子どもの才能は生まれつき?
いいえ、家庭の関わりが大きな作用を果たします。


2015.10.02 文章を読むときの脳内の情報処理

 文章を理解するには、書かれている言葉とそのつながりを理解し、絵のようにイメージすることが必要です。それは、大人なら何の造作もないことです。よほど難しい文章ならともかく、大概は一生懸命になるほどのことではありません。

 しかしながら、文字学習を始めてわずかな期間しか経ていない低学年児童にとって、文章を読むということは大変高度で難しい作業です。なぜなら、文字とその読み(音)の関係が十分にはわかっていませんから、文章をゆっくりとたどり読みするのが精いっぱいです。書き言葉の語彙がまだ僅かですし、文法的な知識もほとんどありません。

 前述のように、文章を読むとは「著述内容を絵のようにイメージしていくこと」を言いますが、低学年のうちは今述べたような理由でそれが上手にできないのです。

 絵本は、そうした子どもたちが読みの世界へと参入していくための橋渡しとして存在します。書かれている場面のイメージングを助けるため、重要な場面を絵に描くことで文章の意味理解を助けているわけです。

 絵本を楽しみながら、書き言葉の世界へと段々移行していくプロセスで、子どもたちにはどんな変化が生じているのでしょうか。絵の助けを借りず、活字のみを頼りにして描かれている場面をイメージするには、脳のなかでどのような働きが必要なのでしょうか。

 文章読解においては、二つの大きな情報処理の流れがあります。

 @ トップダウン処理

 トップダウン処理とは、文章に描かれている内容に関して、自分が既にもっている知識を動員して、理解に役立てていくような情報処理のことを言います。たとえば、「ルディたちは近所の公園に行きました」という記述から、公園についての既有知識を動員すれば、状況がイメージし易くなります。「公園」というと何をイメージされますか? おそらく、「噴水」「花」「樹木」「砂場」「ブランコ」「滑り台」「鉄棒」「鳩」など、頭に思い浮かべるものには、かなり共通性があるのではないでしょうか。この例のように、ある事柄についてのひとまとまりの知識の集まりをスキーマと言います。

 より具体的な行動の手順に関するスキーマとしては、スクリプト(台本)と呼ばれるものがあります。ある場所に行ったら、まず○○をして、次に○○をして、その次に○○……」といった様式化された一定の手順に関する知識のことです。

 「レストランスクリプト」などは、心理学の本などでよく紹介されています。たとえば「レストラン」という記述から、レストランでの約束事(席に案内される、メニューが渡される、オーダーする、できあがった料理がテーブルに届く……、レジで会計を済ませる)を体験していれば、文章中の「レストランで食事をした」という記述場面イメージし易くなります。これに習えば、「スーパーマーケットスクリプト」(スーパーに入る、カゴとカートを取り出す、商品をカゴに入れる、レジに並ぶ、支払う)など、いっぱい連想されるでしょう。

 文章を読むときには、誰でもこういった前知識を動員して理解の手だてにしています。トップダウン処理にあたっては、生活体験が豊富にあることが必要ですが、低学年児童にはそれが十分ではありません。玉井式は、その欠点を補う実に有効な方策を採っています。それについてはいずれご説明します。

 A ボトムアップ処理

 ボトムアップ処理とは、読み手がもっている前知識とは無関係に、活字の流れや組み立てをたどり、そこから得られる情報を頼りにして描かれている内容を理解する読みの方略を言います。

 具体的には、単語の区切り目と意味を確認し、単語のつながりを分析し、文としての意味や流れを理解し、一連の文の連なりを通して一つながりのストーリーとして理解し、さらには段落同士の接続や全体の構成をつかんでいきます。

 そうして、話の全体像をつかんでいったり、前後関係を頭に置きながら先の展開を推測したりしていきます。展開の推測は、文章理解に欠かせない行為で非常に重要です。特に物語を楽しむうえではなくてはならないものです。

 ただし、低学年児童は文字を正式に学び始めてからの期間が短いため、ボトムアップによる情報処理の能力が未熟です。だから、字面を追いながら情報をキャッチして分析理解する作業がうまくできません。しかし、この問題も玉井式は見事に解決しています。そのことについても若干紙面が必要ですので、機会を改めてご説明しようと思います。

 ともあれ、リテラシー能力が一定レベルに達してからは何の苦労もなく文章を楽しめる私たちですが、実は活字の連なりを通した情報の処理を大変なスピードで行っています。それが「読む」と言う行為なのだということが、おわかりいただけたのではないかと思います。

