子どもの才能は生まれつき?
いいえ、家庭の関わりが大きな作用を果たします。


2018.1.19 遺伝の影響力はどれぐらい?

 前回は、かつて私が学習指導を担当した受験生のおかあさんが、「カエルの子はやはりカエルなんでしょうか」とおっしゃったことをご紹介し、そこから親としての心のもちようについて一緒に考えていただきました。この言葉を耳にされたご経験は、どなたにもおありでしょう。ちょっと引っかかりのある言葉なので、今回はそれをとりあげて書いてみようと思います。

 「カエルの子はカエル」――この諺には、「所詮(しょせん)」という否定的な意味の枕詞がつきものです。たとえば、「所詮、凡人の親の子は凡人にしかならない」と言ったように…。そこには、「能力は遺伝で受け継いだ定めであり、抗うことのできないものだ」という、あきらめの気持ちが感じられます。

 私は、このおかあさんが「親に能力がないから、子どもが受験に失敗したのはしかたない」という意味でおっしゃったとしたら、とても残念でなりません。というのも、これまで数多くのお子さんを見てきましたが、親を遥かに凌駕するすばらしい学力の持ち主になったお子さんは枚挙にいとまがないからです。

 みなさんはどう思われますか? 「親が〇〇だから…」という考えは、自分をあきらめさせるための方便の言葉に過ぎません。子育ては、わが子を親と同等かそれ以上の立派な人間にするための営みです。またそれは、「どの親にも可能なのだ」という信念に基づいて行われるべきものではないでしょうか。

 そこで、まずは「人間の能力に、遺伝はどのぐらい影響力をもつのか」について、その筋の専門家の著述を探してみました。すると、遺伝学の権威として知られる東京大学の先生の著作に、血縁関係にある人間の遺伝子共有率について書かれている内容が目に留まりました。

 (前略)親と子どもの共有率は50パーセント、きょうだいは50パーセント、祖父母と孫は25パーセント、おじ・おばと甥・姪は25パーセント、いとこは12.5パーセントとなりますが、一卵性双生児の場合には100パーセントです。二卵性双生児の場合は、きょうだいと同じで50パーセントです。
 IQテストの相関性を調べてみたところ、一卵性双生児では85パーセント、きょうだいが60パーセント、親子など第一等級親族は45パーセント、祖父母と孫など第二等級親族が30パーセント、いとこなど第三等級親族が15パーセントです。
 もし、IQが完全に遺伝だけで決まっているとしたら、一卵性双生児は100パーセントと、まったく一致していなければなりませんが、そうではありません。また、きょうだいについても50%にはなりません。そこには、環境要因が作用していると考えられます。


 この先生によると、身長などは遺伝的要因が大きい形質で、創造性や協調性などは環境的要因が大きい形質なのだそうです。そして知能ですが、こちらは両者の中間型だとみなされているようです。以上から導かれる結論は、「知能と遺伝にはかなり強い関連性はあるものの、環境要因の関与も決して少なくない」ということです。

 「カエルの子はカエル」という諺は、科学的な見地に立つと間違ってはいないものの、環境が関与する面も多々あり、絶対的なものではないということがわかりました。もう一つ、興味深いことを述べておられる専門家(元国立遺伝学研究所所長)がおられるのでご紹介してみましょう。

 いろいろなところで講演をすると、そのあとで、「私の頭の悪いのは治らないのでしょうか」というような妙な電話のかかってくることがよくあるんですよ。そういうときは、「遺伝子が決めている以上のことはできません」と言います。たとえば、サルの真似をして、木から木へ跳び移ることはできないでしょうし、サルに言語を教えても、人間のように言語を操って思考して何かをするところまではできません。やはり、遺伝子で決めている範囲を逸脱することはできない。それは厳然たる真理だと思います。
 ただし、遺伝子が決めている範囲をすべて使っているかというと、実はほとんど使っていないと思うんですよ。僕だって、もし優れた指導者に出会えば、全然違う才能を発揮して、俳句のお師匠さんか何かになっていたかもしれません。そういう才能を発揮するような環境にいなければ、その才能があることも知らずに死んでいくわけです。(中略)
 自分が遺伝的にもらった才能というのは、自分が思っているよりはるかに広い。それを開拓するのが、学習するということです。たとえば、勉強するとか、体験するとか、教育を受けるとかすることなのです。だから、遺伝子で決まっている範囲を超えられないからといって、悲観する必要は全然ない。
 それでも食い下がる人には、「あなたは今までに、せっかく与えられた自分の才能の1パーセントしか使っていない。もう1パーセント使ってごらんなさい。あなたの才能は2倍になります」と言います。すると、皆安心して電話を切ります。これは冗談みたいですが、真実に近いと思います。


 どうでしょう。大いに元気をもらえる話ではないでしょうか。わが子の能力開発について言えば、「いかによい教育環境を整備し、子どもの積極的な学びを引き出すか」で、学力状況は大きく変わってくるのです。

