中学受験が子どもの人生に及ぼす影響

 6月も半ばを過ぎました。あとひと月足らずで夏休みです。全国の学習塾においては、夏休み講座の受講生募集の真っ最中であろうと思います。ご存知のように、勉強は不規則に取り組むよりも、継続的に取り組んだほうが成果に繋がります。ダブルスクールを回避できる夏休みは、毎日のスケジュールを一定ペースで組み立てられるため、勉強にリズムが生まれて軌道に乗せやすくなります。こうしたこともあり、中学受験準備のための学習塾通いを夏休みから始めるご家庭は少なくありません。

 ところで、本コラムをお読みのかたの多くはお子さんの中学受験を念頭に置いておられると思います。中学受験をする理由については、個々で多少考えが違っているかもしれませんが、大学受験、そして社会への参入までを見通し、将来の進路選択に幅をもたせようという点ではおおむね同じであろうと思います。かつて中学受験といえば私立の中高一貫校への受験が大半を占めていましたが、近年は公立の中高一貫校も全国的に増加し、受験する児童の数も増えています。無論、国立大学の附属学校も昔から全国各地にあり、高い人気を維持している難関校も少なくありません。

 私はかれこれ40年中学受験に関わる仕事をしています。この長いキャリアを通じて確信するに至った中学受験の意義について今回はお伝えします。受験は志望校に入るためにするもので、やむを得ない手段とみなす人も多いことでしょう。しかし、中学受験で着目すべきは、受験生が人間として未完成な小学生だということです。それは、受験をめざすプロセスが子どもの成長に深く関わることを意味するでしょう。合格をめざしてどんな勉強にどう取り組むかが、子どもの内面の発達に少なからぬ違いをもたらすのです。つまり、受験の成果は目に見える結果(どの中学校に受かったか)だけでなく、子どもの行動様式やものの考えかたの形成、さらには知的能力の発達にもずいぶん影響します。そこに中学受験のもつ大きな価値や可能性を見出し、私は強く惹かれるのです。

 先日、ある私立中高一貫校のホールをお借りして、「子どもの未来図をどう描くか」というタイトルのイベントを開催しました。以前勤務していた中学受験専門塾の委託で企画したものです。そのイベントの冒頭で、「中学受験の意義はどこにあるのか」について私の考えを保護者にお伝えしました。それをこれからご紹介してみようと思います。なお、催しの冒頭から大上段に構えた話をすると場の雰囲気が重くなりがちですので、まずは「中学受験がきっかけとなって、子どもの人生が変わったのではないか」と思った経験をご紹介しました。

 だいぶ前のことです。知り合いに私がしている仕事の話をしたら中学受験に興味をもたれ、6年生になる息子さんを私の勤務する学習塾に通わされることになりました。それまで塾通いの経験がなかった息子さんは、慣れるまで随分時間がかかったでしょうし、しんどい思いもしたことでしょう。夏ごろまでは平均点をとるにも苦労していたようでしたが、秋が深まるころから成績が上がり始め、最終的には地域最高峰の私学に合格しました。思いもしない結果を得て、ご両親も驚かれたご様子でした。その息子さんは中学進学後ますます頭角を現し、やがて難関として知られる国立大学の医学部に合格。現在は大きな病院の腕利き外科医として活躍しています。外科医姿がまるでそうなるために生まれてきたかのように見える彼ですが、そもそものきっかけは中学受験をするには手遅れに近い5年生の終わりごろ、私と彼のおかあさんが交わした世間話だったのです。

 中学受験をしたことで、もちまえの才能が見事に開花した事例はほかにも多数あります。そして、それらを目撃するたびに、「中学受験をしなくても、この人は同様の人生を歩んだだろうか」と自問するのですが、その度に「否」と思わざるを得ませんでした。なぜなら、頭をフル稼働させ、思考を巡らせて問題解決にあたる児童期の経験なしに、あのような才能開花が実現するとは到底思えなかったからです。

