「何」を叱るかで、子どもの育ちは変わる!

 しつけ途上の子どもをもつ家庭の保護者、とりわけおかあさんにとって悩みの種になりがちなのが、「わが子をいかに叱るか」という問題であろうと思います。というのも、叱ってすっきりすることよりも、後味の悪い思いをしたり後悔したりすることのほうが多いからです。しかしながら、わが子に確たるルール意識やまっとうな善悪の判断を浸透させるうえで、叱るのは親としての重要な義務であるのは間違いありません。みなさんは、叱るという行為にどのように向き合っておられるでしょうか。今回はどう叱るかということと、それによる子どもの成長の道筋について共に考えてみようと思います。

 まず申し上げておきたいのは、「叱るのは愛情の表現なのだ」という信念をもつことです。当たり前ですが、叱るのはわが子が憎いからではありません。ところが、いざ叱るとなると親にも勇気が求められます。なぜなら、ちょっとした叱りかたの間違いで子どもの抵抗にあうこともあるからです。そうなると、我知らず言葉がきつくなり、それが互いの感情の高ぶりを誘発し、抑えるのが難しくなりがちです。しかしながら、今お伝えしたように「叱るのは重要な愛情表現なのだ」ということを胸に留めていれば、毅然とした叱りかたができますし、予期せぬ子どもの反応にも冷静さを保つこともできます。叱ることについて、まずもっておかあさんがたにお伝えしたいのがこのことです。

 そうは言っても、日本の家庭は古(いにしえ)より親子密着型の関係で成り立っており、子どもには「それぐらいいいじゃない!」という甘えが生じがちです。いっぽうの親はわが子に分別を求めますから、「なんでこんなこともわからないの!?」という苛立ちや怒りを覚えるものです。みなさんのおたくでも、このような親子間の気持ちのせめぎあいがもとで、小さなもめごとが生じることも往々にしてあるのではないでしょうか。そんな場合にも、親の側に適切なメンタルコントロールのできる余裕があれば無用の衝突を避けることができるでしょう。

 西欧に「左手で突き放し、右手で引き寄せよ」という言い伝えがあるのをご存知でしょうか。この言葉からある程度察しが付くと思いますが、「左手で突き放し」は叱って戒めることを意味し、「右手で引き寄せよ」は子どもの気持ちを優しく受け止めて理解するという愛情表現を意味します。この言葉は、しつけには厳しさと愛情の両面が必要だということを教えてくれるでしょう。さらには、子どもに厳しい対応をしたあと、必ず十分な愛情を示してやることの必要性も暗示しています。愛情が厳しさよりも上に位置するのは言うまでもありません。おかあさんがたには、わが子と接する際にこのことを常に意識していただきたいですね。そうすれば、叱る際にも「わが子はかわいいに決まっている。でも、だからこそ今は冷静に叱るべきときなのだ」と自らの気持ちをコントロールできると思います。これが今回お伝えしたいことの二つ目です。

 それでも、「理屈は納得できるが、やっぱり冷静に叱るのは難しいです」とおっしゃるかたもおありでしょう。そのようなかたは、多分叱るうえで心得るべき重要な点を念頭に置いておられないからであろうと思います。つぎは、わが子の問題行動に対する親の対応の様子を二つ例示したものです。この二つにおいて、親の意識で決定的に違っているのは何でしょうか。ちょっと考えてみてください。

 いずれも、遊んだ後の部屋の後片付けをしていなかった子どもへの対応場面です。1では子どもがおかあさんに反発して言い返しています。2では子どもが謝って散らかしっぱなしにした理由をおかあさんに説明しています。子どもを適切に導いているかどうかという観点に立つと、叱りかたとしては子どもの素直な反省を引き出している2のほうが望ましいと言えるでしょう。

 ここで最も着目すべきポイントは、何を叱っているかではないでしょうか。1では、子どもの人間性に言及して叱っています。いっぽうの2では、約束を守らなかった行為を指摘し、その理由を尋ねています。とかく日本の家庭では親子の距離が近すぎるあまり、親は無遠慮に子ども自身を否定するような言いかたをしてしまいがちですが、このような叱られかたをすると、子どもは自分が悪いとわかっていても親への反発が勝ってしまいます(親にダメ人間とみなされたと感じて、自己卑下の気持ちをもつ子どももいるでしょう)。その点、2のほうは「悪いのは子どものした行為である」という認識に立つとともに、「遊んだ後は片づけをする」という約束があったことを指摘し、なぜ約束が守れなかったのか、子どもに説明や弁明の余地を与えています。これなら、子どもは反発したり傷ついたりすることなく素直に自分の行いを反省し、親の指摘を受け入れるでしょう。

 1と2の違いを明確に意識することは、親にとって大きな意義があると思います。たとえば、叱られる子どもの立場に立ってみましょう。1のような叱られかたをされると、子どもは「自分はいけない子だ」と言われていると受け止めるでしょう。しかし、2のような叱られかたをされたなら「悪いのは自分の行いだ」と受け止めるのではないでしょうか。この違いが大きいのです。そもそも親は何のために叱るのかというと、子どもに何がよくて何が悪いかを考えさせ、適切な行動を選択できる人間に育てることにあります。どちらがこの目的に叶った結果をもたらすかは言うまでもありませんね。

 親の願いはわが子が自分自身にプライドをもち、何事にも責任をもって行動できる人間に成長することであろうと思います。このような親の愛情や期待をわが子に浸透させるためにするのがしつけです。このしつけの繰り返しによって、やがて子どもはことの善し悪しを自分で判断して行動できるようになります。この段階に至ってしつけは終了します。この流れを念頭に置いたとき、目の前の子どもの現実にどう向き合うべきかがおのずと見えてくるのではないでしょうか。毎日の子育て場面を大切に!