子どもの才能は生まれつき?
いいえ、家庭の関わりが大きな作用を果たします。


2016.7.1 朝食で子どもの成績がわかる?

 今回のタイトルを見て、「ドキッ」とされたおかあさんがおられるかもしれません。「朝、子どもにどんな食材を調理して食べさせているか(朝食のメニュー)で、学校の成績がわかるの?」と思わせたらごめんなさい。

 実はそうではなく、「毎朝きちんと朝食をとる習慣が身についているかどうかと、学校での成績にはある程度相関関係があるのではないか」というお話です。

 これは新書から引用した情報ですが、東京都教育委員会が実施した「児童・生徒の学力向上を図るための調査」(2005)によると、朝食をとっている5年生児童は、とらなかったり不規則にとっていたりする5年生児童に比べて、算数、国語、理科、社会のいずれの教科も成績が良好だったことが明らかにされています。算数を例にあげ、データが示されていたのでご紹介してみましょう。



 上から順に、だんだんと点数が少なくなっていますね。すなわち、朝食をとらない子どもほど成績は芳しくないという傾向がわかります。「必ずとる」と「とらない」を比較すると、14点もの開きがあります。中学2年生対象の調査においても結果はほとんど同様で、「必ずとる」と「とらない」との差は10点近くあります。

 上記調査には、「持ち物を点検する」や「家の手伝いをする」という項目もありました。これらの調査項目では、「する」という肯定的な回答をした子どもほど成績がよいことも報告されています。

 「朝食を必ずとる」「持ち物を点検する」「家の手伝いをする」は、いずれも日常生活でおなじみの行動です。このことから、「基本的な生活習慣がしっかりとしているかどうかが、学業成績に影響を与えているのではないか」ということが推察されるでしょう。

 同様の調査は他でも行われており、いずれも同じような結果を示すデータが得られたことが報告されています。結局、日常生活で必要な事柄がリズムよく能動的にこなせている子どもは、心身のコンディションが安定し、ものごとに取り組む意欲や実行力も高いレベルで備わるということなのではないでしょうか。

 みなさんのお宅のお子さんについて振り返ってみてください。毎日の基本的生活習慣は自立しつつありますか? 子どもの学業面での成功を願うと、つい「どんな勉強をどのぐらいやればいいのか」ということに気持ちが傾きがちですが、実は勉強する主体である子ども自身の生活面のありかたも重要な鍵を握っているのですね。

 朝食をとることと学業成績との関連については、前述の新書に大学の先生の見解が紹介されていました。その内容は次の通りです。

 人間のからだは、心身の活動が昼間最高になるように作られているので、朝食は人間本来のリズムを保つ上で必要です。学力試験はだいたい午前中にあり、規則正しく朝からバランスのとれた食事を摂ることが大切です。脳のエネルギー源であるグルコースは、食事からの供給がないと体内の脂肪から分解されると言われてきましたが、食事から摂取した新鮮なものでなければならないことがわかっています。朝食を摂ると、脳にグルコースが供給されると同時に、ベータ・エンドルフィンという爽快な気分を作り出す物質が分泌されるため、集中力や学習能力が高まり、記憶力が日中に最高になるのです。

 私自身、詳しくはないものの、脳の活動エネルギーはグルコース(ブドウ糖)によって供給されることは知っていました。ただし、ブドウ糖を摂取できる食べ物なら何でもよいのかどうかということまでは知りませんでした。できるだけ新鮮な食材からブドウ糖を摂取することが望ましいのですね。甘いものなら何でもよいというわけではなさそうですのでご注意を。

 蛇足ですが、脳のエネルギーのもとになるブドウ糖は、食事を通して摂取してから12時間までしかもたないことをご存知でしょうか。その意味においても、“朝ごはん抜き”は禁物なのです。もしも朝ごはんを食べないまま学校に行くと、ブドウ糖は登校したころには枯渇状態になっています。前の晩の7時ごろ夕食をとったとしましょう。12時間後と言えば朝の7時です。ブドウ糖は溜めておくということができない栄養素なので、どのお子さんも例外なく12時間後には脳に届けられるブドウ糖がなくなってしまうのです。

