて幼稚」とか「学力の低い子のための勉強だろう」などと決めてかかるかたがあるようです。私が勤務していた学習塾で「玉井式」の導入を検討する際も、同様の懸念を示す人がいました。そこで、「アニメーションを介して学ぶことに、どのような効能が期待できるのか」を、専門書などを通じていろいろと調べてみました。その結果、年長児~小学校低学年児童に要請される学びと、アニメーションを活用した学びには極めて高い親和性が存在することに気づきました。

 以下は、そのことについての私の見解です。

1.アニメーションは、子どもの学びに必要な情報をシンプルに提示できる。
 アニメーションは、実写の画面と比べると情報がシンプルに提示できます。子どもに見せたいものだけに限定して提示できるし、無用の背景もカットできます。これによって、子どもを学ぶべき情報に集中させる効果を引き出します。意外と、大人はそういうことに気づきません。
 低学年児童期までの子どもは、いろいろな情報が画面に詰まっていると、指導する側が期待する描写に必ずしも興味を示さず、違うものに気をとられることがあります。ナレーションやキャラクターのセリフで誘導しても、気になるものが画面に映っていると、そちらに気を取られてしまうのです。その点、アニメーションは必要なものや背景のみを子どもに見せることができます。
 このように、学びに対する構えがまだ十分できていない年齢期の子どもに、アニメーションは大変有効な媒体なのです。

2.アニメーションで学ぶと、課題場面の状況がよくわかる。
 ご存知のかたも多いと思いますが、玉井式のアニメーションに出てくるキャラクターの中心となるのは、キャドック王国という架空の王国で暮らす1ファミリーです。このファミリーの家庭で生じる様々な事件やできごとを軸にしたストーリーがよくできており、子どもたちは知らず知らずのうちに引き込まれ、やがて算数の課題場面が登場するという仕組みになっています。
 このように、物語の筋立てに即して課題が提示される流れは、子どもにとってはいきなり算数課題を提示されるよりも状況がよくわかるうえ、「解き明かしたい!」という欲求を高めてくれます。その結果、自分で考えて望ましい式を立てる能力が培われることになります。玉井式の言うイメージング力は、このような学びの仕掛けによってもたらされるのです。
 また、エピソードを通して学んだ経験は、機械的な数字の操作で解を得るよりもはるかによく記憶に残ります。このほうが算数学力を養ううえで遥かに有効なのは言うまでもありません。

3.音声言語のほうがよく理解できる、低学年児童にマッチした学習法である。
 みなさんは、耳(聴覚)でキャッチした音声の言葉と、目(視覚)でとらえた文字の言葉とでは、どちらがわかり易いと思いますか? 言うまでもありませんが、日常生活で使用頻度が高いのは音声言語です。また、大昔の人間にとって、言葉と言えば音声によるものしか存在していませんでした。文字言語が登場したのは長い人間の歴史で見るとごく最近のことであり、当然、大人も子どもも音声言語のほうが本来的にわかり易いのです。
 特に、まだ正式に文字言語を習い始めたばかりの低学年児童期の子どもにとって、文字言語のみを頼りに算数課題を提示されるより、音声言語の補助を得て提示されるほうが遥かにわかり易いものです。
 しかも、子どもが耳にする音声言語は、プロのナレーターの臨場感あふれる語りかけの言葉です。このほうが子どもは親しみや興味をもって聞けますし、より理解が促進されるものです。「国語的算数教室」の「ものがたり算数」が放つ魅力の一翼を担っているのは、実は優れたナレーターによる音声の言葉なのです。

 確かに、高度な学びの世界へ移行するにつれて、音声言語よりも文字言語のほうが使用頻度は高くなり、それによってより複雑な意味の伴った情報伝達が可能になっていきます。しかしながら、玉井式が対象とする学習者(国語的算数教室が対象とする学びの主人公)は、音声言語から文字言語へと移行していく途中にある低学年児童です。文字を軸にした学びで成果を追求するのは、もっと年齢的に上の子どもたち。「アニメーション映像」+「優れたナレーション」による国語的算数教室の学びの手法は、子どもの年齢や発達段階にふさわしいものだと言えるでしょう。

 以上からおわかりいただけたのではないかと思いますが、「アニメーションで学ぶのは幼稚なことか」と言われると、「NO!」と言わざるを得ません。それどころか、子どもにとってやや高度な内容の学習も、無理なく理解させてくれる画期的な方法だと言っても過言ではありません。まだ長い学びの人生の入り口に立ったばかりの子どもたちにとって、学びの楽しさを教えてくれるとともに、理解の伴った真の学力を養うために、最も優れた方法の一つだと私は思っています。

