子どもの知育に関する視点 ~みなさんはどう思われますか?~
みなさんこんにちは!このたび、本ホームページで教育コラムを担当することになった住田宏司と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
私がこの話をいただいたのは、「玉井式国語的算数教室」を通じて玉井式および玉井満代先生と交流があったからですが、もう一つ理由があります。それは、私が30年以上もの長きにわたって中学受験の専門塾に勤務し、小学生をおもちの保護者に向けた情報発信の仕事に携わってきたからであろうと思います。
受験生は、まだ児童期にあるしつけ途上の子どもです。中学生や高校生なら、精神面や行動面でかなり大人に近づいており、ある程度本人の判断力や実行力を信頼して指導できますが、児童期の子どもはそういうわけにはいきません。また、家庭勉強の成果を高めるには、家庭で生活を共にしておられる保護者と密に連携する必要があります。当然のことながら、保護者が子どもにどう関わるかは、学習成果に違いをもたらすだけでなく、人間形成にも影響しますから、子どもの自立促進という観点に立ったフォローをお願いすることになります。
このコラムで取り上げる話題は、上述のような私の経験を踏まえ、児童期の子どもの発達や家庭教育などが多くなると思います。というのも、小学生の家庭勉強の鍵は保護者が握っておられます。子どもとつかず離れずの適正な距離を保ちつつ、決めたことを子ども自身でやり遂げるよう保護者が促せば、学力のみならず人間的にも大いなる成長を引き出すことができるでしょう。本コラムでお届けする情報が、お子さんの健全な成長を願っておられる保護者の方々にとって、少しでもお役に立てたなら幸いです。
ところで、私が玉井式を知ったのは今から10年余り前のことです。「玉井式国語的算数教室」のユニークな試みに驚き、たちまち導入に向けて心を動かされたことを思い出します。しかしながら、いちばんのインパクトは玉井満代先生という人物でした(おそらく、多くの学習塾関係者の方々も同じでしょう)。玉井先生は教育に深い造形をおもちであるだけでなく、国際人としての見識や、卓越した表現力・存在感を携えておられ、その一挙手一投足はオーラに満ちていました。なによりも、玉井先生の言葉の端々に子どもの成長を心から願っておられるご様子が感じられ、強い共感を覚えました。以来玉井式との交流が始まり、2015年からの数年間、玉井式のHPにブログ(教育コラム)を掲載させていただく栄誉を賜りました。今回は、玉井式の公式HPリニューアルに伴って再びお話をいただきました。玉井先生にはこの場を借りてお礼を申し上げます。
前置きが長くなりましたが、ここから本題に入ります。まずは子どもの知育に向き合うスタンスを話題に取り上げてみました。つぎの1~3のうち、みなさんはどの考えかたに近いでしょうか。
子どもの学力形成における基本的見解
1.勉強は、カリキュラムを早めに消化し、難しい課題に数多く挑戦したほうがよい。
2.勉強は本人のやる気しだいだ。子どもがその気になってからがんばればよい。
3.1にも2にも懸念する点がある。どちらでもない。
1は、「訓練主義」と言われる考えかたに近いでしょう。勉強のレベルや量が成果を規定すると考え、早目に子どもを追い込んで知識や技能を習得させることを重視します。子どもを大人の期待するような優秀な人間に、大人の力で引っ張り上げて行こうというわけです。それが結局は子どものためになるという考えに立ち、子どもの意思よりも大人の方針に基づく取り組みを優先します
2は、「子ども不在の勉強は意味がない。子ども自身に自覚が芽生えてからがんばればよい」という、子どもの成長を待とうという考えかたに基づきます。これは「成熟主義」などと呼ばれています。
しかしながら、なかには「どちらにも賛成しかねる」という人もおありでしょう。みなさんはどうですか? 私自身は、玉井式は3つ目の考えに近いのではないかと考えています。ただし、1でも2でもない観点とはどういうものかを具体的に示す必要があるでしょう。
玉井式の教材は才能開発を謳っています。また、学校の進度を先取りする単元があります。そのため、1の訓練主義を連想されるかもしれません。しかし、そうではありません。才能開発は、進度や難度を早めに上げていくこととは一線を画します。子どもに宿る可能性を、最も適切な時期に刺激を当てることによって芽吹かせるのが目的です。また、指導要領で定められたカリキュラムは、最適な時期を考慮して割り当てられているとは限りません。たとえば、算数などは単元割の都合で最適期を逸した時期に学ばせているケースも見られます。
心理学に敏感期(感受性期)という言葉があります。ある刺激を浴びたとき、脳の神経細胞がもっともよく反応する時期を意味します。このタイミングが学習の最適期に他なりません。玉井式が実践する才能開発とは、子どもに宿る能力を科学的知見に基づいて引き出すことなのです。早期英才教育とはそこが違います。この考えに基づくなら、子どもの発達の流れを考慮せずに「早く!早く!」と子どもを追い込む訓練主義も、「子どもがその気になってから」とのんびり構える成熟主義も望ましくありません。
以上からもおわかりいただけると思いますが、子どもの能力開発においては、「ある時期までに経験しないと、後からでは身につきにくい領域」があります。その❝ある時期❞とは、多くの場合は小学3~4年生ごろですが、先々学力面での大成を視野に入れるなら、学習に適した頭脳が形成される児童期までの学びを大切にすべきです。今だからこそ学んでおきたいことがあるのです。
本コラムでは、児童期のお子さんをおもちの保護者に、前述のような観点に基づく情報をお届けします。玉井式の活用や家庭勉強に役立てていただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
<押さえておきたい!> 大切なのは進度・難度ではなく学習の実効性です
1.世界中の公教育が6歳頃から始まるのには理由があります
世界の公教育をみると、その大半が6歳前後を就学年齢と定めています。これには理由があります。人の話を聞いて理解したり、自分の考えを言葉で発信したりできるようになり、集団での指導に順応する態勢が整ってくる年齢期だからでしょう。また、文字や数字などの記号を介したコミュニケーションが可能になる、鉛筆を握って文字を書ける筋力が備わってくるのもこの頃です。就学段階では個々の学習体験に差があり、早めに先へと進んでいる子どもが有利に見えますが、焦る必要はありません。また、「うちの子は、先へ行っているから安心」と考えるべきでもありません。その理由は2でお伝えします
2.子どもの知的欲求を喚起する学習を大切にしましょう
とかく親は、早く難しいことをわが子に学ばせたくなるものです。しかし、成果はどうでしょうか。早くから読み書きを教えると子どもは覚えてくれます。しかし、それは親がほめたり要求したりするからです。いっぽう、就学後に読み書きを学び始めた子どもは、「文字って便利だ」ということを肌で感じ取り、「家族に手紙を書こう!」など、実場面で使いたいという意欲に突き動かされて学びます。そして、後れを取っていたかに見えた読み書き学習も、1~2年で先行体験のある子どもを追い抜いてしまいます。お子さんの、内なる欲求を喚起する学習を大切にしたいものですね。