 今から、上手にお子さんを読みの世界に案内してやりましょう。そうすれば、長い一生において活字から無尽蔵に及ぶ情報を処理する経験が子どもにもたらされます。お子さんの知的能力は、こうした経験をもとに一層開花していくことでしょう。

H,S

 

2015.10.09 子どもの読みを助ける玉井式の仕組み

 お子さんが実際に通っておられるご家庭にとっては周知のことですが、「国語的算数教室」という講座名は、算数学習のなかに長文読解力を育てる要素を取り入れていることから名づけられています。

 小学校の低学年児童にとって、長文を読み通すのは相当にハードルの高い知的作業です。すでにお伝えしたように、子どもたちはまだ読みの態勢づくりの最中にあります。ほとんどのお子さんは、長い文章を一気に読み通すだけの力を身につけていません。

 前回のブログでお伝えしたように、文章の意味理解にあたっては、脳内で二つの情報処理が行われています。一つは、記述内容に関わる既有の体験的な知識を動員して理解していく流れ(トップダウン処理)で、もう一つは、文章の字面を追いかけながら、活字から読み取れる情報を分析して理解していく流れ(ボトムアップ処理)です。

 読み手である子どもは、この二つの情報処理機能の相互連絡によって記述内容を実場面のようにイメージしていくわけですが、人生経験の浅い子どものことですから、トップダウン処理もボトムアップ処理もまだ不十分です。

 読みの上達を図るには、無理に難しい内容の本を読ませるのではなく、子どもの読みの現状に合った適切な文章素材を用意することが大切です。また、子どもの読みの負担を軽減する方法を考えることも必要でしょう。

 玉井式は、この問題を大変ユニークな方法で解決しています。

 1.おなじみの世界、おなじみのキャラクターが長文に登場する。

 子どもたちが「国語的算数教室」で長文に接するのは、授業でテキストの長文課題に取り組むときと、家庭で「できたかな?プリント」の課題に取り組むときです。

 いずれもこれまで繰り返し見てきたアニメーションの登場人物が出てきます。また、課題の設定場面もアニメーションでおなじみのものですから、子どもたちにとっては受け入れやすく、描かれている状況をイメージし易いのではないかと思います。

 もしも文章の人物設定が毎回変わり、なじみのない世界が描かれていたならこうはいきません。登場人物がどういう人間なのかをイメージするのに手間取りますし、ストーリーを追いかけていくのに四苦八苦してしまい、人物の心理描写や場面の様子を理解するまでに相当の時間を費やしてしまいます。

 読みの熟達に向けて準備期間の子どもたちにとって、大好きなキャラクターに心を寄せながら、一緒に物語の世界を体験できる玉井式の長文は、スキーマ(あることがらにまつわる様々な知識)の稼働が容易で、読むことへの抵抗や負担をなくしてくれる心強い味方なのです。

 2.アニメーションのストーリーが魅力的である。

   毎回、玉井式の「ものがたり算数」では、楽しいストーリーが用意されています。ストーリーはキャドック王国という架空の国の1ファミリー(おかあさんのマギーと、ルディをはじめとする6人の子どもたち)を軸に展開します。キャドック王国には、いぬ族と、ねこ族と、ダブル族が暮らしており、マギー一たち家族は犬族に属します。

 設定はややシュールですが、できごとは低学年児童になじみのあるものが多く、授業で映像を流しているときにいつも感心するのですが、アニメーションのストーリーに子どもたちが入り込み、食い入るような目で画面上に展開するできごとに引き込まれていきます。このストーリー展開の魅力は、そのまま長文にも活かされています。読んで楽しい文章だからこそ、子どもたちが一生懸命に読み通していく努力を引き出しているのでしょう。

 蛇足ですが、ときどき出てくる脇役にも魅力があります。ブラッドおじさん、しゃべる金魚のグーピー(子どもたちに、とても人気があるそうですね)、魚屋のグレッグ、ウィリアム王子、ネコ族のトミー(ルディたちの友達)などが、ストーリーの展開に合わせて登場します。これがまたアニメーションの魅力を盛り立てており、子どもたちを惹きつける理由となっています。

 3.アニメーションの続きが長文に登場する。

 玉井式の長文課題の最大の特徴は、素材文が「ものがたり算数」のアニメーションの続きだということです。このことが、おそらく「長文に強い子どもの育成」に貢献している最大のポイントであり、玉井式の独創性を際立たせているところであろうと思います。

