子どもの才能は生まれつき?
いいえ、家庭の関わりが大きな作用を果たします。


2017.1.6 明けましておめでとうございます

 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 早いもので、このブログを始めて1年と数か月が経ちました。今回は年のはじめでもあり、まずはこのブログの趣旨についてお伝えしておこうと思います。これまで継続して読んでくださったかたはご承知でしょうが、このブログは毎回長文でかなりの情報量を伴っており、焦点を家庭教育に合わせている点が特色です。1年間を通してお読みいただければ、毎日の子育ての課題解決に向けて参考にしていただけるテーマもあるのではないかと思います。

 とかく大人(特に親)は、「何を勉強すれば学力が高まるか」「勉強時間はどれぐらい必要か」「どんな勉強法が学力アップにつながるか」など、勉強の成果に直接つながりそうな要素に気を奪われがちです。しかしながら、それらと同等もしくはもっと大切なことがあります。それは、「どんな子育てをしておくべきか」ということです。それが知的なものに対する子どもの志向性や適性に大きな影響を及ぼすからです。このブログは、このような観点に立ち、保護者の方々に有益な情報をお届けしたいと考えて開設されたものです。

 私は中学受験の専門塾で30年以上働いてきましたが、何年か現場で指導を経験するうちに、「この子は凄い!」「この子は将来が約束されたようなものだ」と、私たちをうならせるような優秀な子どもは、ほとんど例外なしに“努力家である”という側面をもっていることに気づきました。周囲には「頭がよいからできるんだ」と思われている天才肌の子どもでも、「努力を継続していること」「取り組む姿勢がよいこと」が学業の優秀性に少なからず関与しています。そのことは、子どもの“でき”がよいのは、家庭の優れた子育ての賜物なのだということを教えてくれるでしょう。

 物事に興味関心を寄せたり、決めたことを最後までやり遂げたり、大事なことに優先順位をつけてやったり、遊びたい衝動を抑えて我慢することができたり…。こうした取り組みの姿勢が勉強の成果を決定づけるわけですが、これらがしっかりしているのは子育ての成果によるものです。つまり、学業で大成するどうかは、資質面よりも、子どもの成長過程における親の関わりかたや、親が築いた家庭環境で決まるのだと言ってよいでしょう。実際、せっかく天賦の才に恵まれていても、努力を怠ったばかりに大成の叶わなかった人間がどれだけ多いことか。

 子どもの学習状況が期待通りに行かず、イライラしたり心配したりしているかたはおられませんか?もしそうだったとしても、子どものせいにすべきではありません。また、「親が子育てを間違っているからうまくいかないんだ」と、必要以上に原因を親の側に向け、落ち込む必要もありません。親にとって大切なのは、「何がわが子にとって望ましいのか」を考え、改めるべきは改めながら、愛情深く子どもに働きかけることです。いけないのは、氾濫する情報に振り回され、子どもの気持ちを混乱させることです。

 そういうことが続くと、やがて子どもは親の言うことを聞くふりをするだけで、努力を怠るようになります。「どうせ、親はすぐに違うことを言い出すに決まっている。だからやっても無駄だ」と子どもが見透かしてしまうのです。こうした実例を、私自身相当数見てきました。子どもの行動に陰ひなたができるのは、親に一貫性がないからであり、子ども自身の生得的な性格によるものではありません。

 今大切にしていただきたいことは、子ども自身がものごとに関心をもち、好奇心を発動させながら知識を獲得していくような流れを築くことです。毎日が習い事などで埋まり、子どもがスケジュールに支配されているような状態は望ましくありません。なかには、「もう少しわが子に知識欲を発揮するような姿勢があれば」と思っておられるかたがおありかもしれませんね。 そのようなかたは、まずは毎日の親子一緒の時間の過ごしかたを振り返ってみてください。一緒に図鑑や辞典などで調べごとをしたりする時間を設けておられるでしょうか。このような経験が繰り返されれば、子どものものごとへの関心や興味が引き出され、何でも知ろうという姿勢が育まれていくことでしょう。

 一つ具体的なプランをお伝えしてみようと思います。できるなら、「知識を得るって楽しいことなんだ」とお子さんが実感するような働きかけを、余暇の時間に試みてはいかがでしょうか。たとえば、正月には新しい「干支(えと)」に変わりますね。干支は、暦や時間、方位などいろいろな用途に用いられていることを話題にとりあげ、一緒に調べてみてはいかがでしょうか。

