子どもの才能は生まれつき?
いいえ、家庭の関わりが大きな作用を果たします。


2016.6.3 自分の要求に折り合いをつける

 子どもの内面の成長を見る尺度の一つに、「自分の欲求に折り合いをつけられるようになるかどうか」ということがあります。小学生になると、「何が何でも自分の思い通りにならないとおさまらない」といった、幼児的な側面がだいぶ薄れてくるものです。おたくではどうでしょうか。

 1月29日に、「しつけの本質とは何かを考える」というタイトルの記事を掲載しました。この記事は、発達心理学者の岡本夏木先生(元京都大学名誉教授 故人)の著書にあった、「“しつけ”のもつ本来の意味は、着物の『仕付け』から来たものではないか」という考察に惹かれ、ぜひ保護者のみなさんにお伝えしたいと思って書いたものでした。

 しつけとは、着物が完成したときに仕付け糸を外すのと同じように、外からの押しつけを不要にするため、親が手を出す必要をなくすためにするものなのですね。つまり、しつけとは子どもの自立を促す営みなのです。とかく親は、しつけの場で「〜してはいけません」といった“禁止”や、「〜しなさい」「〜早くしなさい」といった“命令”“催促”の言葉を用いがちですが、こういう言葉は“しつけ”の本来の目的から外れたものなのだということを思い知らされます。

 この仕付け糸を外す段階に向かっているかどうかは、「自分の思い通りにならないときのわが子の対応」を見ればある程度わかるでしょう。

 赤ん坊のころは、ただただ優しかったおかあさん。しかしながら幼児になると、親は言うこと、要求することを「すべてOK」と応じてくれる存在ではなくなっていきます。なぜなら、子どもは大きくなるにつれ、親の許容範囲を超えた様々な要求を突き付けるようになるからです。この段階を迎えると、子どもにとっておかあさんは自分の思い通りにならない、不快な存在としての一面をもつようになります。

 では、自分の欲求をおかあさんにはねつけられたとき、子どもはどうするでしょう。岡本先生は、そんなときの行動の選択肢は大まかに二つあると述べておられます。

 一つは、自分の要求をあきらめ、おかあさんの言うことを全面的に受け入れることです。自分の要求を取り下げるのは辛いことですが、代わりに「あなたはいい子ね」とおかあさんにほめられることもあるでしょう。そして、もう一つはあくまでも自分の要求にこだわり、おかあさんと対決することです。しかしながらこの選択肢を行使すると、「そんなにわがままを言うのなら、あなたはもううちの子じゃないわ」とばかりに厳しい対応をされる恐れがあるでしょう。それは子どもにとって辛いことです。ですから相応の覚悟が必要になってきます。

 このブログをお読みのかたの多くは、小学校1〜3年生のお子さんをおもちのかたであろうと思います。かつてあなたのお子さんは、このような場面に至ったとき、どうされたでしょうか? また、今も同じような場面に至ったとき、お子さんはどのような解決法を選択しておられるでしょうか?

 自分の要求をすべて取り下げるか、あくまでも自分の要求にこだわるか。いずれにせよ、この二つは子どもにとって気持ちがすっきりとする解決法ではありません。前者は要求をまるごと断念することですし、後者はおかあさんとの激しいぶつかり合いを伴います。

 子どもはやがて、こうした二者択一の葛藤を乗り越える第三の方法を見出すようになります。それは、自分の要求を全面的に押し通すわけでもなく、またすべてをあきらめるわけでもない、新しい解決法です。このことについて触れた、岡本先生の著述部分をご紹介してみましょう。

 自分の要求を、お母さんも認めてくれるかたちで通すにはどうすればいいのか、おかあさんに無条件降伏してしまうのではなくて、かつまたその要請をもうけいれるような方法はないか。自分は何を辛抱し、何を主張すべきなのか、子どもがしつけの場を、こうした問題を課せられた状況として立ち向かってゆくようになってこそ、それが新たな自己の成長を生み出す力となってゆくのでしょう。

