子のイラストバックナンバー

2019.4.5

子育ての真っ最中にある
あなたへ


 新学期がいよいよ始まります。みなさんのお子さんは、今春何年生になられますか? これまでよりも一つおにいさんやおねえさんになることを自覚し、ちょっぴり誇らしい気持ちを抱いておられるのではないかと拝察いたします。

 新たな春を迎えることで、ことさら内面に大きな変化が生じるのが新小学1年生です。小学校への入学は、子どもにとってカルチャーショック以外の何物でもないからです。幼稚園では最年長だったのに、小学校に入学するとたちまち最年少の立場に逆転するのですから。これまで通っていた幼稚園と比べて、校庭の広さ、校舎の建物の大きさ、人の数の多さ…何もかもが劇的に変化します。このことに驚きやショックを感じないお子さんは、おられないのではないでしょうか。

 30年、40年にわたって人生経験を積んでこられたおとうさんやおかあさんならいざ知らず、幼稚園児や小学生のお子さんにとっての毎日は、新鮮な驚きや発見の伴う体験の連続です。そして、その一つひとつが人間としての個性を形づくっていきます。それだけに、どんな生活環境、教育環境をあてがうかは、わが子の人生の歩みに莫大な影響を及ぼすのだということに思いを致さずにはいられません。

 以上のことから、幼稚園児や児童期の子どもをもつ親にとって、子育ては決して疎かにできない重要な仕事であることを意味するでしょう。みなさんはどうでしょう。毎日ストレスなく子育てを楽しんでおられるでしょうか。筆者のかつての経験からも、数多くの保護者と接した経験に基づいても、子育てとは大変な苦労やストレスが伴い、しかも投げ出すことのできない重要な仕事だと言わざるを得ません。この親としての仕事を全うしてこそ、わが子は一人前の人間に成長し社会へと巣立っていくことができるのですね。

 しかしながら、何事につけ始まりがあれば必ず終わりの時期もやってきます。子育てを終えた後の自分の姿を思い描き、毎日悔いの残らぬ親業を実践すべくがんばっていただきたいですね。今回は、絵本作家の佐野洋子氏(1938-2010)の著書に、子育てを振り返って書かれた箇所がありますので、ご紹介してみようと思います(少し長くて恐縮です)。

 もはや初老に突入している私、および友人達は一応子供を育て上げた。
 友人の夫が妻に「あなたの一生で、いちばんよかったことは何だった」と聞くと妻は間髪を入れず「子育て」と答えた。「じゃあ、一番大変だったことは」「子育て」
 彼らの子供は、私なんぞから見ると、実にすくすくと何の問題もないめったにお目にかかれない様な立派な若者たちであり、子供の時も、健やかで、何よりも、はつらつと私達を楽しませてくれた。そんな恵まれた子供を持った母親でさえ、子育ては、全身全力で闘うべき大事業であったのだ。
 私なんぞは狂乱の子育てで、狂乱したからこそ、その中身の手ごたえは充分で、今になると、思い出すさえ、涙が甘ったるくにじみ出る。
 おうおう、よく生きのびて、でかくなってくれた。ありがたい。おうおう、私よ、なりふりかまわず見苦しく幾多のあやまちを犯しながらよくがんばった。
 私が狂乱していた昔、河合隼雄(心理学者、1928-2007)は今の様に、日本にあまねくいきわたっていずおすがり申すわけにはいかなかった。
 私は常にオロオロしていた。
 『こころの子育て――誕生から思春期までの48章』は、具体的な問いに河合先生がやさしく答えて下さる実に親切な本である。
 例えば、
・イライラして叱ってばかりいます。
・「早くしなさい」「それはだめ」と小言ばかり云っています。
・子供がいじめにあったときの対応を教えてください。
・悩み始めると迷ってばかり、さっぱり結論が出ません、等々。
 生まれたときから自立するまで私達がウロウロしていて、今読むと、子育て時代が、赤ん坊の乳くさい手のひらややわらかいうでの感触が、急に体中に角材を組み込んだ様な“が体”にぬうっとでかくなり、足を見ると足の爪のそばに黒い毛が生えて、仰天した時のことが、思い出され、もう一度子供と共に過ごした年月がよみがえって、ため息をついた。あの時この本があったら、私はもっとましな子育てができただろうか。
 いややっぱり出来なかっただろう。
 何故なら、人間一人子ども一人の持っている世界は私達を存在させている果てしない宇宙、まだほとんど解明されていない宇宙と同じ位、その小さな体の奥に広がっているからなのである。時に人間について多少わかった様な気がする事があるが、それは、宇宙衛星ひまわりが持ち帰る情報程度なのだ。
 (中略)河合先生がくり返し教えてくれることは、一人の子どもをおそれを持って見守りなさいと云うことだろうか。
 どんな子供にも、宇宙の果てが解明出来ない様に、おそろしい闇と、光が無限にあるという事のような気がする。