 今年の干支は「とり」です。「とり」は、漢字で書くと「酉」です。十二支の漢字は、子・丑・寅・卯など、いずれも一般にはなじみが薄くわかりにくいため、鼠・牛・虎・兎といったように動物の名が割り当てられたそうです。今年の干支の「酉」は、「鶏」という漢字が当てられています。「鶏」とは「にわとり」のことですね。どうしてほかの「とり」(鳶・雀・燕・鳩など)ではなく「鶏」が選ばれたのでしょうか。それにも一応の理由があるようです。調べてみると面白そうですね。

 お子さんは、十二支を空で言えるでしょうか。もしまだでしたら、一緒に調べて、「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)と、読み上げて覚えるのも楽しいかもしれません。そうすると、今年の干支の「酉」は10番目にあたることもわかりますね。

 干支は時刻も表しますが、それを学ばせるのもよいかもしれません。子の刻(午前0時)、丑の刻(午前2時)、寅の刻(午前3時)…と刻んでいくと、十二支ですから2時間おきに時間が刻まれていることがわかります。7番目に出てきた「午(うま)」で、子どもにもおなじみの時間を表す言葉が十二支をもとにしていることが学べるでしょう。午の刻は、午後0時を中心に前後の1時間を表します。真ん中にあたる12時を「正午」、それより前の時間を「午前」、それより後の時間を「午後」と表すことも教えると、お子さんが興味を示すかもしれませんね。

 こんなふうに、年のはじめは干支で遊びながら知識を得る楽しさを教えてあげてはいかがでしょうか。無論、「かるた」や「百人一首」など何でも構いません。かるたはポルトガル語が語源で、英語のカードと同意の言葉です。江戸かるたや、京かるたなど、いろいろあるのをご存知でしょう。江戸かるたの「い」は、「犬も歩けば棒に当たる」ですが、京かるたの「い」は「一寸先は闇」です。こういうのを調べて比べてみるのも楽しいのではないでしょうか。

 子どもを勉強好きにするには、勉強を押しつけるようなアプローチは望ましくありません。知識を得たり、考えて新たなことを発見したりすることの楽しさを味わわせるほうが効果的です。今からこのような接しかたをおかあさんがたが心がけたなら、きっとお子さんは自分から勉強に取り組む姿勢をもった人間に成長することができるでしょう。試してみる価値は大いにあると思います。

H,S

 

2017.1.13 男子と女子の性差について考える

 男女の違いは、いろいろな側面からとりあげられる話題の一つです。今回は、女子の学力の傾向が数十年前とはずいぶん変わっている現実と、その理由について書いてみようと思います。また、そのことを踏まえ、さらに次の回はこのブログを読んでくださっている保護者に、小学生前半までの学力形成のポイントを、男女に分けて簡単にお伝えできたらと思っています。

 では、とりあえず今回の話題から。近年は科学全般、特に脳科学の発達により、これまで憶測の域を出なかった男女の脳の違いがつまびらかにされつつあります。それに伴い、これまで言われていたことが事実であることが証明されたり、逆に迷信や誤解の類であったことが判明したりしています。

 まず、男性と女性の違いが明確にあるのは体格です。人間の場合、民族に関わらずおおむね男性は女性よりも背が高くがっしりとしています。したがって、運動能力においては男性がやや優位にあると言えるでしょう。しかしながら「頭のよさ」の違いを生み出しているわけではありません。頭の大きさも男性のほうが大きくできています。当然、脳の容量も男性のほうがやや大きいのですが、頭のよさにつながっているわけではありません。

 また、脳のしわの数が話題にされ、「しわが多い人ほど頭がよい」などと言われることがありますが、この話はどうなのでしょうか。脳のしわは女性のほうが多いのですが、頭のよさとは無関係です。なぜ女性に脳のしわが多いのでしょうか。それは、女性は男性よりも頭蓋の容量が小さいため、脳はその小さな頭にしわをたくさんつくることで埋め込まれることになります。そのため、結果的に女性のほうが脳にしわが多くなるというわけです。このことから考えても、しわの数が頭のよさのバロメータにはならないということがおわかりいただけるでしょう。