 そうした方法を探索するためには、まず自分の要求の実現をその場で即刻求めるのではなく実現の時を延長し、しかもその間要求を捨ててしまうのではなく、心の中で持ちつづけながら、いろいろの手段を検討してゆくことが必要になります。要求の実現の延期と心の中での持続ということは、自我の発達や自律の基礎として特に大切なことです。店頭にあるおもちゃをいま買ってほしい。しかしそれも無理にねだれば、おかあさんは拒否するに決まっている。そこで正月のお年玉として買ってほしいと要求すると、お母さんはみとめてくれた。そのかわり、お正月までは、店の前を通るたびに、そのおもちゃを横目でみながら辛抱しなければならない。あるいはお正月までに、それが売り切れてしまわないか、心配したりする。それだけに、お正月にはそれを手にした時の喜びはひとしお大きいのです。

 子どもも成長するにつれて、何もかも自分の思い通りにはいかないことを学びます。自分の要求を押し通すことは、他の誰かの要求を妨げることになることにも気づきます。たとえば、遊び道具を使用する順番を決めるため、みんなでじゃんけんをする様子をよく見かけますが、それなどはお互いに不満を残さずに解決する方法として子どもの間で自然発生的に生まれたものでしょう。

 自分の要求と他者の要求とに折り合いをつける。それはこの先の長い人生を歩んでいくうえでとても重要なことですね。大人になっていく過程において、子どもはもっともっと複雑で面倒な折り合いのつけかたを学ぶ必要があります。お子さんの現状を振り返ってみてください。今の段階で、「うちの子はいい子で聞きわけがよい」「うちの子は、わがままが過ぎて困る」などと喜んだり嘆いたりしているかたはありませんか? 実は、 小学生になった段階では、どちらも望ましい状況とは言えません。どちらも、そのまま大人になってしまうと、粘り強い交渉事の苦手な人間になってしまう恐れがあるからです。

 前者のような場合、おかあさんが結論を先に言ってしまうのではなく、なぜこのような要求をするのかをお子さんに優しく尋ね、しっかりと聞いてあげてください。そうして、気持ちを伝えあうことを通じて、折り合いをつけるための方法を学ばせるのです。いい子過ぎるお子さんには、親に交渉して要求を受け入れてもらうことの喜びを体験させてあげてほしいですね。

 後者のようなお子さんはどうでしょう。親としては忍耐が必要ですが、まずはなぜ要求を受け入れてやれないのかを話して聞かせ、そこから上手に話し合いにもっていく姿勢が必要だと思います。一方的に「ダメ」を繰り返しても、お子さんは変わりません。そうして、少しずつ第三の方法に気づかせるようさりげなく導いてあげてはどうでしょう。

 子どもが自分の要求をある程度抑えつつ、それでいてあきらめることなくもち続ける。岡本先生はそれが自我の働きなのだと述べておられます。前述のような第三の方法に気づき、他者との交渉によってバランスの取れた解決法を見出す力を養っていく。それが自我を育てることにつながり、社会に出てから集団の中で自分を位置づけることのできる能力を育むことになります。これもしつけの重要な要素の一つではないでしょうか。

H,S

 

2016.6.10 “自制”や“我慢”と学力との相関関係

 前回は、自分の要求に折り合いをつけられるようになることが、自我の発達とリンクしており、子どもが大人に近づいていくうえでとても重要なステップなのだということを、発達心理学者の見解をもとにお伝えしました。

 このことは、学力形成にも深く関わってきます。「もう少し遊んでいたい」という気持ちと、「予定(計画)通り勉強しなければ」という気持ちに折り合いをつけることが、小学校入学後の学習において常に問題となるからです。この葛藤を乗り越えることこそ、子どもの成長上の大きな課題なのです。

 おたくのお子さんは、学校の宿題や玉井式のプリント課題などの取り組みをどうされているでしょうか。おそらく、毎日のおおよその学習計画は立てておられ、保護者がこの計画に沿って勉強していくようフォローしておられるのではないかと思います。低学年のうちは、まだ子ども自身の自覚に基づいた勉強は無理ですから、それは必要なことです。