 脳にはブドウ糖を備蓄できる場所はありません。ブドウ糖を備蓄しているのは肝臓です。一度の食事で60gのブドウ糖が肝臓内でつくられます。脳は眠っていても安静にしていてもブドウ糖を1時間あたり、5g消費すると言われています。ですから、肝臓にある60gのブドウ糖が12時間しかもたない理由もこれでわかりますね。

 もちろん、朝食をとらずに学校に行った子どもは、ブドウ糖が枯渇して全く勉強にならなくなるということではありません。ブドウ糖を体内のほかの場所から採り入れてある程度しのぐことはできます。しかしながら、しっかり食事を摂ったときと同じようには働きませんし、体全体のコンディションにもしわ寄せが生じてしまいます。

 できるなら、毎日三食を決まった時間に規則正しくとるようにしましょう。それがお子さんの健康によいだけでなく、脳の活動を活性化し、ひいては学業成果にも多大な影響を及ぼすのですから。

H,S

 

2016.7.8 読み書き能力が上達するための条件

 今回は、読む力と書く力、すなわちリテラシーの習熟を話題にとりあげてみようと思います。

 大概の子どもは、小学校入学時にはひらがなやカタカナの大半を読めるようになっていますし、書くことについても、ひらがなやカタカナはあらかたマスターし、自分の名前をはじめ相当数の漢字を書けるようになっている子どもも珍しくありません。

 では、読み書きの学習を子どもが始めるのはおおよそ何歳頃でしょうか。 みなさんのお子さんはいつごろ始められましたか? 文字を書けるように なるには、読む力が備わっていることが前提になりますから、読むほうの 学習が先に行われていると思います。玉井式にご縁をいただいている家庭 は教育熱心ですから、おそらく2歳頃にはかなりのかたが文字にふれる 体験をお子さんにさせておられるのではないかと推察します。

 ただし、読み書きの学習は早ければ早いほどよいのかというと、そうでもないようです。小学校入学時には、子どもによって読み書きの能力にかなり個人差がありますが、1年生の終わりごろ、もしくは2年生の初めごろにはその差があらかたなくなっていると言われます。

 なぜでしょう。それは、早く文字を身につけても、それは「親が喜んでくれるから」、「親にほめられるのがうれしいから」といったことが主な理由であり、文字の利便性に気づき、自ら文字を学びたいと思ってそうしたわけではないからだと言われています。

 いっぽう、文字をろくに知らないまま小学校に入学した子どもは、はじめは先行体験のある子どもに大きく後れをとっていますが、文字を習うほどにそれがいかに役立つものかを実感し、「早く本を楽しめるようになりたい」「早くおかあさんに手紙を書けるようになりたい」といったように、実用性に着目して導き出された動機を背景に学ぶため、習得するスピードが速いのです。

 文字は目の前にいない相手との交信を可能にします。体験したことやできごとを記録に残せます。このような願望を人間が抱いたからこそ発明されたのです。それと同じ体験を子どもがし、「文字を読めるようになりたい」、「書けるようになりたい」という願いを胸にして学ぶほうが、習得が速いのだということは頷ける話ですね。

 ただし、読み書きの学習は簡単ではありません。たとえば、読む場合にも低学年児童の読みはたどたどしくゆっくりで、大人のような滑らかな読みかたはできません。まして書くとなると、頭の中で書きたいことへの思いを巡らし、体験やできごとの内容の順序性を頭に置き、言葉の組み立てやつながりに気をつけながら鉛筆を走らせなければなりません。これは小学校に入学して1、2年しか経たない子どもにとって大変高度な知的作業です。おまけに書くという作業に必要な筋力も伴わなければなりません。だから、大概の家庭のおかあさんは「うちの子は書くのが苦手です」とおっしゃいます。