 こうしてみると、男女の能力差を決定づける要素は外見上の違いからは見当たりません。構造的にも能力差を生み出す違いはないかのように思われます。

 ただし、「言語は左脳に宿り、右脳が空間を司る」という脳の常識は一部覆されています。確かに、男性の左脳は言語認知機能を引き受けているのですが、女性は左右両方の脳で言語機能を働かせていることがわかってきました。これは、卒中を起こした患者から得られた知見です。男性の場合、左半球の脳を損傷すると言語性IQが20%低下するのに対し、右半球の損傷患者には変化が生じませんでした。いっぽう、女性の卒中患者は左の脳を損傷すると9%、右の脳を損傷すると11%言語性のIQが低下しました。このことから、女性は言語知能を左右両方の脳で分担していることがわかったのです。

 男性と女性の違いはどうして生じたのでしょうか。「ホルモンの違いから来るのではないか」という説がありましたが、男性ホルモン、女性ホルモンの分泌が盛んになる前の子どもの調査から、原因はホルモンではないということがわかりました。どうやら、遺伝子レベルから男女に違いが生じているようです。

 長々と前置きを書いてしまいました。能力、それも知的能力について見てみると、みなさんすでに男女の違いはほとんどないということを実感しておられるのではないでしょうか。家父長制に基づく社会制度が第二次大戦後に崩壊し、それ以後は男尊女卑の考えかたが薄れていきました。昭和の40年代になると、都市部では「女子の学問は不要」という考えかたがすっかり後退し、それに応じて女子の高学歴化がどんどん進んでいきました。

 そうしたプロセスにおいて、男女の学力にどのような変化が起こったでしょうか。まず、英語や国語などの言語系教科は、女子の就学率が上昇を始めると早々に成績面に現れ、たちまち「女子のほうに適性がある」と一般にもみなされるようになりました。最近の脳科学系の書物を読むと、そもそも女子のほうに言語を取り扱う資質が高いというようなことも指摘されています。ただし、さきほどの「女性の言語認知機能は左右の脳に宿る」ということとの関係性はわかっていません。

 また、「理系の教科は男子のほうが強い」という見かたが長く定説になっていましたが、近年は女子の高学歴化が進むにつれて数学や化学、物理などの学力差が徐々に縮まっており、見かたが改められつつあります。理系教科への適性は、生まれつきの能力によって男女に違いがあるのではなく、教育環境のもたらす差で決まっていたのではないかと思われます。ですから、女子の教育環境が整っていくにつれ、成績面の男女差が少なくなってきたのでしょう。

 大学への進学率に男女差がほとんどなくなった今、改めて現状を振り返ってみましょう。男子のほうが優秀どころか、むしろ女子のほうに優秀な人間が多いように思いませんか? それはおそらく、女子のほうが真面目で勤勉な傾向があり、学習の継続性、学習時間、目標設定、目標遂行などにおいて勝っているからではないかと思います。近年の甘やかされて育った男子が、女子よりも学びの劣化が著しいように感じているのは私だけではないと思うのですが、みなさんはどのような見解をおもちでしょうか。

 とは言え、今でも「理系は男子のほうに適性がある」という見かたは根強く残っています。それは、親の教育投資熱が男子のほうに向けられがちな傾向が今も厳然とあり、それが成績面にも反映されていることと無関係ではないように思います(たとえば、「どうしても医者の後を継がせたい」などの理由)。実際、私の暮らしている地方都市では、女子は地元の大学、男子は大都市圏の有名大学に進学するケースがかなり見られます。男子のほうに教育投資を惜しまない傾向は、まだまだ残っているのでしょう。

 こうしてみると、今では「男子だから」「女子だから」という性別を根拠にした進路選択はあまり意味がなくなりつつあるように思います。無論、フィジカルな側面での男女差はありますから、向き不向きといったとらえかたがなくなるわけではありません。しかしながら、このような点を除けば、男子か女子かに関わらず「好きなこと」「やりたいこと」に行き当たることが、まずもって大切なことだと思います。そこから、先々の進路や可能性が開けてくるからです。

 子どもが何に向いているか。それは親にも子ども自身にもわからないことです。しかしながら、子ども自身が「何を好きか」「何を受け入れているか」ということはわかると思います。「好きこそものの上手なれ」という諺があるように、好きであることは何にも勝る上達の条件です。とりあえずは、お子さんが好きなもの、夢中になれるものへの取り組みを応援してあげてください。

