子どもの才能は生まれつき?
いいえ、家庭の関わりが大きな作用を果たします。


2017.2.3 学んだことを記憶に留めるには

 前回は、五感を通じて入力された情報はすべて側頭葉を経て海馬に送られ、そこで約1ヶ月かけてふるいにかけられて記憶としてまとめられ、それから再び側頭葉へ転送されるということをお伝えしたところで終わりました。今回は、そのことをもう少し詳しくご説明し、学習を効率よく記憶に残すための方策へと話を進めてまいりたいと思います。

 学習は主に視覚や聴覚から入ってきた情報をもとに行われます。たとえば、文字列を目でとらえると、そこでキャッチされた情報は後頭葉の一次視覚野に送られ、そこから幾段階かを経てウェルニッケ野(言語理解中枢)で意味として理解され、さらに側頭葉を経由して海馬に送られます。

 では、海馬ではどのような仕組みで情報が取捨選択されたり、まとまりのある内容に加工されたりするのでしょうか。それには海馬の中の構造をある程度知らなければなりません。しかしながら、知りたいのは「学んだことをどうやったら多く記憶に残せるか」であり、海馬のしくみに深く立ち入ることが目的ではありません。そこで、少し乱暴ではありますがごく簡単にすませてしまおうと思います。

 海馬は直径およそ1cm、長さ約10cmほどの細長い形状をした脳内器官で、側頭葉の奥に一対収まっています。海馬に到達した情報は、入り口にある歯状回というところを経て、CA3野(CAは、海馬の別称であるアンモン角のフランス語綴りを省略したものです)、CA1野と転送され、約1カ月の期間かけて記憶としてまとめられた後、再び側頭葉に送り戻されます。つまり、学習に関わる情報は、記憶の加工場である海馬で1カ月かけて処理され、重要とみなされた情報が長期記憶として脳内に残されるというわけです。

 難しいことは割愛するとしても、海馬の入り口にある歯状回についてはある程度知っておきたいことがあります。それは、歯状回にある細胞の特色です。歯状回の細胞は、丸い形状をしていることから顆粒細胞と呼ばれています(CA3野、1野などにある細胞は錐体細胞と呼ばれ、尖がった形状をしています)が、この細胞の集団はニューロンの中で唯一増殖するという特徴をもっています。

 顆粒細胞は、すべての記憶に関わる情報の入力経路にある細胞ですから、きわめて強い負荷のもとで働いています。それゆえでしょうか。わずか3〜4ヶ月ですべて死滅してしまうと言われています。その代わり増殖能力をもつわけですが、興味深いのは、「面白い!」「知りたい!」という気持ちの伴った能動的な取り組みをしたら、この顆粒細胞が活性化して増殖が活発になり、死滅する数を上回るということです。それは、海馬の情報入力のキャパシティが強化されるということに他ならず、記憶力がその分増すということにつながるでしょう。

 以上のことは、「興味・関心をもって勉強したら、その分記憶力がよくなる」ということを意味するでしょう。逆に、親や先生に叱られながらの勉強や、強制による勉強、成績のためにしかたなくやる勉強では顆粒細胞が活性化せず、増殖が活発に行われることは期待できません。常に前向きに、充実感を得ながらやる勉強は、結果として記憶力が高まる、頭がよくなる、成績が上がるという好循環を引き出してくれることになります。

 中学入試が迫ってきた時期の6年生を見ると、楽しそうに生き生きと勉強に取り組んでいる子どもがいるいっぽう、辛そうな表情で顔を歪めながら取り組んでいる子どももいます。どちらがエンジン全開状態で最後までがんばれるかは言うまでもありませんが、海馬の顆粒細胞のことを頭に置くと、どちらが実のある勉強をしているかということについても論を待たないと言えるでしょう。テストで点数を稼いでも、やがてほとんどが記憶から消えてしまう学びかたをするか、テストが終わった後も長く学んだことを記憶に残せるか。能動的な学習と記憶の相乗作用的な関係を理解すれば、今からわが子にどんな勉強を期待すべきか、保護者の方々に明確な方向性も見えてきたことでしょう。

 なお、歯状回を通過した情報は、CA3野を中継し、取捨選択されながらまとめられ、最終的にCA1野を経て長期記憶としてまとめられ、側頭葉へと戻される仕組みになっています。蛇足ながら、海馬にはCA1野、2野、3野、4野がありますが、記憶をつくるうえで重要な役割を担うのは3野と1野だそうです。歯状回と、CA3野、CA1野、この3者が記憶形成に欠かせない重要な回路を形成しているということです。