 こうしたもどかしいプロセスを経て、ようやく読んだり書いたりすることが軌道に乗ってくるのが3、4年生のころです(それに至る過程を、辛抱強く乗り越えてこそ能力は開花します)。

 なぜ読むこと、書くことの習得には時間がかかるのでしょうか。その理由を、専門家は「脱文脈化」という言葉を用いて説明しておられます。ちょっとご紹介してみましょう。

 読み書きの習熟にはどのような能力が必要とされるのであろうか。文章だけを読んで意味を汲み取っていく、文字だけを綴って相手に内容を伝えていくのには、いわゆる脱文脈化と呼ばれる言語能力が必要なのである。それまでの話し聞くことばと比較すれば、その違いははっきりわかるだろう。話し聞くという会話場面を考えてみればよい。そこでは、交わされることばだけではなく、それに伴う非言語的な手がかり(表情、身振り、イントネーションなど)や、共有する状況文脈といった要素が、やりとりにとって重要な役割を果たしているのである。その意味で、話し聞くは状況依存的なことばなのである。その証拠に、テープに記録された会話を文字化してみるとよい。その状況を共有していなかった他者が読めば、何が話されているかが断片的にしか理解できない。ましてやり取りの微妙なニュアンスはほとんど伝わってこないだろう。しかし読み書きという行為は、ことばだけを追って意味を理解し、ことばのみで内容や意図を表現することが求められる。これが文脈に依存しない脱文脈的なことばの使用である。それは、読み書きことばが、単に日常的な話し聞くことばから音声を消し去り、それが文字に置き変わっただけではないことを意味する。読み書きは、子どもが自覚的、体系的に学習しなければならないのである。

 どうでしょう。子どもは、目の前の文字だけを頼りに、書き手が伝えようとしている内容を理解しなければなりません。目の前に相手がいて、補助的な伝達ツール(表情、身振り・手ぶりなど)がある音声によるコミュニケーションと比べ、理解するための手がかりが限られています。だからこそ長い習得のプロセスを必要とするのですね。状況という文脈的な手助けがなく、文字という記号のみを頼りにコミュニケーションができるということが、文字を学び始めたばかりの子どもにとっていかに大変かを改めて感じずにはいられません。

 しかしながら、小学校に入学して3年目、4年目あたりになると、読み書き能力が一定のレベルに習熟し、活字を読んでかなり複雑な事柄を理解したり、構想力の伴った文章を書けるようになったりします。この段階へ至るまでの学習の積み重ね、繰り返しが重要なんですね。

 先ほどの引用文を書かれた先生によると、「こうした脱文脈的な言語の習熟は、話し言葉の使用状況に変化をもたらす」と述べておられます。授業で先生の説明を聞いて理解する能力が高まる、「しかし」「だから」といった接続詞を適切に用いて自分の思いを語れるようになる、できごととできごとの因果関係を論理に基づいて説明できるようになるなど、話し言葉を脱文脈的に用い、より正確で複雑なコミュニケーションができるようになっていくのです。

 小学校に入学した子どもたちは、このようにして言葉の高度な遣い手へと徐々に成長していきます。おかあさんがたには、こうした子どもの成長の道筋をふまえ、わが子の言葉の望ましい発達に向けた環境整備や後押しをお願いしたいと存じます。

 「何事も初めが肝心」と言います。小学校に入学し、リテラシーの習得に向けてスタートしてからの数年間が、子どもの知的基盤を築く最も重要な時期なのだということを、ぜひ心に留めていただくようお願いいたします。焦らず、日々の積み重ねと繰り返しを大切にしてください。

H,S

 

2016.7.15 夏休みを子どもの自立に向けた契機に!