 前述したように、読みの態勢を築き始めたばかりの児童は、ボトムアップ処理(字面を頼りに著述内容を理解する情報処理)がうまくできません。それを補うのが、既に体験済みのお話の続きが綴られた文章を読むということです。そこまでのあらすじが、先の予測をしながら読むことを助けるわけです。これは、玉井式ならではのよさであり、大変ユニークで優れた学習法だと言えるでしょう。

 ご承知のように、読みの楽しさや醍醐味を与えてくれる主要な要素の一つが「筋の予測」です。読みの未熟な低学年児童にとって、予測の楽しみは無縁のものになりがちですが、玉井式はアニメーションの続きを長文にすることでそれを可能にしています。この「アニメーションの物語の続きを文章化する」という手法は、ほんとうに素晴らしいアイデアだと思います。

H,S

 

2015.10.16 子どもの読書にまつわる話

 「うちの子は、同じ本を繰り返しいつまでも読みたがります。2度、3度ならともかく、際限がないんです。『読み終えた本を、何度も何度も読み返すなんて意味ない!』と叱っても、言うことを聞きません」

 あるとき、おかあさんからこのような相談を受けました。実はそういう子どもは結構いるようで、同じような相談を何度も受けたことがあります。同じ本をいつまでも読みたがるのはいけないことなのでしょうか。また、子どもがいつまでも同じ本を読みたがるには理由があるはずです。子どもは飽きるということがないのでしょうか。

 無論、私自身は読書の専門家などではありません。ただし、長い間進学塾で国語の授業を受けもち、子どもたちの読書に関わってきました。その経験から言えることは、同じ本をいつまでも繰り返し読みたがるのは低学年までの子どもであって、高学年の子どもにはほとんど見られない傾向だということです。

 ですから、こういう相談を受けたら「大丈夫です。繰り返し読みたがれば読ませて構いません。ずっと同じ本しか読まない子どもなんていませんから。その本に満足したら、別の本に興味をもつようになりますよ」などと答えていたように思います。

 あるとき、この問題に関して目から鱗が落ちるような専門家の著述を見つけました。読書心理学を専門とする大学の先生の著作に、次のようなことが書いてあったのです。その本が今手元にないので、そのままの引用ではありませんが、内容は次のようなことだったかと記憶しています。

 子どもが飽きることなく繰り返して読む本は、ちょうど子どもの読みの力や知的水準に合致した本だということです。一度読んだらそれで満足するのではなく、何度読んでも新たな発見がそこにあり、再び読まずにはいられなくなるのです。親は、「仕方ない子ね。いつまでも同じ本ばかり読んで。もっといろんな本を読めばいいでしょ!」となりがちです。しかし、それは間違ったとらえかたであり、むしろ「うちの子にピッタリの本があった」と喜ぶべきなのです。1冊の本のなかに、子どもの知的興味や好奇心を刺激する要素がいくらでもある。そんな本はそうそう見つかるものではありません。何度も何度も繰り返し読み、十分にその本に描かれた世界を堪能したら、子どもは別の本に興味を移していきます。

 「うちのおかあさんは、絵の少ない、字の多い本ばかり買ってくる」――これは、ある小学1年生のお子さんの言葉です。この言いかたからもわかるように、子どもにとってはそんなおかあさんが不満のようです。

 これは多くのおかあさんに共通の傾向だと思いますが、子どもにはできるだけ難しい本を読ませ、精神的な成長を引き出したいという気持ちがあるのかもしれません。難しい内容の本のほうが、様々な知識がいっぱい詰まっているのは事実です。こうした親の傾向に対して、専門家は次のような見解を示しておられます(以下は、本からの引用です)。

 子どもにとっては読むのが易しい本は卒業というのではなく、一見易しい本だからこそ、理解するのに精一杯という状況ではなく、深く味わって意味を考えることができます。また読みの苦手な子どもにとっては、読みやすい本を読み通す経験を積むことは、本を読む楽しさを知り、また自分で読めるという有能感を育てることにもなります。(中略)読書に関しては、同じ学年でも、それまでの読書経験や好みによって、その子にはどのような本が最適かはかなり異なっています。読書経験を多く積んでいる子どもであれば、多少難解な本もきっとおもしろくなるはずという期待をもって読み通すことができますが、読書経験の少ない子では、こうした期待をもつことが難しいといえます。したがって、年齢は一つの目安にはなっても、その子どもの興味に適した本、読みたいと思った本こそが、その子にとって意味のあるよい本であるといえます。