 こうして、家庭勉強の習慣の定着に向けてバックアップしながら、子どもが自分で勉強をコントロールできるようになるにつれて手を引いていくのが理想でしょう。しかしながら、子どもが4年生以上になっても、「なかなか実行できない」という報告や相談を受けます。小学生までの子どもが自分の要求をコントロールできるようになるのはなかなか難しいことなのでしょう。また、親も適切な対応がわからないということも原因のひとつかもしれません。

 おそらく、計画を予定通り遂行できない子どもは、「そろそろ時間だから勉強しなくちゃ」という気持ちが、「もう少し遊んでいたい」という誘惑に負けてしまうのだと思います。二つの気持ちで揺れるのはどの子どもも同じでしょう。しかしながら、このような状況でのちょっとした心の制御の違いが、「勉強するかしないか」の差になって現れ、やがては「学力」の違いを生み出すのです。

 自制の気持ちをもつことは、人間社会で生きていくうえで欠かせないものであり(自分の思い通りにならないことがなんと多いことか!)、実は自分の能力を上手に伸ばしていくための絶対的な条件の一つです。次にご紹介する実験は、心理学においてよく知られているものですが、自制の気持ちを携えていることと、学力の関係を大いに示唆してくれる事例と言ってよいでしょう。

 アメリカの性格心理学者、ウォルター・ミッシェルらは、大学の附属保育園に通う子どもたち(4歳児)を対象に、「今すぐお菓子がほしいなら1つ、15分間もらうのを我慢すれば2つもらえる。途中でほしくなったらスイッチを押してベルを鳴らせばすぐにもらえる(その代わり2つ目はもらえなくなる)」という条件を提示し、それぞれの選択をした子どもの“その後”の成長の様子を調査する実験を行いました。

 すると、10歳代になったときの成績は、すぐもらうのを我慢してより多くの報酬を得る選択をした子どものほうがよいという結果を見出しました。これは、満足遅延の能力をはかる実験として広く知られるものですが、この能力が高い子どもは、学力も伸びるということが証明されたわけです。さらに、満足遅延の能力が高い子どもは、SAT(大学進学適性試験)のスコアも高くなるということもわかりました。

 まだ幼児の域を出ていない年齢において、15分待てた子どもはどのくらいいたと思いますか? 約4分の1だったそうです。「15分待てたら、お菓子をもう一つもらえるよ」と言われると、ほとんどの子どもは15分待つことを選択しました。しかしながら、そのうちの大半の子どもは我慢できなくなり、ベルを鳴らしたのでした。

 この実験に加わった子どもたちの“その後”で注目に値するのは、ベルを鳴らすまでの時間が短かった(我慢できる時間が短かった)子どもほど、学校や家庭において問題を起こしやすい人間になっていたということです。上述のSATの結果も併せると、「自制心やセルフコントロールの能力を幼児期から養っていた子どものほうが、学業面においても、行動面においても望ましい成長を遂げる可能性が高い」という結論が導き出せそうですね。

 ここまでお読みいただくと、ほとんどのかたは「じゃ、どうすれば自制心の強い子どもに育てられるのか」ということに関心をもたれたことでしょう。そのいっぽうで、「こうすれば、ああなる」式の便利で簡単な対処法などないことも、みなさん先刻ご承知のことでしょう。子どもの自制心を育てるよい方法があれば、子育てはずいぶん楽になるでしょうに。

 そこでもう一度振り返っていただきたいのが前回(6月3日掲載)の記事です。おもちゃを買ってほしいけれども、すぐに買ってもらえる値段ではない。そこで、「お正月のお年玉として買ってほしい」と親に交渉する。そして、何か月ものあいだ「早く欲しい」という気持ちを我慢し、さらには「そのおもちゃが売り切れてしまわないか」という心配と闘いながら、やっとの思いでそのおもちゃを手に入れる。

 この例は、主として小学校入学前後までのお子さんに当てはまるものでしょうが、もっと年齢が上がるほどに自分の要求に折り合いをつけ、我慢や自制によって目的を達成することが求められる場面は増えていくものです。誰にも覚えがあると思いますが、こうした我慢の末念願の物を手にしたときの嬉しさは格別ですよね。ぜひ、わが子にそういう体験をさせてやりましょう。