 以前、子どもの朝の起床を親が手伝うのはよろしくないということを書きました。「一事が万事」という諺がありますが、朝も自分で起きられないような子どもは、何につけ自立した行動ができないものです。このブログをお読みくださった保護者で、お子さんを起こしておられたかたは、あれから状況を改善されたでしょうか。お子さんへのアプローチはうまくいったでしょうか。

 「一応は試みたのですが、やっぱり自分で起きようとしません。それで、しかたなく今も起こしています」――こんなおかあさんもおありかもしれませんね。よきに悪しきに、いったん定まった習慣はなかなか変えられないものです。

 そんなご家庭にとって、夏休みは子どもの生活習慣全般を見直し、自立へと向かわせる絶好のチャンスです。この夏休みを契機に、わが子の生活のありかたを一変させ、身の回りのことを自分でやれる子どもにしませんか?

 もちろん、今までだっておとうさんおかあさんは子どもの成長を期待し、自立へと働きかけてこられたと思います。しかしながら、日本の家庭の子育ては総じて子どもに甘いと言われます。また、子どもに何事も自分で考えさせるような働きかけが足りないと言われます。知らず知らずのうちに過保護に陥ってはいませんでしたか? それを振り返りつつ、この夏から子どもを自立へと向かわせる手立てを考えてみてはいかがでしょうか。何でもてきぱきと自分でやろうとするわが子を見るのは頼もしくうれしいことです。ぜひそれをめざしましょう。

 以下は、私が所属する学習塾での催しで、夏休みの到来に向けて保護者の方々にお伝えした提案の大まかな内容です。

夏休みの生活目標を掲げよう!



 上記のような流れで、夏休みの生活についての目標を親子で立て、実行してみてはいかがでしょうか。子どもが日課として自分でやるべきことは何かを一緒に考え、具体的に言葉にして書き記すのです。なお、夏休み中の計画なども、この要領で一緒に立ててみるとよいでしょう。

 さて、これが肝心なところですが、夏休みの目標を立てるに当たり、まずはおとうさんおかあさんから相談をもちかけるやりかたをしてみてはどうでしょうか。

 欧米の子育てと、日本の子育ての大きな違いは、欧米では「子どもに相談する」という形で子どもに考えさせ、子ども自身が決めたように導いていくのに対し、日本では親が指図や命令をして決めていくことが多い点にあります。この点においては、欧米の親のやりかたは大いに参考になるでしょう。

 「どうしたらよいと思う?」という相談の形式で決めさせると、子どもに「自分で立てた計画だ」というこだわりが生まれます。これが、計画の実行を後押しするのですね。計画が決まったら、わが子の実行力を信頼すること。「できるよね」と声をかけ、見守ってやりましょう。そして、少しでもがんばろうと努力していたら、まずそのことを喜びほめてやるのです。

 「ちゃんとできていなくてもほめるなんて」という考えかたは、望ましくありません。それではほめて励ますチャンスは減ってしまい、子どもの意欲を引き出す効果は薄れてしまいます。どんなときにもおとうさんおかあさんが見守り、がんばろうとしているときにはほめてくれる。それが子どもの奮起を促し、実行力を後押しします。そうやって決め事をやり遂げたなら、子どもは自分に対する大きな自信を得ることができるでしょう。

 このような親子の関係が、どうも日本の家庭では希薄なように思います。特におとうさんは子どもの生活面について話し合ったり、関わったりすることが少ないようです。次の資料を見てください(2001、2002国際比較調査、中里・松井による)。



 この資料を見ると、日本の親は子どもに相談したり、口出しをしたり、我慢を教えたりすることを他国の親と比べてあまりしていないようです。特におとうさんにその傾向が強く、「子どもに相談する」の項目では、驚くような低い数値を示しています。これは決して望ましいことではないと思います。

 先ほどご提案しましたが、ぜひ子どもに相談をもちかけるような声かけで、夏休みの目標づくり(生活習慣の自立)を一緒にやってみていただきたいですね。もちろん、子どもが「自分で決めたんだ!」と胸を張れるよう、子どもの気持ちを引き出すような関わりかたを試みることをお勧めします。