 どうでしょう。お子さんをおもちのかたは、わが子の現状を振り返り、今のわが子にふさわしい読書活動が行われているかどうかを振り返ってみてはいかがでしょう。難しい本は○で、易しい本は×という決めつけをせず、子どもの内面の成長を引き出してくれる読書を実現したいものですね。

 そう言えば、かつて私が国語の授業を受けもっていた6年生のクラスの男の子のことを思い出します。その男の子は、図書の貸し出しコーナーで児童書を借りようとしていたのですが、その本は何と3年生向けにと思って私が注文して入れた本でした。6年生にとってはいかにも幼稚で、単純なストーリーの冒険ものの本です。

 その男の子は算数の成績は常にトップランクで、中学入試では県内随一の私立男子校に合格しました。そんなすごい頭脳の持ち主が、あのような本を読むことが、当時はとても意外に思えたものでした。しかし、前述の大学の先生の言葉を振り返ると、納得がいきます。彼にとっては、あの本がちょうどよい本であり、読むに値する本だったのでしょう。

 易しい本だからもう卒業、簡単な本なんて読んでも意味がない。とかく大人はそう思ってしまうのですが、子どもはそれとは別の観点から読みたい本を見つけるのかもしれませんね。

H,S

 

2015.10.23 子どもの“自律性”を育てるのは今です!

 あなたは、「わが子には、どんな人間に成長してほしいですか」という質問をされたら、何とお答えになりますか(具体的なビジョンを思い描いて子育てをしておられるでしょうか)。

 親として、わが子に寄せる期待は様々あり、とても一言では表現できないほどだというのが本音でしょう。それでも、敢えて何か一つ挙げるとしたらどんなことが思い浮かぶでしょうか。ぜひ考えてみてください。

 今回、このような問いかけをしたのはわけがあります。一つには、人間の物事への取り組みや性格はおおよそ小学生時代までに築かれるからです。またもう一つには、子どもの人間的な側面の形成にあたって、小学生時代までの親の子育てのありようが密接に関わっているからです。このことを踏まえるなら、「今こそ、親は子どもの望ましい成長に向けて、積極的に関わっていくべきだ」という結論が導き出せるでしょう。

 わが子が小学校を卒業すると、間もなく思春期がやってきます。思春期を迎えた子どもは、もはや親とは別の人格をもった人間であり、親の言うことに素直に耳を傾けてはくれません。ですから、わが子が望ましい成長を遂げるようバックアップできるのは、小学生の今のうちなのです。

 親がわが子に寄せる期待。それは親の数だけあると言っても過言ではありません。そこで今回は、「子どもの人生を有意義なものにするうえで、小学生のうちに育てておきたい大切なものは何か」という考えに基づき、「子どもの“自律性”をどう育てるか」というテーマで書いてみようと思います。

 今日の子どもにとって、便利で快適な生活は所与のものであり、苦労して手に入れたわけではありません。ほしいものは何でも買ってもらえるし、食べたいものはたいてい手に入る環境で暮らしています。こういう生活を送っている子どもは、いわゆる“ハングリー精神”がなく、ゲームなどの一過性の遊びに興じる一方、物事を自分で判断して決定し行動するといった姿勢を欠きがちだと言われます。

 こうした傾向に拍車をかけるのが少子化です。子どもに手をかける余裕があると、どうしても親は子どもに対して過保護や過干渉になりがちです。何事にも耐え、我慢して問題を克服するプロセスを奪われた子どもはますます軟弱化し、プレッシャーをはねのけるパワーや、自分で試行錯誤して物事を達成していく粘り強い行動力を培うことができません。

 一方、そんな時代だからでしょうか。コミュニケーション能力や協調性、リーダーシップなどとともに、「行動の主体性」や「判断力」「責任を全うする姿勢」など、人間としての“自律性”に関わる能力が社会への参入にあたって強く求められているように思います。

 行動に自律性のある人間を育てるのは、子育ての重要な役割の一つです。天から授かった才能で決まるというよりも、どのような子育てのもとで成長するかが大きな作用を果たすからです。また、親がわが子に対して、「有意義な人生を送ってほしい」「社会に貢献できる人間に育ってほしい」と願うなら、おのずと自律性を育てる子育てに目を向けざるを得ません。

 ただ、「子どもの自律性をいかに育てるか」という子育てテーマは、あまりにも壮大で「親は何をしたらよいか」がわかりにくいものです。そこで、毎日の子育ての具体的な場面を通じて今から考えてみたいと思います。