 ある遺伝学者は、「人間の能力は遺伝子の決めている範囲を逸脱することはできない。ただし、遺伝子が決めている範囲をすべて使っているかというと、実はごく一部しか使っていない。ほとんどの人間は、自分に備わった能力に気づくことのないまま人生を終えている」といった趣旨のことを述べておられます。そして、「人間が遺伝的にもらった能力は、自分が思っている以上に広い。それを開拓するのが学習である」とも述べておられます。中学受験をするということの意義は、まさにそこにあるのではないでしょうか。学校では体験できない奥の深い学習対象に触れて頭脳を鍛える。それをいくつもの教科にまたがって経験することにより、今まで顕在化することのなかった才能が日の目を見るのです。

 では、私の考える中学受験の意義についてまとめてみようと思います。

 

中学受験の意義

 

 

 中学受験対策の勉強においては、限られた時間枠のなかで、小学生にとってかなり高度な内容の学習をやりこなす必要があります。したがって、しっかりした計画を立て、毎日確実に実行する姿勢が欠かせません。このような生活を1年、2年以上繰り返しているうちに、高度な思考に適した頭脳が形成されていくのです。また、多くの情報を整理整頓し、重要性を序列化したり、処理の順序を判断したりする能力も養われていきます。こうした能力は、恵まれたハイレベルな中学高校の教育環境でさらに磨かれていきます。そして、やがて大学への進学、社会への参入において、高い次元の選択肢を得ることになります。この流れは、頭が柔らかくて吸収力に富んだ小学生時代の受験勉強が起点となってこそ形成されるものです。ある程度能力的に固まった中学生以後からでは育てるのは難しいでしょう。中学受験は、自分が遺伝的に有していた才能を顕在化するうえで大きな貢献をしてくれるのです。

 

 

 

 

 非認知能力とは何かというと、数値化できる認知能力(テストでの点数や順位など)に対応するもので、数値で表すことのできない能力を意味します。社会に出て仕事をするようになると、自分を通用させるには認知能力だけでは不十分であり、非認知能力を高いレベルで発揮することが求められるようになります。

 たとえば、他者との協調性、決断力、プレゼン力、先を見通して行動する能力、段取りをつける能力、コミュニケーション能力、責任感、粘り強さ、決めたことをやり抜く能力などがそれにあたるでしょう。中学受験において、得点力をつけることに傾倒しすぎると、これらの能力を伸ばすことは難しくなりますが、学習塾での集団指導の場をうまく生かしたり、家庭での学習を自分で工夫したりしていくことの繰り返しで磨いていくことができます。これらは中高一貫校への適応性とも深くリンクしています。そして恵まれた学校環境のなかでさらに強化されていきます。

 

 

 

 

 中学受験への挑戦を発端にして、①や②などの能力が高い次元で磨かれていくと、当然ながら将来就くべき職業についても選択肢は広がります。高度な頭脳ワークが求められる領域への挑戦も可能になるでしょう。また、知識の拡充に伴い、世の中にはあまり知られていないものの、興味深い面白い仕事があることにも気づくようになります。こういった将来に向けた視野の広がりは、中学受験という経験を経て、中高一貫校という恵まれた教育環境に身を置いたからこそ実現するものです。もちろん、家業を継ぐという選択肢もあるでしょう。その場合も、世の中の事象について十分な知識を得ていること、上記の①や②のような能力を携えていることは大きな強みになるに違いありません。

 かつて中学受験生だった子どもたちが、大人になってから思いもしない職業についていることがよくあります。女性の映画監督になったり、プロの棋士になったり、大企業の社長になったりしている例もありますが、これらも中学受験の経験が人生の歩みに影響を及ぼしているのは間違いないと思います。

 

 

 いかがでしょう。中学受験は親にとって楽しみもある代わりに、様々な配慮やサポートが欠かせませんから負担も大きいものです。自分で判断してやれる範囲が少ない小学生の受験ですから、まかり間違うと過剰な手出しをしてしまいかねません。しかし、それではわが子に中学受験を経験させることの恩恵に浴することはできないと思います。受験の助走で、「いかにしてわが子を自立させるか」という視点を失わないことが、成功に向けた大原則だと心得ていただきたいですね。