 佐野氏は、予想もしていなかった様々な子どもの現実や反応に振り回されたり、感動させられたり、泣かされたり、七転八倒したりしたご自身の子育て経験を振り返り、「あの頃に河合隼雄先生のような存在があったなら」と慨嘆しつつも、それでいて「七転八倒している時、少し待ちなさい、近視眼になるのはやめなさいと云われて、『はい、そうしましょう』と仲々なれないのである」とも述べておられます。

 佐野氏の子育て回顧は、どのようなすばらしいアドバイスを得ようと、親はそれぞれに苦労を経ずして子育てを終えることはできないのだということを教えてくれているように思います。まさに、「七転八倒の苦労を伴ってこその子育てなのだ」ということではないでしょうか。この苦労を自分なりに乗り越えたとき、親は本当の意味で人の子の親になれるのでしょう。

 最後に、河合隼雄先生の本の中に、「思い通りにならないことこそ、ほんとうにおもしろいことなんだと思うんです」という文言があるのをご紹介しておきます。子育ての最中にある親に、大いに励みを与えてくれる言葉ではないでしょうか。子育ての苦労は、わが子あってこそのもの。その苦労を楽しむ心のゆとりをもちたいものですね。

H.S

2019.4.12

親の養育と子どもの育ちの関係を
シンプルに読み解く


 本コラムをお読みいただいているかたの多くは、幼稚園児や児童期前半のお子さんをおもちの保護者であろうと思います。言うまでもありませんが、お子さんは人間形成の途上にあり、しつけにおいて大変重要な年齢期にあります。毎日わが子に接する時間において、親としてどのように振る舞うかが、お子さんの人間形成に多大な影響を及ぼすことになります。

 みなさんはご自身の性格的特性は、どのようにして形成されたのだと思っておられますか?自分の性格は、生まれながらにして決まっていたのだとお考えですか?それとも、ご自身の生まれ育った環境との強い関連性を意識しておられますか?

 親の養育傾向と子どもの成長との関係を専門的に研究した学者としては、ダイアナ・バウムリンド氏が有名です。氏は3~4歳児とその親を対象とした研究の結果、親の養育姿勢を3つに分類し、それぞれのタイプごとに児童期、青年期になった段階の子どもの人間的特徴を明らかにしました。

3つの養育タイプと子どもの成長の関係
親の養育タイプ 児童期の子どもの特徴 青年期の子どもの特徴
①指導的である(権威がある) 学業優秀、社会性がある 自尊感情が高い
社会性が備わっている
学業優秀、道徳心が備わる
②権威主義(威圧的な姿勢) 学業や社会性はふつう 学業や社会性はふつう
平均的な道徳心
③甘やかす 学業が振るわず社会性が低い 学業は振るわない
自制心が低い

 それぞれの養育タイプについて、もう少し詳しくご説明してみましょう。

①権威がある親 「子どもを自立した人間に育てよう」という明確な方針をもち、子どもの置かれている状態に応じて、臨機応変に導いていくタイプです。親の要求を一方的に押しつけるのではなく、子どもとのコミュニケーションを大切にし、子どもの要求にも耳を傾けながら、何事も自分で考えて行動するよう励ましサポートしていきます。子どもの逸脱に対しては、巻かれてしまうのではなく、必要なときには厳しい姿勢で臨みます。親の権威を振りかざすのではなく、真に権威を携えた親と言えるでしょう。

②権威主義的な親 親の当てはめた価値観や基準に基づき、子どもをコントロールしようとします。子どもには服従を求め、歯向かうことを許しません。子どもが親の思い通りに行動しない場合、やるべきことがきちんとやれない場合は、厳しく叱り罰を与えることもあります。子どもの意思や考えを尊重することはなく、言われたことを責任も取ってやることを子どもに求めます。子どもの自発性を尊重しようという姿勢はなく、親のコントロールに従うことを常に子どもに求めます。

③甘やかす親 子どもに立派な人間になってもらいたいという願いはあっても、そのための子育ての方針が定まっておらず、何かにつけ子どもの我儘に巻かれがちな傾向があります。そのため、家庭は常に混乱しがちです。子どもに対し、やってよいことといけないことの線引きを明確に教えることができず、子どもにルールに則って行動しようという規範の意識が育ちません。したがって、子どもは成長に伴って集団内でトラブルを頻繁に起こすことになりがちです。

