「知りたい!」という欲求こそ、才能開花の原動力!
児童期前半までの子どもは何にでも興味をもちます。そして、「これって何?」と手にしたりいじったりします。遊びか勉強かといった区別はありません。子どもの好奇心に満ちた眼差しは、ほんとうに美しくかわいらしいものです。ところが、学年が上がると子どもの様子が変わっていきます。新しいことを調べたり、知ったりすることに喜びを感じなくなったかのようです。とても残念ですね。こうした純粋な好奇心をもち続けることこそ、人間の能力開花の大きな原動力になるからです。
私は、かつて勤務していた学習塾で15年あまり国語指導の現場で働きました。そのほとんどは入試を意識した6年生が相手でしたが、4年生の学習指導にも関わったことがあります。実際に4年生と接してみると、体格も思考レベルもまるで違います。はじめは戸惑いましたが、たちまち授業実践者としての生きがいを感じるようになりました。まだ子どもたちに「受験のための勉強」という意識がなく、純粋に国語の学習を楽しんでくれたからです。そのほうが、指導担当者としても楽しいに決まっています。
こんなことを思い出します。やや難解な物語文の心情表現に関わる問題を扱ったのですが、「4年生には難しい」と思い、手掛かりを教えようとしたら、「言っちゃダメ!今わかりかけているんだから!!」という女の子の大きな声が教室に響き渡りました。声の主は、いつも楽しそうに授業を受け、積極的に発言をしてくれる女の子でした。「えっ!?」と驚くとともに、意外な彼女の剣幕に押され、「あっ、ごめん、ごめん。もう少し考えてみようか」と、謝ったことを思い出します。
当時私は、「今のうちに本を読む体験をたっぷりと」と思い、4年生の授業では必ず本を一冊紹介していました。それにまつわる思い出も印象に残っています。ある本の一節を読んで聞かせたときのことです。宇宙人が地球の、それも日本のある家庭に突然現れました。出くわした家の主人は気絶してしまいます。やむなく宇宙人は家にいたネコにテレパシーで交信をします。するとネコは、「私が家の主だ」と言うではありませんか。「じゃ、そこに横たわっているのは?」と尋ねると、「あれは私の世話係だ」と答えます。「なかなか賢そうな世話係ですね。働きぶりはどうですか?」と再び尋ねると、ネコは「ああ、ミルクを用意してくれるし、住処を整えてくれるしとてもよくやってくれるよ」と答えました。そこまで私が読んだとき、教室に「うー、うー」という声が響き渡りました。何と、子どもたちは「ネコに人間がバカにされているなんて悔しい!」と、我知らず唸り声をあげていたのでした。
あれから数年後、地域最難関の私立女子一貫校にクリスマス行事の取材で訪れたら、私に気づいた数名の中学生が「先生、久しぶり!」と、笑顔で駆けつけてくれました。何と、あのときの4年生たちが私を覚えてくれていたのでした。「そうか、みんな随分優秀な子どもたちだったんだな」と、自分の不明を恥じる気持ちになったことを思い出します(さらに数年後、そのクラスの子どもたちが東大、国立大学医学部、トップ私大の理工学部など、優秀な大学入試結果を得ていることを知り、再び驚かされました)。
私は子どもたちに勉強の楽しさに触れてほしいと思っています。大人に命じられて苦痛に耐えながらの勉強を児童期に体験すると、勉強のもつよさに気づかないまま大人になってしまいかねません。そんな人生は悲しいとしか言いようがありません。しかし、それだけではありません。楽しく学ぶ、好奇心を満たすような学習を体験することは、人間の頭脳形成にとっても大いに意味があります。どういうことかを、これからお伝えしようと思います。
脳科学系の本によると、人間が何かに興味を惹かれて探索行動に走っているとき、記憶を司る海馬という脳部位でシータ波(θ波)と呼ばれる脳波が発生します。この脳波は1秒間に5回規則正しく刻まれます。これをシータリズムと言いますが、このリズムを伴う学習をしているときは普段よりも5~10倍の速さで学習が進むと言われます。圧倒的な効率のよさですね。真剣な眼差しで一生懸命考えているときの子どもは、見ていて気持ちのよいものですが、実質面においてもすばらしい成果を収めていることがわかりますね。