 これから思春期までの子どもは、親がわが子に期待を差し向け、何を見て喜び評価するかで成長の方向も変わっていきます。結果がでたらほめてやるのではなく、やろうと努力するプロセスをほめてやる親のもとでは、子どもは大変な励みややる気を得られるものです。自立した行動、自分に対する自信も、自ずと子どもに身につくのは間違いありません。

 親は毎日忙しく働いていますから、子どもの一挙手一投足までは見守れません。しかし、子どもにすれば、ちゃんとやっているときには見ていてほしいのです。一緒にいる時間はそういう意味でとても大切なものです。

 滅多にわが子と一緒にいられないおとうさんは、せめて「今日はどうだった?」といったように話しかけ、やるべきことをやろうとした様子がわかったときには大いにほめてあげていただきたいですね。きっとお子さんは、そんなおとうさんの反応に喜び、ますますがんばろうという気持ちを高めることでしょう。

 それでは、充実したよい夏休みをお送りください!

H,S

 

2016.7.22 夏休みには子どもに自然体験を!

 もうすぐ夏休みがやってきます。夏休みは小学生の子どもにとって年間でいちばん長い休暇です。日常のルーチンから開放されるうえ、プール通いやスポーツ活動など、やりたいことがふんだんにやれるし、花火大会やキャンプ、旅行などの行事も目白押しです。開放感に満ちた夏休みは、昔も今も子どもたちにとって最も待ち遠しいものの一つではないでしょうか。

 こうした夏休みならではの楽しみもよいのですが、もう一つ保護者の方々にご提案したいことがあります。それは、お子さんといっしょに戸外へ出かけ、自然とふれあう体験をすることです。家の周りにある小さな自然でも構いません。また、少し遠出して森や海辺へ出かけるのもよいでしょう。

 最近の子どもは、学校が終わってからもスケジュールがかなり密に組まれて おり、自然と戯れたり、時間を忘れて遊びほうけたりする時間がありません。 長い夏休みの休暇は、普段はできない自然とのふれあいを経験させる絶好のチャンスです。

 では、どうして自然との接触が子どもに必要なのでしょうか。ある教育学者は、「自然のなかには、自分を違った眼差しで見たり、自分のなかにもう一人の自分をつくっていくきっかけがいっぱいちらばっているからだ」と述べておられます。

 夜空の星を眺めて、果てしない宇宙の広がりに思いを馳せる。顕微鏡を覗き込み、普段は目でとらえることのできない微生物の生きている姿を確かめる。そこで味わう驚きや感動、不思議な気持ちは、自分以外の様々なものごとや生き物の存在に改めて気づくきっかけとなり、それが自分を見つめるもう一つの眼差しを形成するのです。

 人間も太古の昔には自然の中で暮らしていました。文明の発達とともに自然と隔絶した暮らしをするようになりましたが、それが人間本来の本能を鈍らせているのです。したがって、ときには自然と触れ合うことも必要なのです。それによって、人間としての本能を呼び覚ますことができるのですから。

 前述の教育学者は、「小学生時代に、自然のなかにたくさん連れだし、感動したり、驚いたり、怖がったりする体験をする。それが、子どもたちが人間として生きていくうえで、ほんとうに大事なことだということを、これからは親や教師の常識にしてほしいとさえ思います。そのことは、のちのち、間違いなくいろいろなことの助けになります」と、著書に書いておられました。

 また、自然体験をすると子どもの学習意欲が高まるという公的調査の結果データも示されています。ちょっとご紹介してみましょう。


※文部科学省『平成14年学習意欲に関する調査研究』

 なぜ自然体験をした後の子どもは、学習意欲が高まるのでしょうか。保護者のみなさんはなんとなく納得されているかもしれませんね。自然に触れる体験は人間本来の瑞々しい感性を取り戻させてくれます。また、自然の植物に満たされた世界、そしてそこに生きる小動物、昆虫、魚などに子どもは大変興味をもちますし、それらに触れる体験を喜びます。それが物事に興味・関心を向ける気持ちを呼び起こしてくれるのかもしれません。さらには、自然で目にするもの、触れるものが癒し効果を引き出す面もあるでしょう。小学生だって、毎日の学校生活や家庭生活においてはストレスと無縁ではありませんから。