 実際、私が仕事を通じて知った子どもたちのなかには、親をはるかに凌ぐ学力の持ち主がたくさんいます。地域でごく普通の学歴の両親から、東大をはじめとする日本有数の難関大学に進学した子どもたちを私自身多数みてきました。ただし、それは自然とそうなったのではありません。親が勉学の大切さを自覚し、よりよい教育環境を子どもにあてがったからに他なりません。

 ここまで読まれた保護者の方々には、今までの親としての関わりが、子どものもつ可能性を引き出すうえで望ましいものだったかどうか、これを機会に振り返ってみることをお願いする次第です。「うちの子には才能がないから」という考えかたは、子どもの望ましい成長の足かせにしかなりません。親がやれることは何かを一生懸命考え、後悔の残らぬようお子さんに働きかけてあげてください。

H,S

 

2018.1.12 子育てを難しく考えず、わが子を信じるおかあさんに

 あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 月日の経つのは早いものですね。このブログは2015年の7月に始めましたが、週1回のペースで更新し、今回の記事が127回目になります(初めて回数を数えてびっくりしました)。

 私の書いているブログは一般的なそれと違い、学習塾の活動を通して知り得たことをお伝えしたり、子育てにまつわる調査データをご紹介したり、脳科学や心理学と子育ての接点となる話題をご提供したりしているのが特徴です。書き手としての私は、「少しでも読者の方々の知育に役立てていただければ」という気持ちを基本においています。

 私の勤務する学習塾はいわゆる「進学塾」であり、中学受験指導のみを扱っています。受験指導を担当すれば、必ず担当した受験生の数だけ入試結果を引き取らねばなりません。当然ながら、毎年中学入試が終わる頃には悲喜こもごもの複雑な思いを余儀なくされることになります。今回は、対照的な結果を迎えた二人の受験生と、そのおかあさんについて書いてみようと思います。よく「中学受験は親子の二人三脚だ」などと言われますが、受験までの親の関わりについて、そして日頃の親子関係について考えるきっかけにしていただければ幸いです。

 ある年のこと、中学入試が終わった後に、担当していた受験生のおかあさんが挨拶がてら訪ねて来られました。そのとき、とても重くて答えに窮する質問を受けました。いや、質問ではなく自分に言い聞かせるためにおっしゃった言葉なのかもしれません。それは、「先生、やっぱりカエルの子はカエルなんでしょうか」という一言でした。

 お察しの通り、そのおかあさんの息子さんは第一志望校合格の願いを叶えることができませんでした。成績的には合格の可能性は五分五分くらいだったと記憶しています。私としてはよい結果を念ずるばかりでしたが、現実には、ボリュームゾーンにいる多くの受験生の常で、「合格するかもしれないが、残念な結果に終わることもあり得る」というのが率直なところでした。

 みなさんなら、こういうときどんな言葉をおかあさんにかけてあげるべきだとお考えでしょうか? 私はとっさによい言葉が思い浮かばず、「残念です。私の力が及ばず申し訳ありません」としか言えませんでした。そのあと、おかあさんは一礼され、無言で立ち去られました。学習塾関係者なら、こういうときの辛い気持ちを数えきれないほど経験していることでしょう。

 こんなこともありました。地域最難関の男子私学の入試会場でのことです。受験生への激励を終え、帰路へと向かおうとしたとき、背後から私の名前を呼ぶ声が聞こえてきました。振り返ると、担当をしていた受験生のおかあさんでした。「先生はうちの子の性格をご存じでしょうか?」いきなり思いがけない質問をされ、戸惑いました。「落ち着きがあって、しっかりとした息子さんだと思います」そう答えると、「先生、うちの子の欠点は、見かけと違って気が弱いことなんです」そう言われ、ますます混乱した私はただお辞儀を返すことしかできませんでした。

 「どういうことなのだろう」と、不思議に思ったものの、間もなくおかあさんの言葉の意味が分かりました。その日は息子さんの第一志望校入試でした。常に安定した好成績を維持していた彼でしたから、実力を発揮すれば合格は十分に可能でした。ところが、先に受けた第二志望校、第三志望校の入試に失敗していたのです。おかあさんは、「実力はあるのに気が弱い」というわが子の特徴を何よりも心配しておられたのでしょう。そして、その心配が現実のものになってしまったのです。「もはや息子の入試は終わりました」……そういう含みがおかあさんの言葉にあったのだと気づきました。

 ところが、最後の最後で彼は踏ん張り、見事に第一志望校に合格したのです。私は彼の合格を知ったとき、「おかあさん、よかったですね。息子さんは、瀬戸際で実力を発揮しましたよ!」と、そんなことを言って祝福してあげたくなりました。「もう後がない」そう思ったときから、彼の意地が頭をもたげてきたのでしょう。

