親が厳しいことはいいことか、それとも・・・
親にもいろいろなタイプのかたがおられます。したがって、子育てのスタンスもいろいろで、厳しくわが子に接する人も、優しくフレンドリーな姿勢でわが子に接する人もおられるでしょう。無論、どちらがよいかは一概に言えません。厳しさや優しさの内実は家庭によって随分違っており、優劣などつけられないからです。みなさんはどういう考えの下で、どのようにわが子に接しておられますか?
もう5年以上前になろうかと思いますが、以前の勤務先から発信していたブログに、「親が厳しいことが、子どもにどう影響するか」ということをテーマにした記事を載せたことがあります。一般に、「親が厳しいと子どもは伸び伸びと育ちにくい。自分の感情を抑制し、自己表現が苦手な人間に育ちがちだ」と思われるようです。実際はどうなのかということを、発達心理学者の著作などや自分の仕事を通して見聞きしたことを突き合わせて書いたのですが、意外なことにいまだに最も多くのかたに読まれているようで、すでにその記事だけで数万件のアクセス数を記録しています。
そこで今回は、もう一度この話題について取り上げてみようと思ったしだいです。最近のおとうさんおかあさんは子どもに寄り添い、子どものためになることなら協力や投資を惜しまないかたが多いように思います。中学受験然り。わが子が「受験させて」と言ってきたら、「やる気になってくれた」と喜び、すぐに塾に通わせる親が多いのではないでしょうか。しかし、なかには一家言をもち、思いもしない対応をされるかたもおられます。普通の親なら「厳しすぎる」と思うような条件をわが子に突きつけ、驚くほどの努力と成長を引き出しておられるのです。
一つ例をあげてみましょう。かつて指導現場で働いていたころ、6年生のクラスに、塾通いを始めたばかりの男の子がいました。周囲が感心するほどのストイックな姿勢で勉強に取り組み、授業態度も申し分のないお子さんでしたので、すぐに私の目にも留まりました。彼と初めて会話を交わしたとき、入塾までのいきさつを話してくれました。彼によると、5年生になる前から何度も「中学受験をさせてください」とおとうさんに申し出たものの、その度に「うちは子どもに中学受験をさせるような家ではない!」と即座にはねつけられたのだそうです。まったく取り付く島もないような対応でした。では、なぜ彼は6年生になってから塾通いを始めたのでしょうか。
5年生が終わろうかというある日、突然おとうさんが彼を呼び出し、「おまえを、1年間塾に通わせてやろう。これで結果が出せなかったら、きっぱりあきらめろ」とおっしゃったのだそうです。それからの彼は、まさに一心不乱という形容が当てはまるほど勉強に打ち込みました。「ぼくはみんなよりはるかに遅れている」が彼の口癖でしたが、確かに1年、2年以上先に受験勉強を始めた他の受験生と比べると大きく出遅れています。短期間に追いつくのはまさに至難の業というしかありません。案の定、夏休みまでどんなにがんばっても彼の成績は全体平均を上回ることはありませんでした。ところが、9月、10月頃から成績が上向き始め、秋深くには成績優秀者と肩を並べるまでになりました。そして、とうとう入試では地域最難関の私学に合格したのです。それは彼にとっての第一志望校でもありました。
みなさんはこのおとうさんのことをどう思われますか? 多くの場合、親が中学受験に興味をもったら、親主導で受験準備が始まるものです。また、彼のように子どもが自分から受験したいと言い出したら、金銭的な問題がない限り、「わが子が勉学に目覚めてくれた」と喜び、熱心に応援するケースが多いでしょう。しかし、彼の家はそうではありませんでした。1年間という制約のなかで精一杯努力させ、夢が叶わなければその結果を自分で引き取らせる。そんな家庭は極めてまれです。大概は親のほうが結果にこだわり、子どもを引っ張り上げようといろいろな手を打ったりするものですが、彼のおとうさんは違いました。塾通いを許可するまでの1年余りの期間、どんなことを考えておられたのか、私は大変興味をもったものでした。
彼は第一志望校の入試が終わった後、まだ合否結果も出ていないというのに、私のところに挨拶にやってきてくれました。その日、彼は入試会場を出たその足で地元の大きな書店に出向き、7冊の本を買ったのだそうです。その本は、いずれも私が「読んでみなさい」と受験生たちに勧めたものでした。「今まで読みたかったんだけど、遅れている勉強を追いつかせるために読む時間をつくれませんでした。今日やっと入試が終わったので、先生の勧めてくれた本を買ってきました。やっと読書ができます」と私に言うではありませんか。そして、「今までありがとうございました」と言って家に帰っていきました。

そのとき、彼は面白いことを私に言いました。「ぼくには2つ違いの弟がいます。もしかしたら弟もお世話になるかもしれませんが、多分ぼくと同じように6年生からになると思います」というのです。そして、弟さんは彼と寸分違わないプロセスを経て、同じ私立の一貫校に進学しました。6年生からの1年間の勉強で地域最難関の私学に合格する。それは大変困難なことですが、それをいとも簡単に(現実には大変な苦労があったことでしょう)兄弟二人ともやってのけたのです。この結果は、彼らのおとうさんの子育て姿勢なくしてもたらされなかったことでしょう。
実際のところ、子どもへの接しかたが厳しめか優しめかで優劣をつけるのは無意味なことです。厳しさが裏目に出る場合もありますし、優しさが仇になるケースも少なくありません。厳しい子育て、優しい子育てそれぞれによさがあります。よい結果を引き出せるかどうかを決定づける最も重要なポイントは、子どもが親の考えや方針を納得して受け入れるかどうかではないでしょうか。親の厳しさが筋の通ったものであれば子どもは親を信頼し、親の方針を受け入れ必死になって努力するでしょう。今回ご紹介したエピソードはまさにそれを裏づけるもので、彼のおとうさんは厳しくも温かい子育てを通してわが子を努力の人に育てておられたのだと思います。
これと逆の事例は枚挙にいとまがありません。親の厳しさに音をあげ、恨みながら面従腹背を続ける子どもはたくさんいます。いくらがんばっても、「やれて当然」といった態度でほめたり励ましたりしてくれないなか、重圧に負けて失速してしまう子どももいます。「この程度の成績じゃ、志望校合格などおぼつかないぞ」と叱咤激励され続け、がんばりのエネルギーを得ることができず、ついには自信喪失状態に陥ってしまう子どももいます。これらの子どもの親も、愛情がないはずがありません。ただ、子どもとの強固な信頼関係を築いていなかったための受験失敗なのです。
わが子への接しかたのよしあしは、厳しいか優しいかではなく、親子の信頼関係があるかどうかであり、親の子育て方針を子どもが受け入れているかどうかで判断すべきものだと思います。お子さんとのコミュニケーションを大切にし、わが子が親の考えをしっかりと理解しているかどうかを見極めつつ、一貫した愛情深い対応を継続していただきたいですね。

