子育てにおける父親的視点の役割

 小学生の学習指導に関わる仕事においては、保護者との連携が欠かせません。親の保護下にある子どもはまだ心身ともに自立の途上にありますから当然のことです。学習塾は、説明会、保護者会、面談、お子さんを交えた三者面談など、様々な方法で保護者とコミュニケーションを取りながら、子どもたちの望ましい成長に向けてサポートを継続的に行っています。

 コロナ禍が続くなかで、最近はZoom(ズーム)による面談がずいぶん増えつつありますね。便利な世の中になったものです。実際のところ、目の前に保護者がおられなくても画面越しに互いの表情がわかるZoomという方法は面談の効果を高めると実感します。ただし、昔とあまり変わらないのは、相談相手の大半がおかあさんだということです。

 毎日の生活で親子が共有する時間の多くは、おかあさんと子どもによるものです。そのため、おかあさんは子どものことをよくわかっており、長所や短所についても熟知しておられます。「子育ては母親の役割だ」という観念がいまだに根強く残っていますが、このような事情が影響しているのは間違いありません。しかし、子育てには、母親的視点と父親的視点の両方が欠かせないのも事実です。ジェンダー平等社会にあっても、男女の性差に基づく役割適性の違いは認識しておかねばなりません。以下は、大都市圏の私立一貫校の校長を長年勤められた外国人のかたの著書の一部分です。父親的な役割がどういうものかを明確に示しておられるので、参考になるでしょう。少し長いですが、よろしければ読んでみてください。

 父親の愛の構造は、母親のとは違う。母親にとっては、子どもが自分の膝元から離れるのを認めることはむずかしいことであろう。わが子をいつまでも無事に守っていきたいというのが、母親の愛だからである。

 父親は、わが子の心に自分を守ろうとする意欲や決断を呼び起こし、わが子が他人にも自分にも負けないように成長することを願う。さらに、「より強く、もっと強く」と、わが子を強い心をもつ男に育てていきたいと望む。これがあらゆる弱さを憎む父親の、わが子に対する愛なのである。

 このように考えると、最近よく言われている、子どもの心の教育は第一に母親の役目であるということは、残念ながら大きな誤りであるといわざるを得ない。この誤った考えが、子どもに甘えを植えつけているのだと思う。

 大人の社会にみられる人間の弱点――わがまま、妬み、恨み、ずる賢さ、利己主義、残忍さなどは、みな、幼い子どもの心にも芽生えている。これらの人間の生まれつきの持ちものをむき出しに表している子どもさえいる。子どももまた、人間であるからである。

 そうした心の衝動をコントロールできない子どもは、当然、非人間的、非社会的な性格を帯びてしまうから、その子どもには、コントロールする力を養わせなくてはならない。

 しかし、その衝動を抑えることだけでは充分ではない。大切なことは、その衝動に潜在しているエネルギーを上手にリードしながら、プラスに転化させることである。これが父親の役目なのである。男の子の場合は、特にそうである。(中 略)

 いつの時代でも、子どもの心の教育に必要なのは、父親の適度の制御である。しかし、今日の日本の家庭教育には、このぜひとも必要なコントロールが欠けていると思う。「おかあさん任せ主義」の今日の「民主主義パパ」のもとでは、子どもは強く、たくましく育たないのである。(中 略)

 教育には厳しさが必要なのである。厳しさは教育される者にとってだけではなく、むしろ、教育する者にとってなおいっそう必要なのである。親が子どもに期待することと、自分が行うこと――この言行の一致の厳しさこそ、尊いものなのである。

 これを読んでどんな感想をおもちになったでしょうか。昭和の頃に出版された本からの引用であり、今日のおとうさんは当惑されるかもしれません。しかし、父親に求められる役割は時代を経てもそうそう変わらないものです。「厳しさは、教育する者にとってもいっそう必要なのである」という言葉は胸にしみますが、そこまでストイックな厳しさを今日のおとうさんに要求するのは無理というものでしょう。ただし、子どもの誤った行動を修正するための働きかけは親として絶対に必要なものです。普段は優しいおとうさんであってよいのです。大切なのは、わが子が間違っているとき、毅然とその行為が望ましくないことを指摘し、なぜいけないのかを考えさせることではないでしょうか。また、わが子が思い悩んでいるとき、さりげなく声をかけ、自分の昔の経験談(それも失敗した経験の話がよいでしょう)を話して聞かせたり、気分転換や息抜きの時間を見繕ったりするのも、おとうさんの役割として適任であろうと思います。

 上述したように、おかあさんは子どもの身の回りの世話、生活で必要なことに関する目配りには向いています。その一方、ともすればわが子と一心同体になりがちで、客観的に子どもの状態を見極める役割を担うには不向きな面もあります。ですから、受験をうまく乗り切るにはおとうさん的な視点からのアプローチやフォローも必要です。その役回りをぜひおとうさんには積極的に引き受けていただきたいですね。

 だいぶ前のことですが、ある私立の一貫校(地域最難関の男子校)の校長先生とお会いしたとき、おとうさんの子育て参加の重要性について話をうかがう機会がありました。きっかけは、「中学や高校で行き詰まったり失速したりする生徒さんもなかにはおられるでしょうが、何が原因なのでしょうか」という質問をしたことでした。それに対して、校長先生は「中学受験をおかあさんのみで乗り切ると、母子関係が近くなりすぎて、思春期になって子どもが親を否定し始めると、おかあさんの手に負えなくなるんです。そのときになって、わが子をもて余したおかあさんが、『肝心なときに、おとうさんは何もしてくれなかった』とおとうさんを責めることが多いんです。しかし、もはや時間を巻き戻すことはできません」といったような内容の話をされました。

 おとうさんも絶えずわが子に目配りをすべきなのは当然です。しかし、何かあるたびに声をかける必要はありません。それをするのはおかあさんだけで十分でしょう。お叱りを受けるかもしれませんが、おかあさんがたは自分で思っているよりずっとたくさん注意の言葉をお子さんに浴びせておられます。それに加えておとうさんまで参加されると、子どもにとってはまさに「耳にタコができる」状態になり、過剰な介入になりかねません。おとうさんの出番は、“ここぞのとき”だけでよいのです。それがいつであるかは、日頃おかあさんと密にコミュニケーションを取っておられればわかると思います。おかあさんにとってもそれは心強いことですし、ストレスを乗り越えるうえでも助けになることでしょう。

 中学受験の準備学習において、お子さんは様々な悩みや葛藤に突き当たります。お子さんが、おかあさんとおとうさんの愛情や期待をしっかりと受け止め、精一杯の努力をして中学受験に臨めるよう、ぜひ強固な協力体制を築いていただきたいですね。そうすれば、中学進学後に訪れる思春期の問題も、きっとうまく乗り切れることでしょう。
※上記引用文は、「日本の父へ」新潮社 グスタフ・フォス/著 によります。