 最後に、興味をもって勉強することの大切さを教えてくる話をもう一つご紹介しておこうと思います。人間が学ぶとき、学習対象に心から関心を寄せ、「なぜだろう」「もっと詳しく知りたい!」という欲求をみなぎらせると、海馬でθ(シータ)波と呼ばれる脳波が発生すると言われます。θ波が生じると、海馬の活動が活発になり、学んだことがより多く記憶に残ります。

 このことをぜひ保護者の方々には記憶・・に留めていただきたいですね。探索活動の活性化によって、記憶力は高まるのです。ここでもまた、イヤイヤやらされる勉強でなく、子ども自身が興味関心をもって取り組む能動的な学びの価値が思い知らされます。

 子どもはいつもやる気満々で勉強するわけではありません。ですから、つい叱って勉強させることが多くなりがちですが、学んだ成果がどのようにして子どもの力になるのかを考えるなら、この方法は得策ではありません。

 もしもこの点で改めるべきところを感じておられるかたがおありでしたら、これからは「いかにして勉強を能動的なものにすべきか」という観点から、お子さんの勉強をバックアップしてあげていただきたいと存じます。このブログでこれまで書いた記事も多少は参考にしていただけるのではないかと思います。子どもを変えるほどの影響力を親がもつことができるのは、後しばらくの間です(思春期前まで)。今やれることを悔いのないようにしておきたいものですね。

H,S

 

2017.2.10 玉井式の教室への通学で成果をあげるために

 前々回、前回と記憶に関わる話題を取り上げて書きました。学習者たる子ども自身が、興味関心をもって能動的に取り組むことが、「記憶に留める」という観点からも非常に重要だということがおわかりいただけたのではないかと思います。

 記憶に関わる話題で、もう少しお伝えしておこうと思う事柄があるのですが、「同系統の話題で長く引っ張ると、興味のない人には退屈かな」と思い直し、今回は違った切り口の話題を選んでみました。

 今は2月の中旬ですが、私の所属する学習塾の低学年部門は、ちょうど新規入会者を募るためのプレゼン活動の真っ最中です(おそらく、玉井式を導入している学習塾はどこも同じような状況であろうと思います)。日曜日や祝日(11日)は、いずれかの校舎で「体験授業会」を催し、お子さんがたには授業を受けていただくほか、保護者には授業参観の前に玉井式の特長、指導意図、授業のしくみと手順などをご説明しています。これは、保護者に講座の特性をよくご理解いただいたうえで、お子さんの授業参加の様子を見守っていただくほうが、玉井式のよさをより深く実感していただけると思ってのことです。

 今回は、この授業体験会で私が保護者にお伝えしていることのなかで、たった一つですが、保護者に特に強調していることをご報告してみようと思います。現在玉井式の教室に通わせておられるご家庭の保護者の方々に、多少なりとも参考にしていただけたらありがたいです。また、今春からの通学を検討されておられる保護者には、親の役割や親に必要とされる視点について考えるための情報の一つにしていただければ幸いです。

 私は、「低学年児童が、学習塾に通って十分な成果をあげられるかどうかは、親の熱心度″で決まる!」ということを保護者にお伝えしています。これは、長年低学年児童の学習指導に従事してきた私の実感です。玉井式もそうですが、低学年児童の通塾はたいがい週1日が基本となります。いくらよく考え練られた講座でも、積み重ね効果、継続効果が求められる学力要素に関しては、塾での学習のみで効果を得ることは難しいものです。必然、家庭での勉強にリレーしていかなければなりません。

 しかしながら、この年齢期の子どもは親が熱心に関わってフォローしないと自分から勉強する姿勢は育ちませんし、勉強の工夫を自分でするようにもなりません。ですから、親が子どもの勉強に関心を寄せ、積極的に関わってフォローしないと長続きしないし成果もあがりません。

 たとえば、玉井式の「国語的算数教室」には家庭学習用の「できたかな?プリント」と呼ばれる教材があります。このプリントにお子さんが取り組んだあとの○つけを、機械的にするか、子どもを発奮させる場にするかで、以後の勉強に向かう積極性は随分違ってくるものです。×が続いたり、空白をつくったりしているのを見ると、叱りたくなるのが親というものですが、親が感情的になって叱っても子どもの意欲は高まりません。むしろ逆効果を引き起こすだけです。