 玉井式の教室に通っておられるお子さんの多くは、おそらく都市部にお住まいだと思います。自然とのふれあいに満ちた生活をしているお子さんはごく少数ではないでしょうか。この夏休みはぜひ、お子さんと一緒に自然のなかに足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。

 ずいぶん前の話になりますが、私も息子が小学校の1年生のころ、夏休みに「おまえは一度もカブトムシの本物(自然にいるカブトムシ)を見たことがないだろう。一度、見せてやろうか」と言って、1時間ほど車を飛ばし、山の中の林に連れて行ったことがあります。

 ところが、私自身が結構な田舎育ちのくせに子ども時代にカブトムシを採ったことがありません。クヌギの木の蜜に寄って来るということは知っていましたが、どれがクヌギなのかよくわかりませんでした。1時間経ち、2時間経ってもお目当てのカブトムシは見つからず、直に息子は興味を失ってしまいました。それでも息子を励ましながら林の中を探し回ったのですが、段々と夕暮れが近づいてきました。

 とうとうあきらめて、「おい、そろそろ帰ろうか」と息子に声をかけようとした瞬間、頭上から黒い大きな塊がポトリと落ちてきました。「なんだろう?」と思って手に取ってみると、なんとオスの大きなカブトムシではありませんか。私は頭上に枝を広げる大きな木を指さし、「あれが、カブトムシが棲むクヌギの木だ!」と息子にしたり顔で説明し、親としての面目を危ういところで保てたのでした。

 つまらない例を書いてしまいましたが、親子での自然探索ではこういう思わぬ展開が結構あるもので、それがまた親子共通の貴重な思い出にもなるでしょう。息子が大人になってから、このときのことを話したのですが、息子はまったく覚えておらずガッカリしたことを記憶しています。ですが、親としては忘れられない思い出としていつまでも残しておきたいことの一つになっています。

 夏休みがもうすぐやってきます。夏の予定にまだ余裕がありましたら、ぜひ親子一緒の自然体験を計画してみてください。気持ちのリフレッシュだけでない、大きな収穫が得られることでしょう。

H,S

 

2016.7.29 夏休みには親子で文化施設探訪を!

 みなさんは、子ども時代によく見に行ったものやところはありませんか? また、あることに興味をもち、ひたすら夢中になった経験はありませんか? それがきっかけで、将来の歩みや方向性が定まったり、職業が決まったりすることがよくあるものです。伝記などを読むと、「子どものころの体験やできごとが人生を決めるのだな」と思わせられることがよくあります。

 卑近かつ、次元の低い話で恐縮ですが、それは私自身にもいくらか当てはまるように思います。親が読書好きだったことで、裕福とは言い難い生活だったものの、本だけは買ってもらえる環境にありました。手持ちの本を読み尽すと親の書棚を物色し、大人向けの文学全集を読み漁るようになりました。特に夏休みなどは時間がたっぷりとれたので、たくさんの本を読んだ記憶があります。そんな私でしたから、当然のように得意な教科が文系に偏り、たまたま興味をもった教育・心理系の学問を修め、今の仕事にたどり着きました(もう30年以上になります)。

 私には息子がいますが、彼には「理系の方面に興味や素養を」という漠たる期待をもち、幼いころから数遊びをしばしば一緒に楽しみました。小学生になったら算数好きになるよう仕向けました。3年生の頃には、ゲームの代わりに算数のパソコンソフトを買い与え、それをやらせました(ゲームはとうとう一度も買い与えませんでした)。不思議と息子は不満を漏らさず、パソコンの算数課題に喜んで取り組んでいました。その頃もそれ以後も、決して優秀とは言えない彼でしたが、算数、数学はずっと好きで(成績はともかく)、大学でも数学を専攻し、結局数学教師になりました。