 実際に授業を見ていると、何よりも子どもたちは夢中になって学んでいますし、楽しげな反応を示しています。このような能動的学びを実現する学習法が望ましくないはずがありません。以前もお伝えしたように、低学年児童期において最も大切なものの一つは、勉強に“快”の感情をもった子どもになることです。このこと一つとっても、アニメーションを活用した学びにはすばらしい価値があるのだと言えるでしょう。

H.S

2018.12.14

児童期前半までの
算数学習と玉井式


 ご存知のように、学力というものは一朝一夕に伸ばせるものではなく、相当に長い期間の修練の積み重ねを必要とします。特に算数は、低学年時までに養った基礎や感覚的素養が大きな作用を果たす教科です。今回は、このことについて少し掘り下げてお伝えしてみようと思います。

 算数は、中学受験の学習で子どもたちが最も多くの時間とエネルギーを投入する科目です。それは入試において中心的な役割を担っており、配点の比重が高く設定されていることによりますが、それだけではありません。問題の解決へ収束していくプロセスに格別な面白さがあり、算数・数学への取り組みを通じて、子どもたちは自らの能力に自信をもつことができる点も大きな理由でしょう。

 それゆえ、小学校課程のみならず、中学進学後も教科の中心的存在であり、大学受験においても国立大学や理系学部を受ける際に必須とされる教科となっており、数学に堪能かどうかは就職にも少なからぬ影響を及ぼします。特に理系の職業を視野に入れている子どもの場合、数学力を備えているかどうかは問答無用といってよいほど圧倒的な重要性をもっています。

 こうした事情を受け、保護者もわが子の算数の学力や評価点を、入試での可能性のバロメーターや将来の見通しの尺度として受け止めがちです。そして、「何とかして算数のできる子になって欲しい」と願っておられるのだと思います。

 では、算数・数学力の飛躍に向けた可能性はいつ頃明確になっていくのでしょうか。それは、だいたい9歳前後だと言われています(学年で言えば、小3~小4頃)。と言うのは、児童期の算数で最も難しいとされる学習領域は、1に割合、2に分数、3に小数です。具体的には、以下のような単元をうまく乗り越えられるかどうかが算数学力の形成でポイントになります。

算数の一つ目のハードル…2年のたし算のくり上がりとひき算のくり下がり
二つ目のハードル…3・4年の整数のわり算、分数・小数
最後のハードル…5・6年の比例・割合

 上記の三つの単元が、子どもたちの算数学力の伸長にとって大きなハードルになるのは、算数の学習内容が抽象性を帯びてくることと大いに関連があります。

 算数・数学が難しいと思われがちなのは、その抽象性にあります。たとえば分数で全体を1としたり、割合で全体を1とみたりするのは、まさに抽象に他なりません。発達心理学においてよく言われるように、具体的思考から抽象的思考が育っていくのが小学4年生前後の年齢です。思考と言語は密接なつながりをもっていますから、ボディ・ランゲージ(非言語的言語)から大人のフォーマルな言語に切り換わるときと重なっているのは言うまでもありません。

 したがって、算数力が身につくかどうかも、このような言語の質的転換に成功するかどうかによる、と言われています。このことから考えると、国語的観点からも、算数的観点からも、3~4年生という時期までの思考の発達が学力形成の分岐点だと言えるのではないでしょうか。

 特に算数は、子どもの有能感を大きく左右します。その理由と深く関わるのですが、「算数・数学は、考える喜びを得ることができるから、考えかたを学ぶのに最適な科目」ということです。1本の補助線を考えついたことですっと課題が解けた喜び、ちょっとした工夫で複雑な計算が簡単にできた喜び、数学なら、いまだに証明されていない定理もあります。こんな経験は他教科では味わえません。

 以上のことから、「算数のできる子=考える喜びを知っている子」だとおわかりいただけるでしょう。では、このような子どもはどうやって育つのでしょうか。それには、本格的な受験勉強を始める前の年齢期(4年生まで)に、考える喜びを味わう体験をたくさんしておくことです。以下は、算数学力を支える主要な要素を示したものです(以前、私の勤務していた学習塾の算数担当者による)。