 また、やった後のプリントに、おかあさんの愛情に満ちた花丸や、情熱のこもった激励のコメントがたくさん見られるご家庭のお子さんを見ると、ほぼ例外なく勉強に活気があります。この活気を吹き込むのが親の役割であり、それを続けながらフォローしていくかどうかで、学習成果は大きく違ってきます。なかには、おかあさんの赤ペンによるコメントが苛立ちや怒りに満ちているものを拝見することがありますが、おかあさんの気持ちはわかるにしても、お子さんのやる気という観点に立つとマイナス効果が懸念され、心配になってしまいます。

 小学校低学年までの子どもが、勉強によって活気づくのは、課題をやり切ったこと自体よりも、親ががんばった自分を認め、ほめてくれることに起因します。たとえ○(正解)に至らなくても、一生懸命考えたプロセスを親が見守り喜んでくれたなら、子どもはどんなにか励まされるでしょう。つまり、すべてはおかあさんしだい、それが低学年までの子どもの現実なのだとご理解いただきたいと思います。自分自身の達成感による心の充足が意欲を支える段階が訪れるのは、もっと高学年になってからです。

 ですから、その段階に至るまでが親として深く関わるべき時期であり、またその関わりかたが問われる時期なのですね。つまり、親の出番は今″なのです。子どもが、自らの探究心を満足させるために、また自分自身の心の充足のために学ぶようになるには、あともう少し時間を待たねばなりません。その段階へと上手に橋渡しをするための今″なのです。

 今、お子さんはおかあさんの働きかけに答え、勉強にしっかり取り組んでおられるでしょうか。勉強の時間が、お子さんにとって少しでも楽しく有意義な時間になるよう、優しく熱心なサポートを忘れないでくださいね。そうした学びの経験を経て、やがてお子さんは自分のめざす目標実現に向けたほんとうの自律的な学びの段階へと成長していきます。この流れを見通し、「今は親が積極的に子どもに関わりながら、勉強に対する意欲もった人間に育てよう!」と自分自身の気持ちを鼓舞し、毎日お子さんをサポートしてあげてください。

H,S

 

2017.2.17 黙読の前提がなぜ音読なの?

 ご存知のように、子どもは先に音声の言葉(話し言葉)を覚え、それをかなり達者に使えるようになった後に書き言葉(文字の言葉)を覚えていきます。書き言葉の使用について言えば、まず文字を読めるようになり、その後書けるようになっていきます。この順番は不変のものです。

 理由は申し上げるまでもありませんね。子どもがこの世に生まれ、最初に耳にするのがおかあさんの語りかける音声の言葉です。無論、この時点ではおかあさんの言葉を理解することはできません。しかしながら、日々の成長とともに少しずつ言葉の意味するところを理解し、ごく簡単な意思表示なら言葉でできるようになっていきます。

 いっぽう、書き言葉はどうでしょう。先に書くことを覚えるということは、理屈に合わないことにお気づきだと思います。まずは文字を目にし、それを読めるようになって初めて、文字を自分の手で書いて表現することができるようになっていきます。つまり、「読み」→「書き」の順に子どもは文字をマスターしていくわけです。

 おたくでは、いつごろからお子さんは文字にふれる体験を始められたでしょうか。おそらく、テレビや絵本など、身の回りのものを通して文字を目にし、興味をもち始めるころと一致しているのではないかと思います。そうすると、2歳頃、遅くても3歳頃には文字にふれる体験を始め、ひらがなやカタカナなどは、この段階から読むことがかなりできるようになっていったことでしょう。

 積み木の一種に、片面にひらがなを大きく示し、その反対面にそのひらがなで始まるもの″を絵で描いた、「ひらがな積み木」というのがあります。たとえば、片面に「あ」というひらがな、裏面に朝顔の絵(そのわきに「あさがお」と表示されています)を組み合わせるといった具合です。このような教具を買い与えたのも、2〜3歳頃ではないでしょうか(赤ん坊の頃から買って準備されたご家庭もあるのでは?)。おとうさんやおかあさんは、朝顔の絵を見せて、「あさがお」だねと言い、そのあとで「あ」の文字を示して、『あさがおの「あ」』などと発音しながら、文字の一つひとつを教えられたのではないでしょうか。

