「聞く力」と「話す力」を育む家庭の会話
秋が深まってきました。秋と言えば「スポーツの秋」「食欲の秋」「読書の秋」など、「~の秋」とよく形容されます。気候的にしのぎやすく、何をするにつけても快適だからでしょう。おまけに、春よりもどこか落ち着いた雰囲気がありますから、注意を集中させてやるべきことに没頭できるのも秋のよいところです。お子さんには、読書を大いに楽しんでいただきたいですね。
ところで、今回は家庭で交わす親子の会話のありかたについて共に考えてみようと思います。児童期までの子どもにとって、親と言葉をやりとりする機会は単なる会話以上の重要な意味をもっています。たとえば、家庭内でのおかあさんとのやり取りは新たな言葉を獲得する場になり、人の話に耳を傾けて理解する力を養う場になり、自分の思いを整理整頓しながら他者に伝えるスキルを磨く場になります。つまり、子どもにとってコミュニケーション能力を磨く絶好の場となるのです。
学力形成とコミュニケーション能力には密接なつながりや関係があります。たとえば、テストで常に好成績をあげている子どもは、学校や塾の授業において、先生の説明を頷きながら集中して聞いています。そして、「あれ?」と思ったときには表情が変わったり首を傾げたりします。いっぽう、授業の場を生かせない子どももいます。そういう子どもは、先生の説明を聞いていても視線が先生のほうにまっすぐ向けられておらず、いつのまにかボーっとしたり、手悪さをしたり、周囲の子どもをつついたりしています。「おっ、ちゃんと板書をノートに書き写しているな」と思ったら、漫画を描いていてがっかりさせられるのもこういう子どもです。このことからも、「聞く力」がどのような状態であるかによって、学習成果(授業効果)に大きな差が生じることがおわかりいただけるでしょう。
話す力も学業成果に直結する重要要素です。勉強のできる子どもは、自分の考えを順序だててわかりやすく話すことができます。学業面で苦労している子どもはその逆です。話しかたがたどたどしく、聞いているほうもまるで要領を得ません。理路整然と話せるのは、思考回路が鍛えられているからです。相手の話していることを正確に受け止めて理解し、自分の考えと突き合わせたうえで、相手に伝えたい事柄を筋道立てて言語化することができます。ですから、理路整然と話すことができない子どもは、思考の内容も脆弱で理解も浅いのは想像に難くありません。これらのことからも、コミュニケーション能力の発達の個人差が、学業成績にてきめんに表れるのは当然のことだとわかりますね。
では、どうしてこのような差が生まれるのでしょうか。そこで着目していただきたいのが今回の表題です。小学生の子どもの「聞く力」「話す力」は、大半がそれまでの家庭内会話によって培われたものです。どんな会話を通して育ったかによって、これらの能力の発達に差が生じるのです。そのことを理解していただくうえで、まずもってお伝えしたいことがあります。それは、子どもが普段家庭で使っている言葉が、学校や塾で要請される言葉に近いものなら授業の場をうまく生かせますが、公の学習の場で要請される言葉と異なるものだと授業で得られるものがどうしても貧弱にならざるを得ません。また、互いに相手の言うことに耳を傾け、きちんと受け止めたうえで自分の言いたいことを伝える習慣があったかどうかも学力形成に随分影響します。このことをおかあさんが理解され、家庭での親子の会話に留意されれば、お子さんの授業適性も随分変わるでしょう。つぎの2つのイラスト場面を見てください。
普段は、どのご家庭でもAのような会話をされていると思います。家族同士の会話ですし、目の前に相手がいます。言葉でいちいち説明しなくても目つきや表情、しぐさなどで大抵のことが伝わります。「おいしいね」の一言で万感の思いが伝わってきます。「こっちの会話スタイルのほうがいい」と思う人も多いことでしょう。しかしながら、それは状況を共有していてこそのことです。こういう言葉遣いしか経験していない子どもは、学校や塾での授業で困ることになるでしょう。というのも、大勢の前では伝えるべきことを明確に言葉で誰にもわかるよう話すことが求められるからです。また、教科書やテキストの著述内容を受け、それを全体で共有しながら言葉を選んで話す必要があります。さらには、先生は子どもたちが学習内容を適切に理解できるよう、長いセンテンスで、「~だから」「しかし」「それに」「ところで」などの接続語を多用して説明します。こういう言葉遣いに慣れていない子どもは、先生の話の流れについていけず、理解に難渋するおそれが多分にあるでしょうし、質問や発表をするときも自らの思いを適切に言語化することができず、もどかしい思いを繰り返すことになります。
学校などの指導場面においては、先生は不特定多数の子どもを相手にしています。特定の子どもを相手にするのではなく、全員に向かって「みなさん、これは結局~なんだということがわかりますか?」などと話しかけます。「です」「ます」などの丁寧語が多用されます。このような言葉遣いに慣れていない子どもは、自分にも語りかけられているのだという自覚が希薄で、他人事のように聞き流してしまいがちです(そういう話を指導現場からよく耳にします)。このことを踏まえると、日常生活では親子という親しい関係だからこそ成立する言葉遣いのほか、丁寧で詳しく説明するBのような言葉遣いも日常生活で体得しておく必要があるでしょう。また、来客との会話や、電話応対での言葉遣いを子どもに聞かせ、かしこまった表現や、フォーマルな言葉遣いに触れる経験もさせておくと、公の学習の場で求められている言葉遣いの習得もスムーズに行えるでしょう。これらを考え合わせると、毎日の親子間の会話の時間が十分かどうか、またAB二通りの会話がなされているかどうかを振り返ってみる必要があるかもしれませんね。
二つの会話スタイルに軽重はありません。家庭内ではどちらも大事にしていただきたいですね。大切なのは偏らないことです。親しい間柄だからこそ成立する言葉遣いだけでなく、不特定多数の人にもきちんとコミュニケーションが成立する言葉遣いの両方に触れる経験をお子さんにさせてあげてください。
次回は、親子の会話の現状を一緒に振り返っていただきます。そして親子の会話が何にも代えがたい重要なものなのだということを再度確認したいと思います。