 受験の算数というと、大概の人は上の二つの要素を思い浮かべるでしょう。しかし、小学校の低学年頃までは、通常の意味での「教える」ということは、ほとんど役立たないと言われています。算数的な実場面にふれ、そのもつ意味を肌で感じとったり、自分で得心したりする経験こそ意味をもつのです。

 私が玉井式の「国語的算数教室」と出合い、低学年児童の学力形成に生かしていく過程で一番に感じたのは、楽しいアニメーションで登場してくるさまざまな場面が、仮想現実として子どもたちに提示され、極めて実場面に近い形で問題解決に向けた思考を促してくれることの効果です。このような学習こそ、上表の「算数の学力」として挙げられている三つ目と四つ目の要素の獲得に有効だと思ったのです。また、この講座はその名のごとく、子どもの読解力や思考力の育成にも貢献しています。そのことも大きな魅力です。

 低学年期から学校で未習の公式を意味もわからずに覚えさせたり、方法のみをたたき込んだりしても、真の算数力は身につきません。それよりも、上表の「関心・態度」を伸ばすことがまずもって大切なのです。それがうまくいけば、残りの3つの要素は自然に備わってきます。小学校低~中学年までの子どもにとって、算数学習に関わる自由な思考、自主的な学習態度を育む体験を繰り返すことこそ重要なのです。

 「玉井式国語的算数教室」で、楽しい数の世界の住人になる。そこから、実は素晴らしい算数・数学力の花を咲かせるための芽が育っていきます。このこと一つとっても、この講座の携えた大きな魅力に刮目せざるを得ませんね。

 ※実際に、私の勤務していた学習塾では、「国語的算数教室」出身のお子さんが大いに算数学力を伸ばし、中学受験でも次々に難関を突破しています。また機会があったら、そのこともご紹介してみようと思います。

H.S

2018.12.21

子育ては芸術である!
――この言葉を胸に新たな年へ


 今年も段々と残り少なくなってきました。今、子育ての真っ最中にある保護者、特におかあさんがたにおかれては、気ぜわしい毎日に追われてゆっくり自分を振り返ってみるゆとりがないまま、今年の終わりが近づいているかたも少なくないのではないかと拝察します。

 今回のコラムタイトルに、少し驚かれましたか? 子育ては芸術である――これはずいぶん昔読んだ本のなかにあったもので、今やその本のタイトルも著者の名前も思い出せないのですが、この言葉だけが強く私の心をとらえていまだに印象深く記憶に残っています。

 思うに、子育ては全てのご家庭、全てのおかあさんごとにみな違います。世界中に一つとして同じものがなく、その大切さにおいて他と比較しようのない唯一無二のもの。そして、親として限りない愛情と情熱を注ぎ、あらゆる困難を押しのけ、創意工夫を絶えることなく続けていくのが子育てです。これほど尊く創造性豊かな仕事はありません。だからこそ、識者のどなたかが「子育ては芸術である」と表現されたのではないかと思います。

 こう考えてみると、お子さん一人ひとりは、親の芸術活動(子育て)によってつくられる作品なんですね。しかしながら、人間の子どもはおかあさんの意のままに操れるモノとしての作品ではなく、感情を携えた一個の人格を備えた作品です。お子さんが生まれるまで真っ白だったキャンバスは、すでに様々な彩りがちりばめられていることでしょう。その彩りをより美しいものへと仕上げていくのが残された子育て期間の課題であろうと思います。まだまだ仕上げには工夫が必要です。ここで一度、みなさんの芸術活動を振り返ってみてはいかがでしょうか。

 というのも、今日の子育ては難しくなっています。それは子育ての場や環境がかつてとは様変わりしているからです。親にはいろいろ心づもりがあったとしても、子どもが必ずしもそれを受け入れてくれるとは限りません。もっと言えば、親が途方に暮れるような現実に突き当たるようなことも少なくないのです。既存の価値観や規律が通用しない。そんな時代には、これまでにもまして親の子育てに対する強い信念や行動の一貫性が求められているように思います。

 そんなことを思っていると、先日何気なく手にした本の一節に、子育てを芸術活動に見立てて親を励ましている箇所が目に入りました、著者はアメリカの心理学者であり精神科医をしておられるアウグスト・クリというかたです。以下は、みなさんにご紹介したい部分をピックアップしたものです。

