親が厳しいと子どもは伸び伸びと育たない?

 親はしつけについていろいろと迷うものです。たとえば、「子どもに対して厳しすぎると、子どもが委縮型で覇気のない人間に育ってしまうのではないか」と懸念するかたもおありでしょう。その結果、何事にも甘めの対応をしてしまい、子どもの我儘に手を焼くようなことはありませんか? そういうかたは、どちらかというと叱るのを苦手に感じておられるのではないかと思います。

 まず“厳しい”とはどういうことなのかを明確にしておきましょう。ここで言う“厳しい”とは、子どもに分別を要求し、逸脱した行動に及んだ時に見過ごすことなく反省を求め、ルールをきちんと守らせるような親の姿勢を意味します。その度合いが強いと、子どもの気持ちや行動の自由度が狭められ、その結果、伸び伸びと育たなくなるのではないかと心配されるかたもおありでしょう。今回はその点にスポットを当ててみたしだいです。児童期までの子どもにはまだ分別が備わっていません。それを教えるのがしつけですが、しつけ場面で一番難しいのは叱る場面です。どうしても親子間の感情の対立に発展しやすく、親にとって悩みの種となりがちです。したがって、今回の表題も叱りかたの問題に関わっているのだと受け止めていただいて構いません。

 では、「親が厳しいと子どもは伸び伸びと育たない?」に対する答えを一緒に考えてみましょう。すでに気づいておられるかもしれませんが、叱りかたしだいで子どもに与える影響が違うということに基づくと、答えは「伸び伸び育つ子どももいるし、そうでない子どももいる」ということになるでしょう。この違いを生み出す理由を考えていくと、子どもに対して厳しい姿勢で臨むことをためらう必要はないし、叱ることを否定する必要もないということに気づかれることでしょう。

 以下は、発達心理学者の岡本夏木先生(1926-2009)の著書の一部を引用したものです。今回の記事は、この部分に着目して書きました。

 二人のお母さん(一応AとBにしておきましょう)がいて、どちらも子どもをきびしくしつけているのですが、Aのお母さんの子はいつもおずおずしていて、すぐ人の顔色をうかがったり、暗い印象を与えるのに、いま一方のBのお母さんの子は子どもらしくのびのびと明るい場合があります。どちらのお母さんも同じようにきびしくみえるのに、どうして子どもに大きなちがいがあるのでしょうか。その原因はいろいろなことが重なり合っていて、なかなかこれときめるのはむつかしいと思うのですが、その一つに、Aのお母さんの場合、子どもは叱られる時、いつも「お前は悪い子だ」ときめつけられたと受けとっているのではないでしょうか。自分の好きなお母さんから、お前は悪い子だ、だめな人間だときめつけられることほど、子どもを不安にかりたてることはないのです。おそらく自分の存在をもっとも深い所でおびやかされることになるのでしょう。時にはそれがお母さんの愛情を疑うことになりかねません。お母さんの方は一所けんめい子どものことを考えていることに変わりないとしても。
 それにくらべて、Bの方の子どもは、お母さんの愛情を信じていて、お母さんは自分をいつも愛してくれている、そして、自分の行動がまちがっている時は、すぐ教えてくれるのだ、という信頼感があり、それが子どもをのびのびと思いきって行動できるようにしているのでしょう。

 ここまでをお読みになったうえで、よろしければ前回の記事(5月8日公開)をもう一度読み直してみてください。子どもの望ましくない言動に対する対応のしかたについて、今まで以上に明確な方向性が見出せるのではないかと思います。子どもを叱るには親にも勇気が求められます。しかし、子どもの何に対してどう叱るべきかについて、はっきりとした方針が定まれば、叱るのを躊躇したり、叱るべきタイミングを逸したり、感情的になって思いもしない叱りかたをして後悔したりすることも少なくなるのではないでしょうか。上記引用文の著者である岡本先生は、「しつけはあくまで行為の善悪を教えるのが中心であって、人の善悪を教えることではない」と述べておられます。厳しさの度合いは親それぞれに違いはあるでしょうが、子どものしつけにあたってはこの言葉を肝に銘じ、一貫した姿勢で臨むようがんばっていただきたいと存じます。

 ついでで恐縮ですが、上記の引用文が掲載された本に、子どもをもつ保護者にぜひお伝えしたいことが書かれていたので、ご紹介しようと思います。それは、“しつけ”という言葉にあてられる漢字についての考察です。先生は、「しつけという言葉に、『躾』という和製の漢字(国字)があてられているのをしばしば目にするが、しつけの本来の意味に基づくなら、着物を『仕付ける』ことに結びついて私たちの中に根を下ろしてきたと考えるほうが妥当ではないか」と述べておられます。私は、岡本先生のこの見解に触れて強く共感したものです。着物の形ができあがったら仕付け糸が外されるのと同様に、子どものしつけもそれ自体を不要のものにするための過程として存在するものだと思うからです。

 しつけは大人の命令や強制という形で行われるものではありません。子どもを鋳型にはめるのとはわけが違います。子どもが自分を正しく律することのできる人間に成長するためにするものです。わが子に厳しく接するのも、よくない行為を叱るのも、そのためなのですね。このことを意識すれば、子どもの望ましくない言動に対する対処法も自ずと明確になるのではないでしょうか。

 子育てには365日休みというものがありません。ですが、子どもをまっとうな人間に育てるという、これ以上ないほど重要な仕事です。考えてみてください。子どもは中学生になったらすぐさま思春期を迎えます。そうなると親の影響力は大きく後退します。つまり、児童期は子育ての仕上げ期なのです。仕付け糸を外す日はそう遠くありません。「親が影響力をもつのは後しばらくのうちだ」という認識のもと、毎日の子育てに向き合いがんばっていただきたいですね。

※上記引用文は、「子どもと教育 小学生になる前後」岡本夏木/著 岩波書店 によります。