 二人の入試結果は明暗を分ける形で終わりました。しかし、私は第一志望校に合格したかどうかは二人の人生にとってさほど重要なことではなかったと今でも思っています。なぜなら、二人とも入試をめざして一生懸命勉強に取り組んでいました。その姿勢には甲乙つけ難いものがありました。また、親が勉強にうるさく関わることはなく、それでいて親としてできることを一生懸命サポートしておられました。ですから、中学・高校の6年間が希望通りの学校で過ごせたかどうかは大した問題ではないと思うのです。彼らはどちらも、自分の道を自分で見つけてがんばれるだけの人間に成長しています。それは愛情深いおかあさんの存在があったからに他なりません。

 ただ、二人の入試結果の違いについて、少しだけ頭をよぎったことがあります。先にご紹介したおかあさんのほうは、どちらかというと「ネガティブ思考」の傾向があり、息子さんの成績が下がったりすると、「これじゃ、入試は厳しいかもしれないね」などと自分の心配を子どもに漏らしたりする傾向がありました。いっぽう、あとでご紹介したほうのおかあさんは、息子さんがどんな状態のときも優しく黙って見守るタイプのかたでした。

 無論、おかあさんの関わりと入試結果は無関係かも知れません。しかし、できるならわが子が不安にさいなまれないよう、結果を恐れることなく前を向いてがんばれるよう、いつも泰然自若としてわが子に接するおかあさんであってほしいなと思います。

 それにしても、「親というのはありがたいものだな」とつくづく思います。どんなときでも子どもにとって最良の応援者でいてくれるのですから。

H,S

 

2017.12.28 わが子のやる気と可能性を信じる

 2017年もあとわずかになりました。みなさんの今年は、どんな1年だったでしょうか。子育てに追われていると、月日が経つのは早いものです。「あっという間の1年だった」と実感されているかたが少なくないのではないでしょうか。

 今回は年内最終回ですので、みなさんにはこれまでの子育てを振り返っていただきながら、わが子をより善い人間に育てるための原則を共に考えてみようと思います。間もなくやってくる新しい年が、お子さんにとっても保護者の方々にとっても充実した1年になりますことを心より念じています。

 「這えば立て、立てば歩めの親心」という諺があります。これは、わが子への期待を限りなくふくらませる親の気持ちを端的に物語る言葉だと思います。生まれたての赤ちゃんのころには、親はわが子がこの世に生を受けたこと自体がただもう幸福で、その存在を無条件に喜んだものでした。やがて、ハイハイができるようになると、「さあ、今度は立つんだよ」と、両脇を抱えて立つよう促し、わが子が一人で立てるようになると、今度は「さあ、歩いてごらん」とばかりにやさしく背中を支え押したものです。

 しかしながら、子どもが年齢を重ね、幼稚園、小学校に通うようになると、いつのまにかわが子に向けられた無条件の愛情が少しずつ変質していきます。思い描いていた理想の成長の軌跡と、現実とのギャップが生じるにつれ、わが子への不満の気持ちが頭をもたげてくるのです。

 忘れてならないことですが、子どもには固有の成長のしかたがあり、今はまだ目に見えていないけれども、ある方面に優れた才能を宿していることがあるものです。残念ながら、それがなかなか顕在化しないために、「この子は才能がない」と決めつけられてしまいがちです。とても残念なことですね。

 ただし、そんな不幸な星のもとに生まれた子どもに、偶然の救いの手が差し伸べられることもあります。また、本人自らの努力で自分の興味の対象分野で偉業を成し遂げるに至るケースもあります。たとえば、万有引力の発見で知られるニュートンは未熟児として生まれ、小学校入学後も読み書きや算数に全く興味を示さず、成績はクラスで最下位だったと言います。性格は陰気で、子ども同士の遊びに参加することもなく、仲間から馬鹿にされる存在でした。しかしながら、彼には工作方面の才能があり、様々なものの模型を作っては楽しんでいました。やがて、それまで人の目に留まることのなかった彼の才能に親戚のひとりが気づき、中学校への進学のためのお金を工面してくれたことから、状況が一変しました。数学の才能がみるみる芽を吹き、やがてケンブリッジ大学の数学科に進学したのでした。

 他にも、アインシュタインの幼年期と、その後のすばらしい成長の話はたくさんのかたが知っておられると思います。そういう事例が紹介されている書物の一部を抜粋してみましょう。

・イタリアの生んだ“万能の天才”レオナルド・ダ・ビンチも学業不振児でした。そのうえ、幼年期から、家族さえ自分の部屋に入れなかったほど、対人恐怖症がひどかったのです。

・ロシアのドストエフスキー、チェーホフ、フランスのフローベル、モーパッサン、ゾラ、英国のスコット、米国のエドガー・アラン・ポー、ノールウェイのイプセン、デンマークのアンデルセンといった天才たちは、みな、「できない」子どもとして親を悩まし、その扱いに手こずらせたといいます。