 かつて親は権威主義者でした。ところが最近では、子どもまでも同じように権威が好きになっています。かつて、教師は生徒の英雄でした。ところが最近では、生徒の犠牲者になっています。(中略)子どもはまるで王様のように振る舞い、なんでも自分の思い通りにしようとします。
 親はまず、「いけません」と怯まずに子どもに言うことを学ぶ必要があります。親の「否定」を聞き入れない子どもは、「人生は自分の思い通りにならない」ということを学べません。
 次に、「いけません」と子どもに言ったときには、子どもの脅しや駆け引きを聞き入れてはいけません。そんなことをしたら子どもの感情の起伏が激しくなるだけです。(中略)子どもが社会に出たときに感情の起伏が激しく、脅しや駆け引きをするようでは、社会で生き抜くことは難しいでしょう。
 (中略)私たちは困難な時代に生きています。社会の決まりや精神的なアドバイスがもはや役に立たない時代のように思えます。世界中の親たちが、拠って立つ指標がなく子どもの世界を理解する手段を持たずに無力感を抱えています。はっきり言えば、子どもの心をつかむのは、子どもの体を知るのと同じで、非常に困難です。子どもの知性に刺激を与えるのは、一種の芸術です。
 ただ、これだけは言っておきたいのですが、すばらしい親は、子どもの教育に終わりがないことを知っています。「わたしにはよくわかっている」とか「人の助言なんていらない」と言う人は、すでに逃げているのです。教育とはひたすら我慢することだ、と肝に銘じてください。我慢できない人はすぐにあきらめてしまい、学ぶことのできない人は知性の道を探せません。

 知性は、人間が創造的な人生を歩むうえで欠かせないものです。だからこそ、子どもに芽生えようとしている知性に刺激を与えることを、「一種の芸術」であると言っておられるのでしょう。

 上記の学者(医者)は、親に強い信念とその実行者であることを求めておられます。それは難しいことですが、それを受けて次のように励ましておられます。

 すばらしい親は、たとえ子どもが親の期待を大きく裏切り、精神的に不安定な状態になっても、絶対に子どもを見捨てません。世間がいくら子どもに冷たい目を向けても、私たち親はその子が将来必ず立派な大人になることを疑ってはいけないのです。
 すばらしい親は発想の種をまくだけであり、子どもをむりやり言いなりにさせようとはしません。知性という大地を耕し、いつの日かそこから発想の芽が出るのをひたすら待つのです。
 (中略)なかには親の差し出す手を拒み、自分のだけの世界に閉じこもり、孤独に震えているお子さんもおられるでしょう。自惚れが強く、非常に頑固なお子さんもいます。そんなときはどうしますか。子どもを見捨てますか? とんでもないことです!
 (中略)子どもを育てるとき、親は詩人であるべきです。悲嘆に暮れることもあるでしょうが、決して絶望してはいけません。傷つくかもしれませんが、決して諦めてはなりません。親はだれにも見つけられないものを見つけださなければいけません。子どもたちの心の奥にはすばらしい宝が眠っているのですから。

 残り少なくなった2018年ですが、今回の記事をきっかけに、この1年の子育てを振り返りながら、親としての心のもちようや、わが子に対する対応のありかたについて考えていただければ幸いです。

 あなたの子育てにおけるあらゆる苦労は、「わが子のすばらしい人生の歩みを引き出すための芸術活動に他ならないのだ」ということを、忘れないでくださいね。

H.S

2018.12.28

今年1年を
振り返ってみましょう


 今年も余すところあと3日ほどになりました。みなさんにとって、2018年はどんな年だったでしょうか。子どものいる家庭の毎日は慌ただしく、1日があっという間に過ぎていきます。その日その日を振り返る余裕などほとんどなかったことでしょう。

 しかしながら、1年は親にとっては瞬く間に経過するわずかな期間に過ぎなくても、子どもにとっては長い1年であり、今までに経験したことのない数多くのできごとのあった1年だと思います。なぜなら、子どもの人生経験はまだ10年に満たないほどであり、1年間というスパンの人生に占める割合が大人の比ではないからです。今年の終わりにあたって、わが子の成長の後を振り返ってみてはいかがでしょうか。きっとたくさんの貴重な気づきがあると思います。

 私事ですが、長年勤務していた学習塾を今春定年退職し、現在はフリーの立場で以前の職場や玉井式とお付き合いさせていただいています。玉井式の創設者である玉井満代先生とは、7年ほど前から「国語的算数教室」の導入以来様々な形で交流させていただいていますが、民間教育に対する考えかたに共通点や共鳴するところが多く、今に至るまで多くのことを学んだり経験させていただいたりしています。