 子どもが何かを欲しがったり、何らかの行動を望んできたりしたときがチャンスです。いきなり親が結論を言わず、「どうしたらいいと思う?」と考えさせ、少しだけ解決のためにヒントをやる。そうして、子どもが自制心を働かせて待つことができたなら、望みを叶えてやる。そういったことを繰り返せば、子どもはきっと変わるのではないかと思います。

 大人は、「子どもの学力を伸ばすには、とにかく一生懸命勉強させることだ」と思いがちです。それは間違いではありません。しかし、それが大人の押しつけにいるものであったなら、おそらく子どもの頭脳の成長にはさほど寄与しないことでしょう。子どもが得たいものを手に入れるため、自らの気持ちをコントロール(自制)し、自覚的に取り組んでこそ、真の学びの成果は得られるのではないでしょうか。

 今回は、満足遅延の実験を通して「自制と学力の相関関係」について一緒に考えていただきました。多少わかりにくい点があったかもしれませんが、子どもの自覚的学びを引き出したいと考えておられる保護者のかたに、多少なりとも参考にしていただけたなら幸いです。
H,S

 

2016.6.17 大切なのは勉強に向き合う気持ち

 ある学習塾の待合室でのことです。それまでの静けさを打ち破る、耳をつんざくような大声が突然部屋いっぱいに響き渡りました。

 「何だろう」とびっくりして周囲を見渡したのですが、私と同行者以外は一組の親子(母親と小学校2年生ぐらいの女の子)だけでした。どうやら、おかあさんが娘さんを大声で叱りつけておられたようでした。

 「この問題一つ答えるのに、何分かかっていると思うの!」という、おかあさんの畳みかけるような一言で、たちまちおおよその事情はわかりました。待合室で取り組んでいた問題に娘さんが手間取り、なかなか答えることができないでいたようで、とうとうおかあさんが業を煮やし、怒りの言葉を浴びせておられたのです。

 娘さんの表情はこわばり、今にも泣きだしそうでした。おそらくそのおかあさんは、なかなか成果を得られないわが子の現状に苛立ちを押さえられなくなったのでしょう。「なんでもっと、スラスラ解けないの?」というおかあさんの気持ちはわかります。しかしながら、このような叱りかたをしたところで、お子さんが問題を解けるようになるわけではありません。それどころか、勉強の意欲を喪失したり、おかあさんへの反感を抱いたりするなど、おかあさんの願いとは裏腹な状況に至ることになりかねません。

 親はわが子に多大な期待を寄せています。それだけに、少々がんばっても満足することができません。せっかく一段階レベルアップしたのに、ほめるどころか、すぐさま「もっとがんばれ!」と叱咤激励します。そんなときの子どもの気持ちはどうでしょう。おそらく、「がんばったのだから、ちゃんとほめてほしい」と願っているのではないでしょうか。

 このようなとき、親は子どもの気持ちに意外と無頓着です。「私の気持ちをわが子はわかっているはず」という一方的な思い込みがあるからではないでしょうか。そうして、せっかくのほめるチャンスを活かさず、「もっと」と わが子への要求レベルを上げていきます。こうしたことが続くと、子どもは勉強そのものへの関心や情熱を失い、親に認めてもらうこと、ほめてもらうことのために勉強するようになりがちです。そうして、やがて「これ以上は無理」「どうせできっこない」という気持ちが頭をもたげてきて、自信や前向きさを失ってしまうのです。

 随分前の話ですが、私が6年生の男子の国語指導を担当していたときのことです。男子300数十名中2番の成績(算・国・理・社の総合)をあげるほどの優秀なお子さんがいました。ところが彼は、よい成績をとっても常に浮かない顔をしていました。気になったので話をしてみると、せっかく2番という凄い成績をとったというのに、おかあさんに「次は1番よ!」と更なるハッパをかけられたとか。どんなにがんばっても、ほめられないばかりかさらに上を要求され、気持ちが守りに入ってしまったのです。

 しばらく経った後、総合30何番かに成績が下がったとき、彼は泣きべそをかいていました。「今日は家に帰れないよ。おかあさんに叱られてしまう」と言うのです。「何言ってるの。この成績だって、他の人がよだれを垂らしてうらやましがるほどの成績じゃないか」と言って励ましたのですが、彼の目はうつろでした。