 このブログをお読みくださっているかたの多くは、小学校低学年のお子さんをおもちの保護者であろうと思います。みなさんのお子さんは、今からどのような方向にも人生の舵取りができますし、今は見えていない可能性を引き出すことができます。わが子が何に向いていて、どんな可能性があるか皆目わからない今こそ、様々な可能性を探るべく、いろんなことやものに触れさせるべきではないでしょうか。それが子どもの人生を決定づけるかもしれないからです。

 ここで、偉人と言えるレベルの人物の子ども時代についてのエピソードをご紹介してみましょう。親が熱心に子どもに様々なものごとに触れさせることが、子どもの人生に大きな意味をもたらすことを教えられる話だと思います。

ノーベル物理学賞受賞者で、20世紀最高の科学者として知られるリチャード・ファインマン教授の父親は科学者ではなく、あまりうだつのあがらない起業家だった。しかし、少年時代を振り返って、ファインマン教授は、彼が科学者になったきっかけは、「父親が博物館に連れて行ってくれたこと」だったと述べている。
ファインマン教授の父親は、博物館で氷河痕の模型を見つけると、ファインマン少年に熱心に氷河について説明し始めた。父親の説明は完璧とは言い難く、間違っていることも多々あったという。しかし、父親の熱心な姿勢とことあるごとにファインマン少年の意見を尋ねる姿勢は、単に正しい説明を与えるよりもはるかに大きな財産を、ファインマン少年に残したのだ。
※上記は、アンドリュー・サター氏の文献から引用しました。

 どうでしょう。リチャード・ファインマン氏は、日本でもよく知られた高名な学者ですが、そのおとうさんは決して成功者と言えるような人生を歩んだかたではありませんでした。ですが、わが子を博物館へ連れていき、熱心に子どもに説明をし、子どもの興味や関心を引き出そうと働きかけました。そういうことが子どもに与える影響がいかに大きいかを改めて思わずにはいられません。子どもでもわかる間違いがあったことなど、何らマイナスにはならないのですね。むしろ、親への尊敬や感謝の気持ちを引き出したのです。

 みなさんも、この夏休みには博物館や、歴史資料館などを親子で訪ねて みてはいかがでしょうか。コンサートや観劇だって構いません。無論、 親は子どもの夏休み期間だからといって、特別に休みが増えるわけでは ありません。ですから、「夏休みを利用して、子どもと一緒に様々な 文化施設を尋ねてみましょう!」などと申し上げても、「そうしたいけれ ど、時間がありません」とお答えになるかたが少なくないことでしょう。

 ですが、小学生時代の各学年の夏休みは人生で一度きりです。1年経つごとに子どもは大人に近づいていき、子どもへの影響力は減ってしまうのです。お忙しいとは思いますが、せめて夏休み中に一度か二度、文化的なものに触れる体験をお子さんにさせてあげてください(無論、前回お伝えした自然体験もよいでしょう)。

 そのとき、できればその施設にあるものについて十分な下調べをし(音楽や劇ならその内容に関わる知識を)、お子さんの興味を惹くような説明をたっぷりとしてあげてはどうでしょう。お子さんの親を見る眼差しが変わってくるかもしれません。また、それ以上に期待したいのは、お子さんがいろいろなものに関心を寄せ、「知りたい」という欲求に動かされて行動を始めることです。

 小学生時代にしたことは原体験として後々の人生に残ります。親がわが子のために仕向けたことが仮に具体的な成果として見えてこなかったとしても、おそらく一生の思い出になるのではないでしょうか。それは、それぞれ家庭ならではの、親子で携える重要な財産と言ってもよいものだと思います。

H,S

 




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