 このコラムも、たまたま私が「学力形成」や「家庭教育」に関わる記事を多数書いてきた経験があり、また保護者対象の催しで玉井先生とご一緒する機会を度々いただいてきたことがもとで、「玉井式の教室にご縁をいただいている家庭の保護者や、玉井式に興味をもっておられる保護者に、子どもの知育に関する情報提供の場を設けたい」という意向を伺い、そのお考えに賛同して担当させていただくことになったものです。

 私の書いている文章は、一般の学習塾、特に進学塾に所属している方々の書かれるものとはやや趣を異にしているかもしれません。子どもの健全な学びを実現し、将来の大成に向けた“伸びしろ”を形成するためには、しっかりとした家庭教育が必要で、それを実現すれば子どもの未来は限りなく広がっていきます。適切な家庭教育は親子の信頼関係を築き、子どもの価値観や生きかたを望ましい方向に導くことができます。そのことを私は仕事を通じて実感してきました。それをぜひ子育ての最中にある保護者にお伝えしたいと思い、機会あるごとにお話ししたり文章に書いたりするようになりました。もっと子どもが大きくなってからでは、親の影響力は失われてしまいます。わが子を親が望むような人間に育てるチャンスはまさに今なのです。そのことを頭においてこのコラムの記事を書かせていただいています。

 親は子どもに勉学面だけでなく、人間としての様々な成長を望んでいます。そうした親の期待や望みを現実のものにするにあたって大切なことは何でしょうか。心身の健全な発達は無論絶対的な条件ですが、あえてもう少し踏み込んでいえば、「人間として、年齢に応じた自立をしていくこと」が求められます。何をするにつけ、自分で考え、判断し、実行しようとする姿勢がなければ、先々何をめざしてもうまくいきません。自立は、学業面の成果を意味あるものにし、社会に出て建設的な人生を送るうえで不可欠のものです。

 ところが、今はこの自立に向けた子どもの成長を引き出すのが難しい時代です。たとえば、今日の家庭の家族構成は親子二世代(核家族)がほとんどで、子どもの数も一人か二人が大半です。勢い親はわが子に手をかけます。私は学習塾に35年ほどおりましたが、過保護・過干渉の家庭がなんと多かったことか。わが子をかわいいと思えば、自然とそうなってしまうのも道理です。しかし、親が子どもに手を差し伸べれば差し伸べるほど、子どもの自立は遅れます。私自身も、そういった親をとやかく言えない子育てをしてきました。私自身もやっぱり過保護な親だったように思います(子どもの中学受験の頃から、「これではいけない」と思い、対応を変えました。それは正解だったと思います)。みなさんのおたくではどうでしょうか。1年の終わりに、「わが子との間合いや距離は適切だっただろうか」という観点からも振り返ってみてください。

 親が「これぐらいは一人でちゃんとできるだろう」と思ったことは、一人でやらせてみるべきでしょう。子どもを信じて手を離せば、すぐにはできなくても直に自分でやれるようになるものです。反対に、「まだうちの子には無理だ」と決めつけ、度々手を貸していると、子離れのタイミングを失っていつまでも自立できない状態が続いてしまいます。「手を放して見守るか、手を差し伸べるか」――この判断こそが子育ての勘所です。それを誤らなければ、子どもは人間としても勉強においてもちゃんと自立していくものです。

 この1年間のわが子との関りを振り返り、親として自立に向けた適切なサポートをしていたかどうかを思い起こしてみてください。いろいろ反省点のあるかたもおられるかもしれません。ただし、親の期待や愛情がお子さんに伝わっていれば大きな問題はありません。今から徐々に、「自分でできることを一人でやり遂げる」ということにプライドをもたせるよう、少しずつ親の対応をシフトしていけばよいのです。

 余談ですが、最近お年寄りが飼い犬の散歩に出かけたとき、飼い犬を抱っこして歩いておられる様子を目撃することがよくあります。かわいいからこその行為でしょうが、飼い犬にとってはどうでしょうか。こんな風に、わが子をかわいがってしまうと、世間の荒波に抗して逞しく生きていく人間は育たないのではないかと心配してしまいます。わが子はやがて、理不尽なことの多い人間社会を生き抜いていかねばなりません。親が状況に応じてサポートできる今だからこそ、自立に向かわせる子育てをする必要があるのではないでしょうか。

 今年1年、拙い文章をお読みくださってありがとうございました。では、よい年をお迎えください。




H.S

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