・子どもの時に成績がふるわなかったために、みじめな幼年期をすごした天才はほかにもいます。詩人のワーズワース、ハイネ、バイロン、ゲーテ、作曲家のワーグナー、シューベルト、画家のロートレック、マネ、ピカソ、政治家のルーズベルト、チャーチル、ナポレオン、科学者のパスツール、トーマス・ハックスレー、リンネ、ジェームス・ワット、ダーウィン、レントゲン、教育者のペスタロッチ、哲学者のヘーゲルなど、など。

 上記著述は、教育心理学者の伊藤隆二先生(横浜市立大学名誉教授)の著作から引用したものですが、先生は「天才の幼年期を調べているうちに、親や教師に守ってもらいたいことが、少なくとも三つあることに気づきました」と述べておられます。その三つとは、

1.いたずらに目に見える効果を(文字を書ける、計算ができるなど)を期待して、子どもを親や教師の思うとおりにしようといじくりまわさないこと。子どもには子どもの生活があり、それを満喫したもののみが、時が熟したときに、人が変わったように知的活動に没頭するものです。

2.子どもの能力や才能を点数化し、それをタテに並べないこと。本来、子どもの隠れた能力や才能は既定のワクをこえて伸びていくところにこそ価値があります。一定のワクに画一的にはめ込もうとする教育は、じつは子どもの能力や才能を殺しているのです。

3.子どもの成長発達を近視眼でみないこと。また結果(できばえ)だけで子どもを評価しないこと。子どもは、自分の好きなことに熱中している最中が、最高に幸福なのです。天才の多くは、その幼年期に必ず、一つか二つ無我夢中で取り組んだものがあったのです。

 どうでしょう。子どもに何かを習わせたり取り組ませたりするのは期待と愛情ゆえのことです。そのこと自体は悪かろうはずがありません。ただし、子どもに進歩がなかなか見られなくても焦らないことです。辛抱強く見守り励ましてやりましょう。目先のテストの点数や順位に一喜一憂し、それだけで子どもを「ダメ」と評価しないようにしましょう。わが子の可能性開花の芽は別のところにあるのかも知れません。子どもが好きなことに夢中になる体験を尊重してやりましょう。実は、そこから子どもの将来の可能性が開けていくことが少なくないのです。

 目の前に見える現実が子どもの全てではない。目に見えないところで成長に向けた準備が進んでいるのかもしれない。だからこそ、親が焦らない、子どもをせきたてない。このようなスタンスが求められるのではないでしょうか。――親にとってわが子ほど大切なものはありません。焦らず、じっくりとわが子の大成を信じて見守り応援してやりたいものです。

H,S

 

2017.12.22 子どもに“聞く耳”をもたせる会話って!?

 このブログの読者の多くは年長児や、低学年児童をおもちの保護者、特におかあさんであろうと思います。そこで、この年齢期のお子さんの家庭にありがちな問題を今回は扱ってみようと思います。

 どうでしょう。みなさんのお子さんは「やる」と約束したことを実行に移しておられるでしょうか。また、親の注意や促しの言葉を素直に聞いて、がんばろうと努力しておられるでしょうか。小学校入学前後~小学校中学年頃の子どもは、かなり口が立つようになったものの、行動はまだ自己中心的で有言実行とは言えないのが普通です。ですから、親もしつけ的な側面で苦労を伴うことが多いものです。

 おそらく、多くのお子さんは、自分で「やるよ」「やれるよ」と言ったことの半分もできていればよいほうで、親がやれていないことを注意しようものなら、口をとがらせて抵抗することが少なくないのではないかと思います。物事の道理についてわかってきつつあるものの、まだ考えや取り組みが甘いため、言行一致に至らないことがどうしても多くのなるのでしょう。

 こういう時期の子どもとのコミュニケーションで、気をつけるべきことがあります。言うわりにやれていないことをあげつらい、厳しく注意したり叱ったりしないことです。親への反発が先に出てくると、落ち着いて自分の行動を振り返り、修正しようという姿勢が育ちません。これは多くの家庭のおかあさんが抱えておられる問題ではないでしょうか。

 だいぶ前のことですが、「親との会話で、どんなことをよく言われるか」について、子どもにアンケートを実施したところ、「注意・叱責」「指示・命令」「尋問・詰問」の類が多く挙げられていました。

 初めはそんな意図はなかったものの、子どもの態度や反応に立腹し、気がつけば注意や指示、命令、脅しのような言葉ばかり浴びせてしまう。毎日を忙しく過ごし、ゆっくりと親子の会話を楽しむ時間がなかなか取れない親にとって、やむを得ないことかもしれません。しかしながら、子どもはちゃんとやっていようがいまいが、親にほめてもらいたいばかりの年齢です。大いに不満を抱くであろうことは想像に難くありません。

 みなさんの、ごく最近のわが子との会話を思い出してみてください。内容こそ違っていても、次のような言いかたをしたことはありませんか? 「宿題、ちゃんとやったの?」「後かたづけぐらい、きちんとやりなさい!」「勉強部屋、大変なことになっているわよ!」「最近、テレビ見過ぎよ!」「ちゃんと、歯を磨いた?」――こういう会話は「閉じる会話」と言われています。子どもが嫌な気持ちになるうえ、しぶしぶ紋切り型の返事をしたらそれでおしまい。せっかくの親子一緒の時間が台無しです。