 「女の子がそんなことをするなんて」と思う必要はありません。好きになるものは何だってよいのではないでしょうか。まずは夢中になる体験をすることです。そこから、子どものもつ適性や潜在能力も見えてきます。今や男子か女子かということは、さほど進路選択において問題とはならない時代が訪れています。子どものもつ資質が開花できる環境をできるだけ与えてやりましょう。

H,S

 

2017.1.20 男女の発達上の違いを踏まえた学習を

 前回は、男女の性差について若干の考察をし、知的能力面においては男子と女子に差はほとんど存在しないことを確認しました。さらに、男尊女卑の考えがなくなり、大学への進学率に男女差がなくなった今日においては、真面目で継続力に優れる女子のほうが男子よりも学力面で優位に立つ傾向がみられることをお伝えしました。

 この点を踏まえるなら、子どもが男子か女子かに関わらず、親はわが子にどのような可能性があるかを早めに見出し、それを伸ばすための環境を整備してやることが大切だと言えるでしょう。そうすれば、どの子どもにも資質開花の道が開けてくるのです。今、お子さんが得意にしていること、夢中で取り組んでいること、そこから意外に将来の方向が定まってくるかもしれません。実際、私の息子も小学生の頃から好きだったこと(算数)が職業選択につながりました。

 さて、今回の本題に入りましょう。男女の知的能力には差がないことをお伝えしましたが、発達のプロセスに違いはあります。また、興味の範囲や志向性にも違いがあります。それを踏まえることも、子どもの能力を伸ばすうえで重要なポイントだと思います。たとえば、男子と女子とでは興味を示す遊びの内容に随分違いがあります。だいぶ前のことですが、アメリカで幼児期の子どもを様々な遊具を設置した場所で自由に遊ばせる実験が行われました。

 すると、男子の大半は積み木を組み立てていろいろなものをつくったり、自動車の模型などを動かしたりする遊びを好みました。一方の女子は、8割以上の子どもが人形の着せ替えや買い物ごっこなど、色彩豊かなもの、アクションのない静的なものに人気が集まりました。このように、男子と女子とでは遊びの志向性が異なり、興味の範囲も随分異なっています。こうした男女の違いは学習においても見られます。

 私は中学受験の指導現場で15〜16年程働きましたが、主に6年生男子の国語の指導を担当しました。一般にも知られるように、男子は女子よりも精神年齢が1〜2歳ほど低く、それが国語の素材文の読み取りにも如実に表れます。中学入試の問題を作成するのは中学・高校生の指導をされる先生がたです。そのせいか、国語の素材文は大人に近づく思春期の子どもの揺れ動く気持ち、男女間の微妙な心理などを扱ったものが頻繁に登場します。こうした文章が出てくると、男子にはチンプンカンプンで、「さっぱりわからない」という反応を示します。一方、説明文や論説文の読解においては、男子優位の結果が出ることがたびたびありました。

 また、男子には言語獲得の遅れと、それに起因する思考力の未熟さという問題がつきまといます。考えかたが幼稚で、書かれているできごとを表面的にしか理解できず、その裏にある人物のほんとうの気持ちにまで理解が及びません。そのギャップの部分が出題の対象になるのが国語の文章題の常ですから、男子が苦戦するのは必然と言えるでしょう。

 男子に見られるこうした弱点を早期に解消できれば、学力形成のプロセスに大きな違いが生じることでしょう。以前にも書いたと思いますが、すべての教科の学習は活字を読むという行為が主体になります。したがって、学力をつけるうえで読みの達者な子どもほど有利なのは言うまでもありません。

 では、今親が子どもにしてやれるサポートとしてどんなことが考えられるでしょうか。毎日の生活において、男子の場合は女子以上に親子間の会話を大切にしてください。親が一方的に話すのではなく、子どもの言葉に耳を傾けてやることが大切です。それが、単に聞く耳を育てるだけでなく、自分の発信したい情報を頭の中で順序立ててまとめていく姿勢を育て、理路整然と話す力を養ってくれます。

 また、読みの習熟に向けたサポートも、男子の場合はより重要だと認識してください。具体的には「音読」を奨励し、できるだけサポートしてあげてください。音読の題材は、玉井式の長文プリントや学校の教科書、児童文学など何でも構いません。はじめは親が1文ずつ範読し、それをお子さんにも読ませることを繰り返します。レベルが上がるごとに、段落ごとに交代する、子どもだけで一気読みする、といったように発展させていきます。学校に通って学び、玉井式の教室で学ぶ生活においても、子どもはなかなか音読の機会をもつ時間はありません。親のサポートが必要な領域の学習です。ただし、無理に音読させたり、厳しく指導したりすると却って読むのを嫌がるようになります。音読が楽しい時間になるよう配慮することが求められます。

