ヘリコプターペアレントにならないで!

これまでお伝えしたことからおわかりいただけたことと思いますが、児童期前半までの子どもにとって親は絶対的な存在です。それが年齢とともに少しずつ変化し、児童期の終わりが近づくと親の影響力はだいぶ後退していきます。そうして、やがて中学生の頃になると児童期と一変し、ことあるごとに親に反発するようになります。すなわち、思春期が訪れるわけですが、この段階をもって子どもは実態はともあれ親とは精神的に独立した存在になっていきます。

「えっ? 自分にもかつて思春期があったけれど、親となった今、わが子の思春期がどのようなものか漠然としか想像できません」という保護者もおられるかもしれませんね。そこで思春期の子どもをもつ親の戸惑いの様子を描いた文献の一部をちょっとご紹介してみましょう。

 親の気持ちはだれでもわかる。子どもたちに健康で幸せになってもらいたいのだ。にもかかわらず、往々にして親の努力は報われないし、親の愛は煙たがれる。十代の子は余計な世話や忠告をうとましく思う。自分のことは自分でできる。自立した大人として見られたいのだ。

 子どもたちには親に指図されずに自分なりのやり方を見つけられると感じる必要がある。かれらは、ローンを必要とするが経済的に自立したがっている人間に似ている。親という貸し手がいくら協力的でも、十代の借り手は親に口出しされるのをいやがる。助けは干渉、心配は子ども扱い、忠告は親のエゴとみなされる。自立するのは怖いけれど、何よりも重視される。それに干渉する者は誰でも敵なのである。

 ティーンエージャーの親たちは困難な矛盾に直面する。助けようとすると恨まれるとき、どのように助けたらいいのだろう? 導いてやろうとすると拒まれるとき、どのようにして導いたらいいのだろう? 関心を示すときが攻撃と受けとめられるとき、どのようにしてコミュニケーションをとればいいのだろう?

 親が何を言っても、わが子は真意を正面から受け止めてくれない。それどころか、何かにつけ反発してくる。しかし、もはや頭ごなしに叱っても聞く耳をもってくれない。それが思春期の子どもです。この思春期が訪れたとき、親子間の断絶が拡大しがちな家庭の共通点としてしばしば挙げられるのは、児童期以前の「過保護・過干渉」です。私の記憶では、2000年前後から「モンスターペアレント」という言葉を耳にする機会が増えました。また、同じごろから「ヘリコプターペアレント」という言葉も使われるようになりました。これらは過保護・過干渉の親を象徴的に言い表す言葉です。

わが子が問題の渦中にさらされると、「すべて周囲が悪い」と強硬な態度になり、所かまわず文句を言ったり抗議したりする親がいます。これがモンスターペアレントですが、実際にはこのような親よりも、ヘリコプターペアレントのほうが圧倒的に多いのではないかと思います。かく言う私も、かつてその類であったように思い、今更ですが反省しています。

ヘリコプターペアレントは、子どものすることを黙ってみていられず、やたらとまとわりつく親のことを言います。ヘリコプターが対象物の周囲をホバリングしながら旋回しているさまになぞらえたのでしょう。世界的に少子化の波が押し寄せ、多くの国々で子どもの数が減っています。おまけに機械文明の発達に伴い、家事にかかる負担が随分軽減されています。必然、親はわが子の日常に目を向ける余裕が生まれ、あれこれ心配して手を差し伸べるようになります。しかし、それが子どもの自立心や決断力、行動力などの成長の妨げになってしまうという問題が生じています。このような子どもが思春期になると、親に全面的に依存しているにも関わらず、その親と自分を相対化してとらえる目をもたないために、むやみと反発し、衝突をくり返すような事態が生じがちです。過保護・過干渉のつけは、やがては子ども自身が払わされるのですが、親は親で苦労して育てたわが子との断絶を余儀なくされてしまいます。

ある児童心療内科の医師の著書に、「子育ては何のためにするのでしょうか。私は子どもと別れるためにするものだと思っています」というくだりがありました。親の子育ては、わが子を一人の自立した人間として生きていけるようにするための営みなのですね。今、おたくのお子さんは何歳頃でしょうか。お子さんが家を離れる年齢になるまで、あと何年残されていますか?その時期の訪れを想像すると、身の引き締まる思いをされるかたは少なくないと思います。私自身、一人息子が大学進学を機にわが家を去った際、がらんとした息子に部屋に立ち尽くしたとき、前述した医師の言葉を思い出し、何とも言いようのない感慨や寂寥感の混じった複雑な思いに襲われたものでした。

みなさんのご家庭はどうでしょう。一度、これまでを振り返ってみてください。もしも過保護・過干渉の傾向があったなら、つぎのような意識に基づいてお子さんに接してみてはいかがでしょうか。

①について。子どもはすべての面で大人とは程遠い存在です。ですが、親がわが子を一人前の人間として扱い、子どもの意思を尊重する姿勢で接すれば、自ずと子どもは自分の行動にプライドをもち、自分のすることに責任をもとうとするでしょう。無論、たいがいは未熟さを露呈します。しかし、その繰り返しが子どもを大きく成長させることになります。

②について。親が「きっとやれるよ!」といつも信じて励ましてくれるか、それとも「無理じゃない?」と懐疑的な対応をしているかは、子どもの意気込みに大きな影響を及ぼします。子どものやることの多くは、失敗しても許されることですから、まずは信じて見守り、手を貸さずにやらせてみることが重要でしょう。そういう親の子は、失敗を恐れず、何事もチャレンジする勇気を育むことができます。

③について。子どものやったことは、結果に関わらず振り返りをし、自分のしたことの結果を引き取らせることが大切です。子どもなりの努力が少しでも見られたら、まずはそのことをほめてやり、そのうえで気になった点を指摘し、「あれはどうだった?」などと、もう一度振り返ってみるよう促せば、子どももよくなかった点について向き合う姿勢をもつようになると思います。

※引用部分は、「Between Parent and Teenager ハイム・Gギノット/著 草思社 2006」によります。

 

<押さえておきたい!> しつけの敵は過保護と過干渉です

1.ヘリコプターペアレントにさよならしましょう!
昔から「おばあさんっ子は三文安い」などと言われます。過保護の親に育てられた子どもはもっと安いかもしれません。児童期は自立に向けた重要な時期にあります。子どものやることなすことを心配し、果ては全てに手を差し伸べてしまうと、子どもは大切な自立のチャンスを失ってしまいます。そのつけは、親の手が届かない年齢になってから代償として子ども自身が払わされることになります。ヘリコプターペアレントにさよならを!

2.子どもの独り立ちをイメージすると過保護にブレーキがかかります
子どもに過剰に手を貸すまいと思うものの、ついやってしまう保護者は、いつか来る子どもの独り立ちのときを想像してみましょう。たとえば、大学進学で遠くに旅立つとしましょう。子どもとの離別まであと何年残されているでしょうか。そのとき、「うちの子ならちゃんとやれるだろう」とわが子を送り出せるよう、子どもを精神面においても行動面においても信頼できる人間に育てておきたいものです。それを意識すれば、わが子に対する過保護を改めることができるのではないでしょうか。