 「閉じる会話」に対して、「開く会話」と呼ばれているものがあります。話が発展していき、互いに楽しい時間を共有できる会話です。「あれ、今日は表情が活き活きしているね。学校で何かいいことあったの?」と、わが子に話しかける。こういう調子なら、話しかけられたお子さんも素直に今日のできごとについて話してくれるでしょう。あとは自然に会話が弾んでいきます。

 閉じる会話と、開く会話。その違いは、「話しかたのスタイル」もさることながら、相手への思いやりや共感の気持ちが重要な役割を果たしているように思います。親は、無意識に子どもを期待通りに動かそうとしがちです。また、手っ取り早く親の考えを伝えようとしがちです。そこでつい指示や命令の言葉が先に立ってしまうのですが、子どもの気持ちに向き合って耳を傾けることも忘れないようにしたいものです。そうした親の姿勢が子どもに伝わり、相手を大切に思い、相手の言うことに誠実に耳を傾ける姿勢を育てることになるからです。

 「でも、やっぱり注意しなければならないことがある。どうすればいいの?」というかたもおありでしょう。そこで、子どもが素直に親の言葉を受け入れ、反省すべき点を改めようとする会話のありかたを考えてみたいと思います。以下は、私がワークショップの運営を学ぶ際に教えていただいた手法で、「美徳のサンドイッチ」と言われるものです。

 子どもに改めるべきことがあるとき、いきなり問題点を切り出さず、まずは子どもの長所をほめるのです。そうすると、子どもの気持ちが落ち着き、親の言葉に耳を傾ける姿勢が生まれます。そのうえで、親はわが子に伝えたいことを言う。そして、それで終わってしまわず、最後に何らかの感謝の言葉を述べて締めくくるのです。たとえば、

 「学校の支度を前の晩にできるようになったね。おかあさん、感心したよ」→「ただ、夜遊んだあとの後かたづけができていないのが残念だね。部屋はきれいなほうが気持ちよく眠れるよね」→「それとね、いつも弟の遊び相手をしてくれてありがとう。本当に助かっているよ」

 似たような話があります。長年教育現場におられた公立中学校の校長先生のブログで紹介されていた言葉ですが、次のようなものです。
 生徒に、どうしても注意しなければならないときがある。しかし、人から注意されると誰でも素直になれないものだ。したがって、注意する者は、相手を思う気持ち・相手の立場を尊重する気持ちをすべてにおいて優先すべきである。具体的には、サンドイッチ法というやり方を使う。これは、「ほめて、けなして、ほめる」という方法である。ほめる」とは、生徒におもねったり、おだてたりすることではない。心からそう思っていることを話すのでないと、生徒の心には響かないものだ。また、「ほめて、けなす」「けなして、ほめる」も聞く方にとっては素直になりにくい」

 この話は、中学生に注意しなければならないときの対処について書かれたものですが、もっと下の年齢の子どもにも十分当てはまると思います。叱られて当然のことをしたから叱る。看過できない行為をしたからからには、厳しく罰するのは当たり前だ。それで万事納まればいいのですが、人間には感情があります。子どもだって同じです。叱られた側が感情的になってしまうと、結果として親の働きかけは意味をなさなくなってしまいます。

 わが子が相手でも、いやわが子が相手だからこそ、子どもの気持ちを尊重し、子どもと向き合って話す必要があるのではないでしょうか。そうした親の愛情深い心遣いが、子どもの心を開き、望ましい成長を引き出すことになるのだと思います。

H,S

 

2017.12.15 文章をすらすら読めない子はどうしたらいい?

 「うちの子は、文章がうまく読めないんです。傍で聞いているともどかしくなるほどです。いったいどうしたらよいでしょうか」――先日、小学校2年生のおかあさんからこんな相談がありました。 みなさんのなかに、同じような心配をしておられるかたはありませんか?

 1~2年生のうちにわが子の読みの上達が遅いことに気づかれたなら、あまり心配はいりません。「うちの子は、本を読むのを嫌がる」と嘆かれるおかあさんがおられますが、これは本が嫌いなのではなく、うまく読めないために活字を読むのが辛いから読みたがらないのだということは、以前お伝えしたと思います。問題なのは、こういう状態を放っておいたまま中~高学年に至ってしまうことです。読みの技能が稚拙なまま上の学年になってしまうと、それが学力低迷の原因になってしまうからです。

 理由は単純です。学習は大概教科書を使って行われます。教科書は主として活字によって学ぶ形式になっていますから、読みの熟達が遅れている子どもほど不利であり、活字で伝達される内容が高度になればなるほど読みの能力が学習成果に影響を及ぼします。活字に強くなっておくことは、リテラシー社会で生きていくうえで必須のことであり、その態勢づくりは小学校の段階における最重要課題の一つなのです。