 黙読がほぼできるようになるのは、平均して2年生の前半だと言われています。ここで忘れてならないのは、「黙って読んでいるから、もう黙読がしっかりできている」と思わないことです。実際に声に出して読ませると、“しどろもどろ”になる子どももいます。これではスピーディで確実な読み取りなど不可能です。音読がちゃんとできない子どもが、スラスラ黙読できるということはあり得ません(音読については、近々もう少し詳しくお伝えしようと思います)。男子については、この「音読」の段階をしっかりと乗り切ることが、読解力を養ううえでの最初の重要な関門です。

 音読がスムーズにできるようになると、その分だけ黙読も快適にできるようになります。それが読書意欲につながり、結果として無理なく読解力がつくという流れができあがります。こうして、黙読力の基盤形成、語彙の増加、思考力の発達、読解力の向上、といった理想的な子どもの発達の流れができあがります。

 いっぽうの女子ですが、女子の場合は男子よりも読みの態勢づくりはスムーズに進みます。ですが、「うちの子は大丈夫」と安易に思い込まないことです。女子にも読解力が伸びずに苦労するケースがないではありません。やはり音読を励行させ、スムーズに読めるようになっているかどうかを確認してあげてください。自分で本を読むことを望むようになり、読書活動が活発になれば心配は要らないでしょう。

 女子の場合、問題は算数学習において生じるケースが多いようです。女子は、図形や速さなどの単元を苦手としがちです。しかしながら、これは資質面で女子にハンディがあるということではありません。男子の場合、遊びの中に流動性知能(図形や速さなどの単元で必要とされる知能)を刺激する要素が自然と盛り込まれているのに対し、女子の遊びにはそういう刺激が少ないため、この方面の資質を開花させるチャンスを失ってしまうのです。

 ただし、玉井式の「国語的算数教室」「図形の極」を受講しておられるのであれば、そうした心配は払しょくされるでしょう。男子と女子で異なるのは、こうした単元に対する先天的な適性ではなく、動くもの、形あるものを様々な角度からいじってみようとする本能的な「関わりかた」の部分です。放っておくと、女の子はこういうものに慣れ親しむような遊びと無縁になりがちです。このような女子の傾向が才能開花への道を閉ざしているのです。

 玉井式の講座は、その点において優れた効力を発揮します。毎回の受講を楽しみにされているようなら、間違いなく先を期待してもよいでしょう。図形などの学習では、親子で実際に模型をつくってみるような試みをすることも有効です。「アニメーション」で刺激を当て、「実物」をつくっていじって感覚を脳に浸透させる。それを9歳までにしっかりと経験していけば、お子さんの可能性は大いに広がっていくことでしょう。

 なお、玉井先生が書かれた「玉井式 9歳までに国語と算数の力を同時に伸ばす本」という書物(中経出版より発売)をご存知でしょうか。才能開発的なアプローチの本の中では驚くほど売れているそうです。この本には、国語と算数の力を伸ばすための方法がわかり易く書かれています。玉井先生ならではのユーモアと説得力が一杯に詰まった本です。読まれればきっと役立つでしょう。

H,S

 

2017.1.27 脳の神経細胞についての話

 今回から、2〜3回かけて学力形成に欠かせない“記憶”の話題を取り上げてお伝えしようと思います。この話題は、当然学業面での成果を視野に入れたものですが、記憶と学力をいきなりつなげてしまうと、ほんとうに役立てていただきたい点が伝わらなくなってしまう恐れがあります。そこで、まずは脳と記憶にまつわる基本的なことを確かめておきたいと思います。

 みなさんご存知と思いますが、脳の細胞は体を成り立たせる細胞と区別し、神経細胞(ニューロン)と呼ばれています。脳科学の発達により、人間の脳のニューロンはおよそ1千億個あることがわかっています。これだけの数のニューロンが人間の小さな頭の中にぎっしりと、しかも理路整然と決まった配列で収まっているのです。これは驚きというほかありません。

 ニューロンの特徴としてまず挙げられるのは、体を組成する細胞が増殖する作用をもつのに対し、増殖する作用をもたない(記憶に関わるニューロン群に例外があります)ということです。人間のニューロンの数は生まれた直後がいちばん多く、以後毎日数万個のペースで死滅していると言われます。脳の知識がないと、大概の人は「そんなに減ったら大変なことになるのではないか」と心配することでしょう。