 バウムリンド氏の研究は、1970年代のものです。したがって、最近ではもっと詳しい分析のできる資料も数多く見かけます。しかしながら、今となってはシンプルな分析ですが、それだけに子育ての傾向と子どもの成長の道筋との関係がわかり易いとも言えるでしょう。

 筆者が指導現場に立っていたころは、こういった研究資料を見たことがなく、随分勘違いをしていたものです。たとえば、クラスをかき乱し、教室を混乱させがちな男子児童にてこずったことがありますが、そういう子どもの親について誤った想像をしていました。こういう子どもの親はこわいタイプではないかと勝手に思い込んでいました。

 ところがあにはからんや、いざ面談でおかあさんにお会いすると全然違うのです。「いつも息子が御迷惑をおかけしていると思います。ほんとうにすみません。親の言うことなんか全然聞かない子なんです。遠慮なく、どんどん叱ってやってください」などと言われるのです。そういうことが何度か続いて、やっと得心しました。親のコントロールが効かないから、子どもがあんなふうになってしまうのです。

 いっぽう、自己表現を控え、いつもひっそりとおとなしい感じの子どもは、「きっとおかあさんも、おとなしくて優しいんだろうな」と思っていると、これが全く違っているのです。非常に厳しく子どもに接しておられるタイプの親だったのです。

 こうしてみるとおわかりのように、「子どもは親が育てたように育つ」のですね。②のようなタイプの子育て、③のようなタイプの子育てのどこが問題なのかがわかってくるのではないでしょうか。

 ただし、子育てのタイプは、①②③とはっきり区別できる親は稀でしょう。たとえば、普段は①のようなタイプを志向していても、何かのはずみで子どもが意固地になったり、親が看過できないような行動に及んだりすると、突然②のようなタイプに変身してしまうタイプのかたはおられませんか? 実は、そういうタイプの親が最も多いのではないかと思います。

 みなさん、①のタイプをめざしてがんばってみてください。少なくとも、うまくいかないことがときどきあったとしても、子どもには納得のいく子育てであるのは間違いありません。したがって、親が何を望んでいるのかを子どもは理解しています。決して間違った方向に走ってしまうことはないのではないでしょうか。中学受験をめざされるにあたっても、紆余曲折はあっても、最終的には自分からがんばり始めるでしょう。その日が少しでも早くやってくるためにも、親は一貫した姿勢で子どもに辛抱強く接していきたいものですね。

H.S

2019.4.19

学力の
ポテンシャル形成の道筋


 新学期が始まってまもなく2週間が経過しようとしています。お子さんは楽しく学校に通学されているでしょうか。特に1年生は小学校に入学したばかりですから、とりあえず学校生活に慣れるということが最大の課題でしょう。何事も初めが肝心と言います。お子さんの表情や言葉の様子に注意し、ストレスなく学校生活を送れているかどうかを見守ってあげてください。

 今回は、低学年児童期の学習の重要性の一側面をお伝えしようと思います。小学1~3年生は学童期の前半にあたります。この前半は、学習内容がごく初歩的なことばかりですから、子どもの学びの状態について特に神経質になる保護者は少ないと思います。しかしながら、この易しい内容の学習の段階こそ、気を配っておくべきことがあります。といっても、特別なことではありませんのでご安心ください。

 子どもは、小学校への入学によって学校という正式な教育の場に足を踏み入れるわけですが、そこを出発点にして、少しずつ文字・数字などの記号によるコミュニケーションや思考の様式を獲得していきます。以前もお伝えしましたが、ひらがなカタカナは1年生いっぱいまでで拗音や長音、促音、幼長音などの特殊なものも含め、ほとんどをマスターし終えます。先行体験の豊富なお子さんをのぞくと、大概は2年生の前半をめどに黙読へ移行し、本を読む習慣も定着し始めるのがこの頃です。黙読ができる、本が読めるということは、机に着いての勉強が理論上可能になったことを意味しますから、大変な進歩です。このように、小学生時代の前半は、記号文化の継承者としての土台を形成する段階にあるのだと言ってもよいでしょう。

 それだけではありません。この習い始めの時期の学習の如何(いかん)によって、活字を介した学習に長けた子どもになれるかどうか、言葉による思考の卓越した子どもになれるかどうか、そして高い学力の持ち主になれるかどうかもどうかがある程度決まってきます。というのも、学習という行為を円滑に営むうえで必須の技能を獲得するのが児童期前半で、児童期後半はそれをベースにリテラシーや算数能力などを発展させていくことになるからです。児童期前半にこの土台形成をしていなければ、以後の学力の伸長は望み薄になってしまいます。