 秋が深まり、入試問題の演習が始まると、とうとう彼は勉強中に泣き出しました。「こんな難しい問題、僕にはできません」と言うのです。春ごろには、彼の影さえ踏めない成績だった多くの男子受験生がちゃんと取り組んでいるというのに。すっかり意欲も自信も喪失してしまった彼は、落ち着いて考える心の余裕をすっかり失ってしまったのでしょう。そうして、彼は笑顔を取り戻すことなく入試を迎えました。入試の結果は、彼の本来の実力を知っている私には到底信じられないほどの惨憺(さんたん)たるものでした。

 もしも彼が2番の成績をとったとき、おかあさんが「すごいじゃない。よくがんばっているのね」といったふうに、わが子の努力をほめていたらどうでしょう。あとはおかあさんが何も言わなくても、彼は勢いよく勉強に取り組み続けたでしょうに。おそらく、入試の結果はまったく違ったものになったに相違ありません。

 小学校中学年〜思春期前までの子どもは、「親の期待に応えたい」「親の望むような人間になりたい」という気持ちを強くもっています。この気持ちに支えられた学習意欲が、勉強の取り組みや成果を左右します(心理学者の文献によります。機会をみて、関連資料をご紹介します)。このような流れを築くには、わが子をタイミングよくほめ、親からのOK信号を送ってやればよいのです。

 おたくではどうでしょう。お子さんの取り組みに元気や前向きさがあるでしょうか。玉井式の授業の様子を楽しく報告してくれているでしょうか。やり遂げたとき、「おかあさん、やったよ!」と、目を輝かせて報告してくれているでしょうか。小学校低〜中学年のお子さんをおもちの保護者には、何よりも親の承認や励ましを通して子どもの心に自信ややる気を吹き込んであげることを心がけていただきたいと思います。それが子どもの勉強に活力を与え、勉強に向き合う気持ちを能動的なものにしていくからです。こうしたことの繰り返しのなかで、親は「勉強の結果ではなく、努力すること自体を期待しているのだ」と伝えてやればよいのです。

 私は中学受験指導の現場で千名以上の受験生を見てきましたが、親(大人)に尻を叩かれ、勉強を強要されていたお子さんは、受験が近づくと失速しがちであったように思います。また、志望校に受かっても、中学、高校、大学へと勉強のレベルが上がっていくごとに伸びを欠いているように思います。

 逆に、子どもの勉強に向き合う気持ちが前向きであれば、入試が近づくほどに勉強が熱を帯びてきて、ラストスパートの伸びも大きいように思います。何よりも、中学進学後も熱心に学ぶ姿勢を失いません。小学校の低〜中学年の段階では、親がわが子の勉強に関心を寄せ、ある程度手を貸す必要があります。しかし、今学んでいる子どもの心のうちを慮(おもんばか)り、親にやらされるという意識ではなく、自分からやろうという気持ちになっているかどうかを大切にしていただきたいと存じます。

 最後に。難関と言われるような中学校への進学を視野に入れておられる保護者で、「子どもの気持ちに沿った勉強では合格は覚束ないのではないか」と思われたかたはありませんか?

 私は、受験する中学校のレベルが高ければ高いほど、子どもの勉強には自律性や前向きな姿勢が必須だと考えています。受験においても、中学進学後の学習生活においても、優秀な子どもたちが高いレベルで鎬(しのぎ)を削るわけですから、受け身の勉強や単なる手段としての勉強では自分を通用させることはできません。

 わが子が小学校低〜中学年のうちにこそ、親がしっかりと勉強の様子を見届けてほめ、学びに向かう姿勢を育んでやりたいものです。親がわが子を変えられるのは児童期までで、思春期を迎えると親の影響力は一気に減退します。それまでのあと数年間を親として大切にしてください。

H,S

 

2016.6.24 勘違いの多い子は頭が悪い?