シータリズムを伴った学習の利点はほかにもあります。海馬に送られた情報は、重要と認識されたものほど長期記憶として加工される確率が高くなります。復習は学習事項の定着に欠かせませんが、興味をもって学んだことほど長期記憶に残されますから、復習の回数やそのために要する時間も少なくて済むことになります。嫌々学ぶよりもはるかに記憶に残るんですね。無論、テスト結果もよいのは自明のことでしょう。その違いは傍目には能力差と見られがちですが、学習への関わりかたによるところも少なくありません。まさに、「楽しく学ぶべし!」なのですね。
そもそも、小学校課程の学習は楽しいはずのものです。算数には、数にまつわる事象をシンプルな計算式で解き明かす楽しさがたっぷりと詰まっています。それは公式を自分で編み出す学習に他なりません。楽しいに決まっています。国語は、母国語習得に欠かせないだけでなく、文章を通じて様々な世界や人間に触れる楽しさを満喫させてくれます。知識を拡充し想像力を育むうえで、多大な貢献をしてくれることでしょう。理科は、自然界の現象についての謎を解き明かすワクワク感をたっぷりと味わわせてくれます。社会は、人間の辿ってきた歴史を振り返ったり、現在の日本や世界の様子を学んだりできますから、知りたいことが尽きることなく湧き出てくる教科です。このように、それぞれの教科には特有のよさがあり、例外なく学ぶ楽しさや喜びを与えてくれるものです。お子さんがそれに触れることなく大人になるのは、あまりにも残念なことではないでしょうか。児童期の学びは、心豊かな人間に成長するための基盤形成に貢献してくれるのですから。
おたくのお子さんの学習の取り組みの現状を振り返ってみてください。算数にせよ、国語にせよ、楽しげな表情をして学んでいますか? 好奇心の発動に促されている様子がうかがえますか? 以前もお伝えしたかもしれませんが、親にはわが子に「がんばってほしい」「学力の高い人間に育ってほしい」という強い願望があります。それが高じて、勉強を強要するような関わりかたになっていることはないでしょうか。子どもがどう育つかと、親が子どもにどう関わるかは、表裏一体の関係にあります。もし、「反省すべき点がある」と思っておられるなら、今からすぐに実行されることをお勧めしたいですね。児童期までの子どもは、まだ十分に環境適応性が残っています。「親が変われば子どもも変わる」と信じてお子さんに接してあげてください。
なお、「どう対応をすればよいのか迷う。わからない」というかたもおありでしょう。そういうかたは、本コラムの過去の記事も参考にしていただけると思います。また、いずれそれをテーマに書いてみようと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
<押さえておきたい!> 児童期の学習体験が将来の歩みを決定します。
1.楽しいという感情が学習の効率性を高め、記憶力強化にもつながる。
知りたいという欲求を満足させると、誰でも楽しさや喜びを感じます。こうした体験を児童期までに繰り返すと、効率のよい学習の実践者になれるし、学習事項をより多く記憶に残せる人間に成長できます。子どもの学びにはムラがありますが、温かく辛抱強く見守ってやりましょう。できないことができたとき、大いに喜んでやりましょう。それが子どもの頭脳形成に大きなプラスの作用を果たします。
2.児童期に学習の楽しさを経験すると、生涯学び続ける人間になる!
児童期に学んだことは、一人ひとりの原体験としていつまでも心に残り、人生の歩みに様々な形で影響を及ぼします。傍目には辛そうに見える勉強を、嬉々とした表情でやりこなしている子どもがいますが、それは勉強の楽しさを経験し、その醍醐味をよく知っているからでしょう。そういう子どもは、学びに対する高い志向性を保ち、生涯熱心に学ぶ人間に成長していくことでしょう。