 行動の自律性が育つ前提は何でしょうか。小学生までの子どもについて言えば、「基本的な生活習慣を自立させる」ということではないでしょうか。毎日の生活において、「自分のことは自分でやる」ということが、やがて行動面全般の自律性につながっていくからです。

 まずは、みなさんのお子さんの「基本的な生活習慣の自立度」の現状を振り返ってみませんか? 次の10項目のうち、YESと答えられるものがいくつあるでしょうか。

わが子の「基本的生活習慣の自立度」チェック表

 チェック項目回答(丸をつける)
朝、親に起こされなくても決まった時間に自分で起きるYES  NO
毎朝、必ず朝食を採ってから登校するYES  NO
衣服の着脱はすべて自分でやれるYES  NO
TVやゲームなどの遊びは、決めた時間の範囲を守れるYES  NO
宿題は、親に言われなくても自分からやるYES  NO
家での食事が終わったら、自分の食器は自分で下げるYES  NO
遊んだあとは、必ず散らかったものを片づけるYES  NO
勉強するときには、机の周りを整理整頓するYES  NO
前の日のうちに、翌日の(学校などの)準備をするYES  NO
10夜更かしをせず、決まった時間に就寝するYES  NO

 結果はいかがだったでしょうか。YESが7つ以上あれば素晴らしいですね。また、YESであっても、親が注意したり叱ったりしてやれているなら要改善です。子どもが当然のこととしてやれるよう、少しずつ現状を変えていきましょう。

 繰り返しになりますが、子どもの自立の敵は過保護と過干渉です。毎朝、お子さんを起こしているおかあさんはおられませんか? ある私学では、保護者に「遅刻してもいいですから、絶対にお子さんを起こさないでください」と要請されています。「子どもを起こすのがおかあさんの仕事になると、子どもは遅刻をおかあさんのせいにするようになります。それでは勉強はままなりません。遅刻して恥をかけば、子どもはちゃんと自分で起きるようになります」と、その私学の先生はおっしゃっていました。

 このエピソードは、「私立の進学校に通うような知的レベルにある子どもですら、自分でやれて当たり前のことを親に頼って暮らしているのだ」という問題を私たち大人に突きつけています。これは、子ども自身の問題ではありますが、“過保護”という親の子育て上の問題が引き起こしたことでもあります。子どもが小学生、もしくは未就学児なら、今からの対処でいくらでも改善できることだと思います。

 自分のことは自分でやる。生活においてそのことが定着したら、何につけ行動に自主性や自律性が育っていきます。そういう生活を浸透させることは、小学生までならさほど難しくありません。そのチャンスを逸して、いつまでも親に頼る子どもにすると、そのつけは子ども自身が自らの人生で払わされることになりますし、親もこの先ずっとわが子のことで心配や苦労が続くことになりかねません。

 学校や塾で積極的に学び、手を挙げて発表したり、積極的に質問したりする子どもは、基本的生活習慣の自立した子どもです。主体性や自律性ある行動の源は、「自分のことは自分でやる」という日常生活の積み重ねにあります。子どもの望ましい成長のおおもとは、そこにあるという認識の下、粘り強くお子さんを励まし、自立に向けた応援をしてあげてください。

H,S

 

2015.10.30 子育ては何のためにするのか

 前回は、「基本的生活習慣の自立」が自律的な行動のできる人間に成長していくための前提になるのだということをお伝えし、まずは生活面で「自分のことは自分でやれる子どもにしましょう」という提案をさせていただきました。

 「そうは言っても、毎朝子どもを起こすのが当たり前のようになっています。急には変えられません」――そんなおかあさんもいらっしゃるのではないかと思います。私自身、過去の子育てを振り返ってみると、ともすれば過保護・過干渉に見られかねないことを随分やってしまいました。子どもがうまくやれない様子を見て、手を差し伸べたくなるのが親というものです。

 しかし、子どもの頃の失敗は社会へ出る前の修行であり勉強で済まされます。今それをやっておかないと、大人になってから失敗が許されない状況で、重圧を乗り越え責任を全うすることはできないのではないでしょうか。

 私には息子が一人います。息子は中学受験を経て、片道1時間半かかる私立の中・高一貫校へ6年間通いました。「受験にあたって、親が学習塾の先生だといろいろ教えたんじゃないですか?」と言われることがあります。しかしながら、勉強の内容に関わったことは一度もありません。家内も同じです。