 このことからもわかるように、子どもが書きことばを覚えるには、まずひらがなの文字一つひとつを子どもに示し、それに対応する読み(音)を実際に声に出しながら教えて、字形と音の関係を照合していくことから始めなければなりません。このような働きかけや読み聞かせを熱心にされた家庭のお子さんは、早々に文字を見てはその読みを発音し、親を喜ばせたことでしょう。

 言うまでもなく、文字の学習を正式に始めるのは小学校です。小学校に入学したら、当分は「あ」「い」「う」「え」「お」などのひらがなの字形を目で確かめては、先生の範読を真似て声に出し、文字と発音の関係を少しずつ学んでいきます。ところが、この段階の子どもの大多数は既にひらがな・カタカナの大半を学習済みです。なかには、ひらがなの拗音や促音、幼長音などの特殊な読みを、ほとんどマスターしている子どももいます。最近では、学校もそれを踏まえた指導をされていると聞いています。

 文字学習の先行体験は、いち早く文字の創造する仮の世界へと子どもを誘ってくれます。幼稚園の頃までは、おかあさんは子どもをわきに座らせて本を読み聞かせ、子どもにも声に出して読ませておられたのが、いつの間に子どもが自分で本を手にするようになるものです。そこで、「うちの子はもう本を一人で読める」と安心し、子どもの読みの実際の状態について知らないまま手を放してしまう保護者もおられるのではないでしょうか。

 ところが、この段階で親が気をつけなくてはならないことがあります。子どもが一人で静かに本を楽しんでいるのを見ると、すでに黙読がしっかりできている、読むことの習熟が進んでいるかのように見えてしまいますが、実際には不完全な黙読のレベルに留まっている可能性もあるのです。子どもは、挿絵などを頼りに中途半端な黙読力で本から届けられたメッセージの上っ面のみを受け止めているにすぎないことも多々あるのです。

 そういう子どもの多くは、文字が以前よりも小さく、ぎっしりとページに詰まった本を読む段階になると、読むことを嫌がるようになりがちです。また、読んでもあまり理解できていないことがあります。そういう子どもが、やがて国語の読解力を試すテストを受けるようになると、さっぱりできていないという事態に至ることも少なくありません。

 原因は、文字とその文字の示す音とを照合していく音読の経験が十分でなかったことにあるかもしれません。文字の連なりを、声に出して読み、音声の言葉と照合していく黙読へのステップが十分でなかった可能性があります。音読がスピーディで滑らかになるにつれ、子どもは眼で文字列をとらえたほぼその瞬間に、それらの発音が脳の中でイメージできるようになっていきます。これが黙読です。しかしながら、この音読の習練が十分になされないまま、形だけ黙読へ移行してしまう子どもがいます。そういう子どもは、読みが遅いうえに正確でなく、文章から発信されるメッセージをちゃんと理解することができません。だから、読解力不足に陥ってしまうのです。

 不安になったかたは、年齢や学年相応の文章を(無論、玉井式の物語でもよいです)お子さんに音読させてみてください。きちんと正確に読めていれば大丈夫です。もしも、しどろもどろの読みかたをしたり、すぐに読み違えてしまったりするようなら、黙読への移行がスムーズに行われていないと考えられます。

 声に出して読む作業は負担が伴います。その代わり、視覚と聴覚とを連携させることで、両者の言語アクセス回路が鍛えられます。また、傍で聞いている親はもとより、お子さん自身も自分の読みが確かかどうかを確かめることができます。そうしているうちに、正確な黙読の態勢が整っていきます。

 音読は「面倒くさい」とお子さんは嫌がる傾向がありますが、ここが親の工夫のしどころです。親が上手に手本を示しながら、「自分もちゃんと読めるようになりたい」という気持ちを刺激したり、「ちゃんと上手に読めたね」とほめられるのがうれしくて張り切ったりする場面をたくさん演出してあげてください。

 読むのが負担でなくなったとき、自然とお子さんは黙読が達者にできるようになっています。そうすれば、お子さんは間違いなく「本を読みたい」と思うようになることでしょう。読書が定着すると、子どもはますます読みが達者になっていきます。それに伴って子どもは自ら語彙を増やし、思考力を高めていきます。このような流れを築けば、お子さんは学力形成において、まず困るような事態には至りません。

 さあ、音読からもう一度読みのステップアップを図ってみませんか?