 ちなみに、西欧諸国では初等教育の8割以上は母国語の読み書きの習得にあてているそうです。芸術の国として知られるフランスには「音楽」の時間がないとか。理科や社会科などの科目も日本ほどには教育内容に盛り込まれておらず、とにかく母国語の習得が初等教育の一番の役割とされているようです。

 ここで冒頭の話題に戻りましょう。読むのを苦手にしている子どもには、どういう対策が必要なのでしょうか。残念ながら特別な方法というものはありません。しかしながら、“読み”の練習さえすれば例外なくちゃんと読めるようになります。その練習とはどのようなものなのでしょう。それをご紹介する前に、長年小学校の教員をしていた先生(故人)が、すらすら読めない子どもの特徴を著書で次のように説明しておられます。まずはそれを読んでください。

 (前 略) わたくしの教え子にも、ひとまとまりの文章をスラスラ読めない子がいました。その子を観察していると、今、目で見ている文字を声に出しているのです。
 すらすら読める子は、声に出している文字よりも、その先の文字を見ています。しかも、たどり読みではなく、瞬時にひとまとまりの文章として読んでいます。その力がないと、文章をすらすら読むことはできません。
 声に出している文字よりも、その先の文字を読みながら、文章を理解できるようになるためには、練習を積み重ねるしかありません。
 ここにある国語の教科書に載っている一文があります。まず、親が、「おじいさんは」と読みます。その後を子どもが、「おじいさんは」と読みます。また、親が、「りっぱなかさを」と読んだら、子どもが「りっぱなかさを」と読みます。さらに親が、「もっています」と読んだら、子どもも、「もっています」と続けていきます。単調なやり方ですが、このくり返しが大事なのです。

 このように、お子さんの読みの上達に向けた練習にあたっては親のサポートが必要になります。面倒ではありますが、「毎日10分でもよいから親が手伝えば、必ず上達する」と、この先生は述べておられます。また、延々、親が短い語句ごとに区切って手本を示しながら、子どもにおうむ返しに同じフレーズを読ませ続けるわけではありません。読みの熟達度に合わせ、少しずつレベルアップに応じた読みの練習をしていくのです。たとえば、次のような段階を踏むのだそうです。



 1から2へ、2から3へと移行するにあたっては、お子さんがよどみなく正確に読めているかどうかで判断します。詰まったり、誤読したりすることが完全になくなったら、次のステップへ移行していきましょう。「こんなの簡単」とお子さんが言うかもしれませんが、文章をスラスラ読めないのは、はじめの基本的なところがちゃんとできていないからです。おかあさんの先導によって、楽しく読みの練習ができるよう配慮してあげてください。

 夕食の前後の時間を利用し、わずかの時間でも毎日繰り返すことが大切です。慣れるということは、脳の中で読みの態勢が整ってきているということであり、毎日続けることによる大いなる成果です。また、読むときにははっきりと大きな声を出しましょう。家庭内に元気な雰囲気ができあがりますし、はっきりと自信をもった発言のできる子どもになります。

 進歩の目安ですが、だいたい2カ月ほどで「段落読み」まで移行できるそうです。焦って不完全な読みのまま「一気読み」まで練習を進めても、実質が伴っていなければ意味がありません。お子さんが読むことに抵抗なく、スラスラと読めるようになれば、自然と本を読む時間が長くなり、さらには、勉強でも困らなくなっていきます。ここまでの流れが一苦労ですが、勉強について親がしてやれることで最も重要なことなのだと思ってください。

 お子さんが根気よく続けられるかどうかは、ひとえにおかあさんの情熱や愛情の注ぎかたで決まります。難しい勉強の内容を苦労して教えるよりも、この段階のサポートのほうが遥かにお子さんのためになるのだと心得て、がんばっていただきたいですね。

H,S

 

2017.12.8 子どもの脳の成長に運動は欠かせない

 おたくのお子さんは、学校以外で運動をする機会がどの程度ありますか。近年は、子どもを対象とする様々なスポーツ教室があり、多数のお子さんが熱心に通っておられるようです。けれども、全体から見ると十分に運動をしておられるお子さんは少ないのではないかと思います。

 と言うのも、便利な世の中になるにつれて大人も子どもも体を動かさなくなりつつあります。インターネットや携帯、電子ゲームが普及した結果、子どもは自由に遊べる時間を室内で過ごすことが多く、ますます歩いたり運動したりする時間が減っています。子どもが戸外で遊べる場所も、昔と比べて少なくなっているように思います。

 言うまでもなく、運動不足は子どもの成長にとってよいことではありません。歩いたり遊び回ったりすることで、子どもの体が育つだけでなく、脳の発達も促されるからです。そこで今回は、子どもの運動と脳の成長との関わりについてお伝えしようと思います。