 実は、男の子一人のせいか、あまりに幼稚で計画性のない勉強をしているので、勉強が軌道に乗るまでバックアップしようと試みました。しかし、勉強を教える以前に注意や忠告すらろくに聞いてくれませんでした。自分に関わる問題について何か言われるのだと察知した途端に、たちまち癇癪を起してパニック状態になり、冷静な話し合いができなかったというのが真相です。残念ながら、勉強を教えなかったのは、自立させようという意図によるものではありません。

 そんなありさまですから、胸を張れるような入試結果は得られませんでした。進学先を選ぼうにも、受かったのは1校だけ。「どうする?」と息子に聞いたら、珍しくはっきりと「行きたい」と意思表示をしました。それで、息子の希望を尊重したというのが本当のところです。

 中学校へ入ったら子どもも変わるだろう。そんな親の期待をよそに、相変わらず計画性を欠いた勉強ぶりの息子に随分イライラさせられたものです。しかしながら、思春期を迎え親との距離を一層置き始めた息子を見て、「もう頭ごなしに叱ったり命令したりするのはやめよう」と決心しました(つもりだけは随分前からありましたが)。子どもの遅々として進まぬ成長のプロセスを黙って見守るのは本当に辛いものです。

 そんなあるとき、家にある本を何気なく手に取ってページをめくっていると、ガーンと頭を打ちのめされるような件(くだり)が目に飛び込んできました。その本の著者は、大学の附属病院で小児神経科の先生をしておられる女性でした。該当する部分をご紹介してみましょう。

 (前 略)こう見ていくと、親と子がともに生活する日々は限られているのです。親子はもともと別れるためにいっしょに暮しているのです。そこが夫婦と違うところです。
 親子がともに生活を楽しむことができるのは、わずか10年くらいでしょう。このこともはっきりと認識しておくと良いのではないでしょうか。
 親子は長くて短い関係なのです。そう思えば、子どもとの一日一日の出会いが貴重なかけがえのないものに思われてくるのではないでしょうか。
 そして何よりも子どもの心と身体の発達成長の営みは、大自然の大きな原理にそって繰り広げられるのです。親はわが子をこういうふうに育てたいと思っても、神様のように思い通りにすることはできません。親はわが子への愛情からいろいろやってやりたい気持ちにあふれているでしょうが、実際にできることはその子の成長を邪魔しないこと、そして可能な限り成長を見守り支えてあげることでしょう。


 当時、息子は中学3年ぐらいだったでしょうか。「息子と一緒の生活は、あとたったの3年余りか」そう思うと、様々な感慨がこみ上げて仕方ありませんでした。とりわけ、子どもの自立に向けて親として何をしてやれたかということへの思いが頭のなかで渦巻き、自分のこれまでの子育ての甘さが痛恨の極みのように重くのしかかってきたことを思い出します。

 正直言って私には、「親子はもともと別れるためにいっしょに暮らしている」という自覚はありませんでした。しかし、現実問題として18歳になると大学を受験し、おそらく相当な確率で県外の大学へ進学することでしょう。そのことを思うと、息子と一緒に暮らす残された3年間がたとえようもなく貴重なものに思われてなりませんでした(実際、大学は県外に行きましたし、社会人となった今も同じ県内にはいますが、別のところで暮らしています)。

 みなさんのお子さんは今何歳でしょうか。無論、18歳になってからも親元から大学へ通うお子さんだっていると思います。また、社会人となってからも同居されるお子さんもいることでしょう。しかし、親の心のもちようとしては、先ほどご紹介した文章の記述は大いに参考になるのではないでしょうか。子どもは親とは別の人間であり、やがては自分で社会と対峙していかねばならないのですから。

 私自身、以後は息子のすることについてまずは肯定的に受け止めてやり、その後で親の考えを「こういうやりかたもあるな」といった形で伝えるよう心がけました(成果のほどは確かではありません)。息子も遅ればせながら成長したのか、大学進学後はだいぶ変わったように思います。一人暮らしの経験、大学から入った体育会の運動部が、彼を自立させ我慢強さを育ててくれたのかもしれません。

 朝、親が起こさなくても自分で起きる。洗濯してもらった衣服は、自分でたたんで収納する。遊びの時間と勉強の時間の切り替えが自分でできる。それぞれの年齢に応じてで、子どもが自分できることは親に頼らせずにやらせましょう。

 そうした小さな行為の一つひとつが、子どもにとっては自立に向けたかけがえのない経験です。親が手伝えば簡単にできるかもしれませんが、それは子どものためにはなりません。今回の記事が、親としての心のもちようを少しでも切り替えるきっかけになれば幸いです。

H,S

 




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