 「うちの子はおっちょこちょいで、できるはずのテスト問題をいくつも落とすんです。どうしたらミスをなくせるでしょうか」――これは、中学受験の指導現場の担当者が、おかあさんがたからよく受ける相談です。

 おっちょこちょいによるミスは、特に男子に多いことは、多くのおかあさんや塾の指導担当者の悩みの種になっています。低〜中学年の子どもの場合、問題の意味の取り違えも少なくありません。そのために随分点を失っている子どももいます。

 このように、テストのたびに勘違いをする子どもは能力が足りないのでしょうか。これについて、みなさんはどう思っておられるでしょう。「能力不足なのだろう」「もうこれは性格なんだから、仕方ない」とあきらめかけているかたはありませんか?

 ある心理学者の著書に、一般的に思われていることとは違った観点で勘違いについて説明されていました。一言でいうと、勘違いは頭のよい証拠なのだそうです。ちょっとそのくだりをみなさんにご紹介してみましょう。

 私たちが生きている世界はたえず変動しているので、脳は過去の経験をそのまま固定してとらえるわけにはいかず、大ざっぱに働いていなければなりません。その結果として、ときに間違えることにもなります。正確に記憶し、間違えることがない脳が優れていると考えられがちですが、もし、そのような脳があるとすれば、それに調節されている人間は生きていけません。間違える可能性も大きい大ざっぱさが頭のよさの一つの尺度となるでしょう。

 ただし、間違えるといっても、それは似たようなものを間違えるのです。似たものといっても物理的に近いものだけではなく、その人との関係が近いものも間違えます。我が子の兄弟の名前を呼び間違えたりするのも、その例です。したがって、間違いの内容を検討すれば、その人の過去とか生活とか学習方法などがわかります。 (中略) テストで、内容的に似たものを間違えていれば、その学生は学んだことをかなり理解していたことがわかるし、そうでなければ、理解しないで丸暗記していたことがわかる、という具合です。

 どうでしょう。テストで似たものを取り違えたのは残念なことではありますが、その理由は学習対象を理解していないからではなく、人間の脳の働きの特性から来るもののようです。頭がよく働くがゆえに、似たようなものに反応して間違いをしでかしてしまうのですね。

 ですから、何をどう取り違えたのかをはっきりさせれば、「どういう間違いを自分はしやすいか」ということが理解できるでしょう。そうやって、間違えた理由を検証していくうちに、脳は細かい区別ができるように育っていくのです。「この区別を繰り返すことで、人間の行動や反応は 精密になっていくのだ」と、前述の心理学者は述べておられました。人間の脳は機械やコンピュータと根本的に異なるのは、「揺れ」や「失敗」の繰り返しを通して変わっていくということではないでしょうか。そうして人間は成長していくのですね。

 このことを踏まえて対策を考えてみましょう。年齢的に、改善を子ども自身に任せたのではミスや取り違えを減らすのは難しいと思います。そこで親は一緒にテストの結果を点検する必要があるでしょう。どんな問題のとき、どんな状況で間違いやすいのか、テストの答案を見ながらチェックするのです。

 ただしその場合、命令口調や叱責は禁物です。ただでさえ、子どもはバツが嫌いですから、間違えた問題の見直しを好みません。一緒に点検していくスタイルで、どこをどう間違えたのかを冷静に子どもに気づかせるのです。くれぐれも親が先に指摘するのではなく、子どもが自分で気づくよう導くようにしてください。なるべく穏やかに提案をもちかけるように接するのがポイントです。そして、「なるほど、よく気がついたね」などと子どもの主体性をサポートする反応を心がけましょう。

 そうして、どういう間違いをする傾向があるのかを子ども自身がある程度自覚していけば、段々と同じような間違いを繰り返すことがなくなっていくのではないでしょうか。特に、じっくり読んで内容を理解しようという姿勢に乏しい男の子には、辛抱強い働きかけと励ましが必須です。

 親にとって忍耐を強いられますが、今のうちにそういうバックアップをしておけば、勘違いによるミスの少ない人間に成長することができるでしょう。それは、子ども自身にとっても、親にとっても大変喜ばしいことではないでしょうか。

H,S

 




会社概要 | プライバシー・ステートメント | 個人情報保護方針 | お問い合わせ