 それにはちゃんとしたわけがあります。死滅するのは使用される可能性のないニューロンであり、そのいっぽうで使用頻度の高いニューロンは少しずつ太っていきます。死滅したニューロンのスペースは、効率的に使用されているわけです。また、ニューロンが増殖作用をもたないのにも納得できる理由があります。ニューロンが絶えず増えていくと、脳が築く人間の個性に大きな変化が常に生じることになります。人間が体験や学習によって賢くなるのとは異なり、人間そのもの、人格自体が変わってしまいます。それでは個人の生活も家族生活も社会生活も成り立ちません。こうしてみると、ニューロンが増殖しないのはそれなりに訳があるのですね。

 人間が体験したり学んだりしたことを記憶に留めるのは、脳のどの部位の働きかご存知でしょうか。脳科学の発達とともに、こうした話題がTVや新聞、雑誌などでたびたび取り上げられるようになったので、ご存知のかたも多いことでしょう。記憶を司るのは“海馬”と呼ばれる脳部位です。海馬は大脳辺縁系と呼ばれる発生的に古い脳領域にあります(大脳辺縁系は、生命の維持に直接かかわる様々な働きをします)。人間の高度な思考を支えるのは、一番新しい脳領域である前頭前野ですが、記憶を司る海馬は生命維持に直接つながりの深い働きをする古い脳領域にあります。なぜでしょう。記憶の働きは、生き抜くために欠かせないため、どの動物にも必ずあるものです。人間の脳は、古い部分を土台にして新しい部分を付加していくわけですから、記憶機能が古い脳の部分にあるのは合点の行くことですね。

 さて、人間が学習や体験によって得た情報は、どういうルートをたどって海馬にたどり着き、記憶として加工され、保管されるのでしょうか。今回はそこまでお伝えし、そのうえで理に叶った記憶に残されやすい学習とはどのようなものかを一緒に考えてみたいと思います。

 海馬が記憶の機能を司っているということは、第二次大戦後まもなくの頃、学者の臨床経験に基づく発表で明らかにされました。てんかんの発作を抑えるために患者(HMさんと呼ばれる男性で、当時27歳でした)の病巣を除去したところ、その患者は16歳以降に体験したことの記憶をすべて失ってしまいました。そのいっぽう、16歳になる前の記憶はそのまま残されていました。また、手術後に体験したことは全く記憶に残すことができず、その患者は同じ漫画を何度読んでも初めて読んだかのように楽しんでいたと言われています。

 海馬の病巣を除去した結果、失われたのは記憶のみでした。それも一定の時期以後の記憶でした。知恵や人格においては変化がないにもかかわらず、新しい体験の記憶のみが一切失われてしまったのです。この患者の症例のほか、他の患者から得られた知見などをもとに、やがて「記憶の機能は海馬に宿る」ということが明らかにされました。先ほどの患者の話でおわかりかと思いますが、海馬は新規の体験や学習を長期記憶に加工する役割を引き受ける脳部位だったのです。

 ただし、もしも長期記憶に加工された情報がそのまま海馬に保管されていたのなら、手術で除去されたわけですから、記憶という記憶はすべて消え去っていたに違いありません。このことから、海馬で加工され長期記憶となった情報は、別の脳部位に転送され保管されていたことがわかります。

 では、体験や学習によって得られた情報は、どういうルートで海馬に送られ、どのくらいの期間で長記憶に加工され、脳のどの部位に転送されているのでしょうか。まず五感(視覚、聴覚、体性感覚、味覚、触覚)を通して得られた情報は側頭葉へ集められます。それから海馬に転送されていきます。海馬では約1カ月かけてふるいにかけられ、記憶として残すべきものかどうか判断したうえで加工されていきます。そうして、再び側頭葉へと戻されます。

 では、海馬はどのような基準で情報を取捨選択し、残すべき情報か、不要な情報かを判断するのでしょうか。それがわかれば、学習をより効率的で成果のあがるものにできるのではないでしょうか。次回は、そのことに焦点を当てて話を進めてまいりたいと思います。

※今回からお届けする一連の記憶に関する記事は、東京大学薬学部教授の池谷裕二先生の文献をもとに書いています。

H,S

 




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