H,S

 

2017.2.24 テストの効能について考える その1

 今回はテストの話題です。勉強にテストはつきものですから、学校でも学習塾でもテストを受けたことのないお子さんはおられないと思います。

 みなさんのお子さんは、テストの前にどんな反応を示されるでしょうか。「すごく楽しみ!」という意気込みに満ちたお子さんもおられるかもしれませんが、どちらかというと不安と期待とが入り混じった気持ちでテストに臨むお子さんが多いのではないかと思います。

 なかには、明らかに「嫌だ」「怖い」など、拒否反応を示すお子さんもおられます。理由はいろいろで、性格的なものも影響しているのかも知れませんが、親が気をつけたいのはテストの点数や順位を見て叱ることです。これを繰り返すと、「親に叱られたらどうしよう」と気持ちが勝るため、消極的になってしまいます。そして、その心配が的中して叱られてしまう。こうなると勉強に身が入らなくなり、苦痛なものになってしまいます。それが高じて勉強嫌いになってしまう例も少なくありません。

 いっぽう、ある程度勉強に自信をつけたお子さんが、テストに対してどのような受け止めかたをしているのかがよくわかる話があります。

 ある私立6か年一貫校(東京大学にも多数の生徒が合格する進学校)の教頭先生をお招きした会で、その先生は保護者に、「中学・高校生ともなると勉強もかなり難しいですから、『勉強が好きだ!』という生徒あまりいません。しかし、『テストでよい点数を取るのは好きだ!』という生徒ならたくさんいますよ」と笑いながらおっしゃっていました。

 テストを通じて、「やったら、やっただけのことはあった」という報われた気分を味わうと、子どもは「次もがんばろう」と意欲を沸かせます。そういう体験が繰り返されると、前向きな勉強の姿勢が育まれ、テストに強い子どもになることができます。いわゆる進学校と呼ばれるところは、そういう子どもの集団で形成されていると言ってよいでしょう。

 幼児期から社会人に至るまで、テストは否が応でも繰り返されます。お子さんが、テストを通じてこのような喜びや報われた気持ちをしばしば味わえるといいですね。そうすればテストに強いタイプの人間になれるし、何よりも自分に自信がもてるようになることでしょう。

 さて、これからが本題です。「テストは何のためにあるのか」と聞かれたら、みなさんはどうお答えになりますか? おそらく、多くのかたは「学習成果を確かめるためにある」とおっしゃるのではないでしょうか。それは間違いではありません。玉井式の「国語的算数教室」で実施されているテストも、「実力確認テスト」という呼称が用いられています。大概のテストは、出題の範囲はいろいろでしょうが、それまでに学んだ範囲から問題が作成されます。

 算数を例に考えてみましょう。たとえ見たことのない応用的な問題が出たとしても、「既習内容を理解していれば解ける」という暗黙の了解があります。ですから、多少難しい問題が出されていても、あれこれ思考を巡らせているうちに、やがて突破口を見出す子どもが出てきます。無論、制限時間がありますから、テストを受ける子どもたちは、時間という制約のなかで必死に自らの知識を総動員して答えにたどり着こうとします。こうして作成した答案が採点され、100点満点で数値化されたり、全体の中での順位づけがされたりするわけです。

 ですから、テストが「学んだことがどれだけ身についたかを確かめるためにある」というのは間違いありません。しかしながら、テストのもつ意味はそれだけではないようです。昨年の12月だったか、新聞に目を通していると、「学んだことを記憶として残すためにテストは有効である」といった内容の記事が目に入りました。この記事は、海馬の研究で有名な東京大学薬学部教授の池谷裕二先生を取材して書かれたものでした。

 どういうことかというと、テストのときに問題を見て答えとなる知識を思い出そうとしたり、既有の知識を稼働させて解決の突破口を見出そうとしたりするとき、人間は通常の勉強のときよりもはるかに集中力を発揮しています。このように、入力済みの情報に強いエネルギーが投射されると、ニューロンが「重要な情報である」と認識し、記憶に残す作用を果たすようです。この記事を保管していないため、ご紹介した記事内容は正確ではないかも知れませんが、だいたいそのようなことが書かれていたと記憶しています。

 こうしてみると、テストは「記憶を試されるもの」と思っていましたが、「記憶に残すためのもの」でもあるわけですね。この情報は、「子どもはしょっちゅうテストを受けさせられてかわいそう」と、テストに対して懐疑的だった人たちの気持ちをかなり変えるかもしれませんね。

H,S

 




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