 ただし前述のように、低学年児童期に学ぶ事柄は一見平易なものばかりなので、表面上はまだ子どもたち個々の能力差や学力差はわかりにくいものです。しかしながら、日々の積み重ねは確実に水面下で子どもの成長を引き出し、より高度な学びの段階の訪れに備えた態勢を築いています。そうして、ある段階に至ったとき、はっきりと力の差が顕在化していきます。ですから易しい内容を丁寧に繰り返し学んでいるときの学習こそ大切にすべきことなのだとご理解ください。この段階の学習で、子どもたちは学習の高度化に対応できる脳内の神経細胞のネットワークを築いているのです。

 ここまでお読みくださったかたはご了解いただいたと思いますが、多くの保護者は小学校入学当初は子どもに関わる様々なことがらに関心を寄せ、配慮を欠かさないものですが、子どもが学校生活に慣れて手をかからなくなっていくと、いつの間にか必要な目配りを忘れてしまいがちです(「2年生は、“忘れられた学年”」という言葉があります)。学校で習う内容も、低学年のうちはわからないで困るということなどほとんどありません。そこで、「当分は大丈夫だろう」と油断してしまいがちです。それが思わぬ落とし穴になり、気づいたときには、「今から追いつくのは難しい」という事態を招くこともあるようです。

 例として、書く力の形成ついてみてみましょう。1年生の子どもは筋力が未発達で、書く作業自体が負担な年齢です。また、頭の中で考えたことを、文字にして表すための脳内の信号連絡網も整っていません。伝えたいことを一旦脳内で話ことばに基づいて組み立て、それから文字の言葉に変換していくことは、子どもにとって大変知的レベルの高い作業なのです。ましてや、読み手にわかりやすく書こうなどという視点などもちようがありません。ですから、どの子にとっても書くことは難しいもので、ごく短い文をやっとの思いで書くレベルに留まりがちです。「せんせい、あのね」で始まる‟あのね帳”は、伝える相手を先生に特定することで、書くことの難しさを軽減させようと考えられたものですが、それでも1年生の子どもたちにとって書くことは難しいことなんですね。

 では、2年生はどうかというと、やはりまだ自在に鉛筆を操るほどの筋力がついていませんし、思いを綴っていくための態勢が整っておらず、書くことへの習熟において一見進歩していないように見えます。ですから、多くのおかあさんは「うちの子は、相変わらず書くことが下手で…」と、心配そうにおっしゃいます。しかしながら、書かれた作文をよく見ると適切な修飾語が使えるようになっていたり、自分の感情をうまく言い表す言葉を身につけていたたり、事実を時系列に表現できるようになっていたりします。量的発達はまだでも、質的な発達はしっかりと進んでいるのです。

 そうして、3年生になると個人差はあるものの、いつの間に長い文章が書けるようになっていることに気づかされます。それも、ただ長い文章が書けるようになっているだけではなく、構想力を発揮した文章も書ける子どもが増えていきます。体の成長に伴って筋力がつき、書くことの負担が軽減されるとともに、書きたい事柄を頭の中でまとめながら文字にして表現していくための脳内の態勢が整ってきたからです。

 ここで注意したいのは、3年生のある段階から書く力が急速に進歩するのは、相応の準備を継続して行っていたお子さんだけに見られる現象です。つまり、自然に書けるようになるのではなく、書くことのたゆまぬ習練が引き出した成長に他なりません。自分の思いを自在に書けるようになった子どもは、書くことの負担から解放され、ますます書くことに習熟していきます。こうなると、上手に書けるようになるための継続的な努力をしていなかった子どもとの差は広がるばかりになっていきます。一見、才能の差と思われがちなことですが、プロセスを見るとちゃんと理由があるのですね。

 今回は書く力の発達という側面から子どもの学力形成の道筋を見てきました。大人はとかく一足飛びの進歩を子どもに望みがちですが、リテラシー社会に参入したばかりの子どもにとって必要なのは、土台形成を粘り強く大人が支援することです。うまくかけない子どもにとって、書くこと自体が負担なのだということを踏まえ、少しでも自分の思いを文字で表現することの楽しさや価値を実感させてやることこそ大切なことです。

 もう一つ、低学年児童期の学習において忘れてならないことは、親が熱心に働きかけ、わが子の取り組みをほめ、上達することの喜びを味わわせることがいちばん大切なことだということです。親の影響力が絶対的な年齢だけに、子どもの勉強は親次第なのだということを肝に銘じていただきたいですね。どんな学習観の子どもになるかも、このときの親の関わりかたで決まります。子どもの学力形成という見地に立つと、低学年児童期は目の離せない大変重要な時期なのだということを忘れないでください。

H.S

2019年3月→