 まず、最も軽い運動として歩くことをとりあげてみましょう。歩くことで、人間の太股の筋紡錘(きんぼうすい)という神経(※骨格筋の伸縮状態を感知する)から信号が発生し、それが脳幹部に伝わります。その結果、脳幹部の神経が刺激されて大脳の働きが活発になります。さらには、心臓から送り出される血液が普段の10倍に変化します。何もしないときに1分間でおよそ5リットル送り出されている血液の量が、何と50リットルもの量に変化します。

 体内を循環する血液量が増えると、酸素や栄養素がより多く脳に送られるようになります。また、老廃物の除去が進みます。その結果、脳の働きがどんどん活性化していきます。このように、歩くことは脳の働きを活発にする効果があるわけです。

 歩くことが脳の働きによい事例はこれだけではありません。歩くと、記憶を司る海馬という脳部位で働く細胞がシータ波(θ波)と呼ばれる脳波を発生します。シータ波は海馬にある脳細胞の細胞分裂を促し、その結果、記憶に関わる神経細胞が増え、記憶力が強化されます。

 どうでしょう。毎日一定の時間歩くようにすれば、頭の活動にとってよい影響がもたらされるようです。試してみませんか? 脳科学の専門家によると、歩くことが習慣化されたら、次は小走りのジョギングへ、そしてその次は一定の速度を保つランニングへと移行するとよいそうです。ランニングは、歩くことの効果を一層高めるとともに、筋力や持久力を強くするからです。

 この場合の適正なランニングの速さは、1分間にだいたい150メートルほどだと言われます。また、脳が最も活性化するまでに要するランニングの時間は50分くらいです。毎日忙しく働いている大人にとって、決して短くない時間ですが、毎日でなくても実行してみる価値は大いにありそうですね。なお、子どもはこれより短くて構いません。また、無理をすると体に過重な負荷がかかってマイナス面も生じますから、そのときの体調や気分なども加味し、可能な範囲で実行すれば、それだけでも大いに効果がもたらされます。日曜日など、おとうさんの声かけで親子一緒のランニングなどいかがでしょうか。

 人間の記憶機能のひとつに、ワーキングメモリーというのがあります。ワーキングメモリーは、何かをしたり考えを導き出したりするときに、必要な情報を一時的に保持し、行動の目的に合わせて処理する働きをします。たとえば、料理のときに包丁を使いながら、同時に頭の片隅でレンジのスイッチを入れるタイミングを計ったり、煮物の鍋の火を消す時間を頭に入れておいたりする働きがそれにあたります。また、暗算をしたり(二つの数を足し合わせて、どういう数ができるかについての情報処理をする)、文章を読んだりするとき(言葉による情報の流れを処理し、著述内容を理解する)にも、このワーキングメモリーが重要な働きをします。

 このワーキングメモリーの働きにも、ジョギングがよい作用をもたらすそうです。ジョギングを定期的にしている人は、ワーキングメモリーの容量が大きくなるのです。それは、「頭の働きがよくなる」ということに他なりません。

 ある科学者が、歩くことと脳の働きの関係を調べる実験を行いました。記憶に関わるテストを行い、その平均点がほぼ同じになるように、実験の参加者を二つのグループに分けました。そして、片方のグループのみ、週2、3回のジョギングを3ヶ月続けさせました。それから、再び二つのグループに同じテストをしたところ、ジョギングをしたグループの平均点のほうが圧倒的に高かったそうです。ジョギングによって、情報処理に関わるワーキングメモリーの機能が強化されたのだと思われます。

 無論、走れば必ず頭がよくなるわけではありません。しかし、定期的に適度な負荷のランニングを続けると、脳の上部にある運動野のみならず、その前側の前頭連合野も活性化され、知的能力を発揮する力が増強されるのです。脳の専門家は、「走ることは、前頭連合野の機能を向上させ、子どもの判断力、統制力、やる気、創造力を伸ばす可能性をもっている」と述べています。

 最後に、運動やランニングの効能に関わる話をもう一つ。よい姿勢を保てるお子さんは、しっかりと大きな呼吸ができます。しかし、背筋がしっかり伸びていないお子さんは、酸素を十分に脳へ供給できませんから、脳が活性化してくれません。とかく大人は、「頭のよい子どもにするには勉強を!」と考えがちですが、体を動かすことのもつ大きな意味についても忘れないようにし、子どもの望ましい成長をサポートしてあげたいものですね。

※今回の記事は、福岡教育大学名誉教授、永江誠司先生の著作をもとに作成しました。

H,S

 

2017.12.1 家庭教育と“モデリング”理論

 子育て経験のあるかたならどなたも実感しておられるかと思いますが、子どもは話しかたや行動様式を親から模倣することによって学びます。これを心理学では“モデリング”と呼んでいます。

 行動範囲がまだまだ限られており、人生経験の浅い子どもは、何につけ自分の周囲にいる人間の様子を見て学ぼうとするのは当然のことです。みなさんのお子さんのしぐさやふるまいのなかに、自分自身を見るような思いをすることはありませんか? ずいぶん前のことですが、腹を立てて筆者に食ってかかる愚息の言葉遣いの品のなさにあきれたものの、すぐに親である私の腹を立てたときの言い回しに似ていることに気づいて苦笑したことがあります。子どもが親を真似るのは、最も身近な手本ですから自然な成り行きかもしれませんね。

