学業成就の流れを築くための起点とは!?

 3月を迎え、あたたかな春が訪れようとしています。みなさんは‟三寒四温”という言葉をご存知かと思います。冬の時期、三日ほど寒い日が続いたあと温暖な日が数日続くといった具合に、ほぼ一週間周期で寒暖が繰り返される気象状況を言い表した大陸由来の言葉(中国北部や朝鮮半島)ですが、この現象はわが国では冬の終わりから早春にかけて見られます。

 多くの学習塾は2月頃に前年度の講座が終了し、小休止のあと新年度の講座(1つ上の学年の講座)に切り替わります。それはちょうど三寒四温の時節と重なり、いわば‟早春の風物詩”となっています。折しも子どもたちはもうすぐ1つ上の学年に進級します。人生経験の浅い児童期の1年間は、大人のそれよりもはるかに大きな意味をもちます。「上級学年になるのだ」という意識が、子どもの心のありように変化をもたらし、それが態度や行動に表れます。このタイミングを生かし、おおいに期待や励ましの言葉を投げかけてやりたいものですね。

 親は子どもの健やかな成長を願います。上級学年へと足を踏み入れるわが子に、おとうさんおかあさんはどんな期待を抱いておられるでしょうか。「もっとしっかりしてくれたら」「我儘な面が収まるとうれしい」「自分のことを自分でやれるようになってほしい」など、いろいろとおありでしょう。無論、玉井式の教室に通い(関心をもち)、この教育コラムをお読みくださっている保護者のことですから、勉強面においても進歩や成長を大いに期待しておられるでしょう。

 しかしながら、こうした保護者の期待に反して、「うちの子は勉強を嫌がって困る」という声をしばしば耳にします。これはどうしたことでしょう。そこでみなさんに質問です。子どもが勉強嫌いになる(勉強を嫌がるようになる)のはどうしてだと思いますか? 学者の書物には「もともと勉強嫌いな子どもなどいない」とあります。ものを知ること、興味の対象に思いを馳せることは人間の本性だから当然でしょう。それなのに、どうして多くの子どもが勉強嫌いになるのでしょう。

 保護者には申し上げにくいのですが、この問いかけへの有力な答えと思われるものの一つに、「親が勉強を強要したり、叱ってやらせたりするから」というのがあります。児童期の子どもは好奇心旺盛ですが、勉強の全てが好きなわけではありません。単調なスキルの繰り返しばかりやらされたり、興味のもてない難課題に多く取り組まされたりすると、大概の子どもは嫌がります。小学生、特に低学年児童は親が命令すれば意に沿わないことでも従いますが、内心は苦痛を感じている場合が少なくありません。そんな経験を繰り返していると、やがて「嫌だ!やりたくない!」と抵抗するようになります。

 では、どうしたらよいのでしょう。ここで保護者の方々にご紹介したいのが‟ハビトゥス”という言葉です。ハビトゥスはラテン語に由来します。「習慣によって形成された、無意識の領域まで浸透した行動様式」といったような意味をもつ言葉です。たとえば、決めた勉強時間が来たら大人に促されなくても自然と机に向かうようになる、といった具合でしょうか。遊びをやめて勉強を始めるのが億劫で、葛藤のあげく机に向かっても勉強ははかどりません。また、その様子を見かねた親が促したり命令したりすると、早晩勉強嫌いになってしまいます。時間が来たら、机に向かうのが当たり前になる。このような習慣が浸透したものがハビトゥスなのですね。

 十数年前、私立一貫校の校長先生とお話ししているとき、はじめてハビトゥスという言葉を耳にしました。以来、教育社会学者の著書などで目にするようになり、より詳しく知ることになりました。昨年も私立一貫校の校長先生が保護者の前でこの言葉を紹介されていました。どうやらハビトゥスは、教育の世界で着目されているキーワードの一つのようです。勉強を生活の一部として浸透させ、やるのが当たり前の人間になろう、あるいは勉強に限らず何事につけ、無意識レベルで自分のことを自分でする生活上の構えを身につけようということなのだと思います。それは、学業成就を可能にするだけでなく、自立した一人前の人間へと成長するうえでも大変意義のあることだと言えるでしょう。

 では、学習に関わるハビトゥスを子どもに浸透させるにはどうしたらよいでしょうか。習慣は繰り返しによってもたらされるものです。また、子どもが小学生のうちは、親の働きかけしだいで根づきます。「もっとやる気を出しなさい」と言っても効果はありませんが、「宿題は、学校から帰ったらいちばんにやっておこうね」と言えば、子どもはその言葉を受け入れてやろうとします。ちょっと例をあげてみましょう。以下は書物からの引用です。

ある成績優秀の高校生が、俗にいう一流大学に合格した。両親は青果物を扱う店で多忙な生活を送っていた。したがって、子どもの勉強に気を配るゆとりはなかった。しかし、子どもが小学校から帰ってくると必ず実行させることがあった。その一つは、母親が子どもと向かい合って座り、子どもの話を聞くことであった。
二つ目は、必ず机の前に座らせることで、それは10分から30分そして1時間と伸ばしていった。それが終わると子どもはおやつを食べ、遊びに行くことになる。親がしたことといえば、これだけの話である。しかし、これは含蓄のある話であり、そこに教育的・神経科学的な意義を見出すことができる。
では、教育的意義とはなんだろうか。両親は、教えることはしなかったが、自主的に学ぶ態度を育てたといえるだろう。それは幼い子どもに対して、サーカスの動物をしつけるような条件反射的なしつけ方であった。こうした小さい頃の他律的なしつけは、やがてこれが内面化され自律的な行為に転化していくのが普通である。事実、子どもは学校から帰ってくると、自律的に一度は机の前に座らなければ気がすまないようになった。 (中 略)
つぎに、神経科学的な説明をしてみよう。幼児の頃は、まだ自分なりの価値観はもてないのが自然である。この時期、机の前に座らすという行為を反復することは、子どもにある価値の神経回路をセットするということである。これは、同じことを反復していると、子どもが机を見ると、勉強に対する神経回路がよびだされ、リセットされるのである。
こうした回路のリセットとは、少ない心的エネルギーを使い、努力という言葉が不要になることである。人の脳は、善悪いずれの習慣も育てることができ、そのいずれに偏っているかで、人格が表されている。

 習慣は生まれつきのものではなく、経験の積み重ねや継続によって後天的に獲得される行動様式であり、誰でも身につけることができます。特に、子どもがまだ小さいうちは親が上手に導いてやれば、どの子どもにも望ましい習慣は根づきます。引用文にもあるように、習慣にはよいものも悪いものもあります。悪いほうの習慣は、親が関わらずとも子どもが勝手に身につけますが、よい習慣は親あってこそ身につくもので、家庭教育のなかでも重要なテーマの一つと言えるでしょう。ハビトゥスの形成は、児童期までの子どもをもつ親の大事な使命なんですね。
※上記引用文は、「脳力を伸ばす学び方」高井高盛/著 ちくま新書177によります。