 今ご紹介した私自身の経験でもおわかりいただけるように、子どもは好ましくないことも、好ましいことも区別することなく手本にして学び取ります。親としては真似してほしくないこともすべて子どもにとっては学びの対象なんですね。カウンセラーとして著名なアメリカのサル・シビア氏は、著書で次のようなことを述べておられます。

 親が子どもの年齢をごまかして子ども料金の切符を買うならば、こういったことをしても構わないと子どもに教えている。電話で夫の居留守を使うならば、子どもはそうやることは当たり前だと教えることになる。ジャンクフードを食べるならば、ジャンクフードを食べてもいいと教えている。親が一日中テレビを見ているならば、一日中テレビを見る習慣を子どもに教えている。けんかして大声でわめくならば、こういった態度を子どもに教えることになる。子どもに怒るならば、彼らは人間に怒るようになるだろう。
 怒る代わりに冷静な声で話してやれば、腹が立ったときにも冷静なままでいることを子どもに教えることになる。あなたが、悪い言葉を使ったことを謝れば、過ちをおかしたときに責任をとることを子どもは学習する。丁寧な言葉を使うときには、丁寧な言葉を子どもは学習する。世の中のために貢献するとき、子どもは貢献するということを学ぶ。親が他人に親切にするとき、子どもは親切にすることを学ぶ。ベストをつくす親からは、ベストをつくすことを子どもは学習する。本を読めば、読書についての適切な態度を子どもは学ぶことになる。親が健康によい食べ物を食べ、運動をするときには、健康によいものを食べ、運動をする大切さを子どもは知る。まともな態度でふるまえば、まともなふるまい方を子どもは学ぶ。


 このことは、「親は、子どもにとってよいモデリングの対象でなければならない」ということを示唆してくれるでしょう。サル・シビア氏は、モデリングの最も懸念すべき事例として、幼児虐待をあげておられます。わが子を虐待する親の生い立ちを調べると、同じように親から虐待を受けている確率が高いというのです。言うことを聞かないわが子に対して暴力で懲らしめると、子どもはそういった行為が親の対処法であると思い込んでしまうのです。そして、自分が親になったとき、わが子に対して同じようなふるまいをします。自分が親から受けた対処法しか知らず、他の選択肢が考えられないのでしょう。

 近年、学校や学習塾の授業で先生の話をちゃんと聞けない子どもが増えています。しかも、それが悪いことだという自覚すらない子どもが少なくありません。これも家庭生活におけるモデリングが影響しているのではないかと考えられます。

 どういうことかをちょっと考えてみましょう。毎日家事で忙しくしているとき、「ねえ、ねえ、」と子どもが話しかけてきたとき、みなさんはどう対応しておられるでしょうか。おそらく、手を休めて丁寧に応じるおかあさんは少なく、大概は「今忙しいから、後で聞いてあげるね」と、とりあえずその場をしのいでおられるおかあさんが少なくないと思います。さて、そのあと、お子さんをちゃんとフォローされているでしょうか。

 もしもおかあさんがそれっきり、子どもが何か聞いて欲しげに話しかけてきたことを忘れたとしたら、そういうことがしばしばあったとしたら、子どもにどういう影響を及ぼすでしょうか。それが、先ほどお伝えした、先生の話を聞かない子どもの増加につながるのではないでしょうか。つまり、子どもは親の対応を「人の話は聞かなくて構わない」という意味にとってしまうのです。

 無論、子どもが聞いてほしかった話題はたわいのないものでしょう。ですから、それっきり親が忘れてしまったとしても、子どもの心が傷つくわけではありませんし、子どももなんとも思わずに忘れてしまうに違いありません。しかしながら、そういうことが度重なることが、結果として人の話を聞かない子どもの増加につながってしまうのだと思います。

 子どものモデリングの主たる対象は親です。特に、小学校の低~中学年までの子どもにとって最も身近にいて接することの多い手本であることを、忘れないようにしたいものですね。ただし、親がすべての面で完璧に手本を示そうとする必要はありません。また、人間ですから誰にだって欠点はありますし。大切にしたいのは、わが子の子育てにおいて大切にしたいことは何か、何を押さえておきたいかを考え、そこの部分に配慮を怠らなければよいのではないでしょうか。

 ついこの間小学生になったばかりだったはずなのに、ふと気づくと中学年、高学年へと進級し、瞬く間に中学生。子育ての期間は長いようで短いものです。そうこうしているうちに大学生になり、親元を離れて生活する日がやってくるかもしれません。後悔の残らないようにしたいものです。

 子どもと接する時間は楽しくもあり鬱陶しくもありますが、一緒にいられる時間を大切にしつつ、よき手本を演じてくださいね。

H,S

 

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