子どもの才能は生まれつき?
いいえ、家庭の関わりが大きな作用を果たします。


2017.7.21 夏休みを、充実した実物体験の場に!!

 随分前の話になりますが、わが子を高校に通わせずに独学で勉強させ、長男を東大医学部、次男を京大経済学部に、18歳で進学させた家庭が話題になったことがあります。この家庭のおとうさんは、子どもたちが小さいころには川原や動物園に連れて行き、そこで実物の観察と体験による教育を施したそうです。

 家の近くを川が流れていたので、おとうさんは子どもたちを自然に親しませようと、毎日必ず一度は散歩に連れて行きました。田んぼにはひきこみの小川があったので、そこに生息しているフナやカエルを観察したのです。川原では底まで見える場所に、じっと座って水の中を覗いてみると、水辺に棲むいろいろな生物の生態がわかってきます。あるいは、草むらや茂みをあきもせずかがんで眺めていると、バッタやキリギリスやトカゲやヘビなどの生物が生息していることに気づきます。

 おとうさんは、子どもたちに自然界の生物や、それらの生態についてたくさんの質問を受けるので、家に帰って直ちに百科事典や図鑑を調べて、できるかぎり答えるよう努めました。やがて、子どもたちは文字も読めないのに百科事典や図鑑を広げ、興味を抱いた生物の写真やイラストが載っているページを開いては写生する習慣がついたと言います。

 動物園も、自宅の近くにあったので、勉強の合間にしょっちゅう子どもたちを連れて行ったそうです。その回数は、数年間で150回に及びました。実物を見る回数を重ねると、子どもというものは大人も驚くような発見をするものです。動物の種類や習性について観察したのはもちろん、骨格から発生の段階までも興味をもつようになりました。こうした方面の本を買うために、おとうさんはわざわざ東京まで行ったほどでした。ヘビやトカゲなどの爬虫類の写生に熱中した子どもたちは、小学校入学前からしっかりとした観察をして、大人も顔負けの正確な絵が描けるようになったそうです。

 このように、優れた観察力や集中力や自発性が育てられたのは、実物に即して学習する体験学習、すなわち、即物的学習の方法が効を奏したものと思われます。頭がよくなるというのは、脳の神経細胞同士が結びつき、新しい回路を築いていくということを意味します。そして、神経ネットワークがどんどん広がり、密になっていくことを言います。

 こうした神経細胞の結びつきは、新しい体験を積むほどに、学習すればするほどに強固になります。幼児から小学校低学年期は、新しい神経回路を築く重要な時期にありますから、言葉だけでなく、体全体による学習刺激を浴びることが重要です。つまり、実物に触れるような体験学習による感覚教育が、脳の発達に大変重要な役割を果たすのです。このような教育をするにあたり、自然以上によい環境はありません。まさに、自然こそ、最良の教育環境といえるでしょう。

 神経生理学者によると、脳神経間の連絡部がよく発達するには、二種類の神経がいっしょに働かなければならないそうです。第一の神経が情報をキャッチし、学習材料の存在を知らせる信号が働いても、第二の神経で「やるぞ!」という意欲の信号が同時に働かないと、第一と第二の神経の連絡部がよく発達しないというのです。すなわち、学習素材の信号に意欲の信号が伴わないと、学習活動は成立しません。
 ところが、この学習意欲を育てる教育が難しいのです。先ほどの実体験を積み重ねる学習は、その意味において大変重要な効果を発揮します。実物を目の前に見たり、直接触ったりすることで、その生物に対する興味関心が強化され、さらにはその生物の仲間に関してもっと知りたくなったりします。また、小学校低~中学年までの子どもは、見たものを自分で絵に描いてみようとしたり、何度も繰り返し見に行こうとしたりします。こうした活動が、子どもたちの知識を蓄積するとともに、「知りたい!」という欲求をますます増幅させるのです。

 おそらく、多くのご家庭では学校のある期間のお子さんのスケジュールはかなり予定で埋まっていると思います。これまで、塾への入会を検討しておられるおかあさんとお話しする際、「行かせたいのだけれども、平日は習い事やスポーツなどで1日も空いていません」と言われることが度々ありました。すでに通っておられるご家庭においても、「他にも習い事などに行かせている」というかたは大変多いのではないかと思います。このようなご家庭にとって、夏休みはお子さんに「実体験型」の学習に触れさせる絶好の機会です。お子さんといっしょに戸外へ出かけ、お子さんが興味を示す何かを見に行く体験をぜひさせてあげてください。

 このように申し上げても、「動植物などについての知識は、図鑑で得ればよい」と思っておられるかたもおありかもしれません。しかしながら、絵や写真による知識は、実際に見たり触れたりする体験にとって代わることはできません。生ものとしてのその生物の実際を確かめることと、その生物の一面を描写したに過ぎない写真や絵とでは、脳に記憶される情報量が比較にならないほど違います。

 なお、実際に見せれば子どもは何にでも興味を示すのかというと、そういうわけにもいきません。子どもにも興味の対象に個人差がありますから、まずは子どもが行ってみたい場所、見たいものがある所へ行くことから始めるのがよいでしょう。それには、日頃からわが子がどういうものに興味を抱いているか、関心を寄せているかを掌握しておくことが必要です。家庭での団らんのときなど、そうした方面の話題に花を咲かせてみてはどうでしょうか。

 最後にもう一点付け加えさせていただきます。せっかくの体験学習や行動学習の機会を、単なるレジャーや形式的な行事に終わらせるのももったいない話です。子どもが実際に見たり体験したことを、絵に描いたり、言葉で表現したりすれば、それこそ脳内の神経回路をつくるシナプスはどんどん増えていくことでしょう。今年の夏は、そんな試みをしてみてはいかがでしょうか。「体験学習とは、表現学習である」と言った有名な学者がいますが、この言葉はまさにそのことを指摘したものだと思います。

H,S

 

2017.7.14 夏休みは、“生活習慣の自立”を合言葉に!

 わが子には、将来どんな大人に成長してほしいと思っておられるでしょうか。無論、それは親によって様々でしょう。しかし、少なくとも「何事も前向きで、自立した立派な人間に成長してほしい」という願いは、多くの親に共通するものだと思います。思春期がくるまで、親は毎日のしつけを通して、わが子がこの願いに叶った人間に育つよう働きかける日々が続きます。

 ただし、それは決して楽なことではありません。たとえば、毎日の起床や就寝一つとっても親の手を借りずにやれる子どもはそう多くないものです。子どもが自分の身の回りのことを自分でやれるようになるには、親の側に一貫した関わりが求められますが、子どもの自立に向けてのプロセスはもどかしいもので、ついつい口を出し、手を貸すことになってしまいがちです。おたくではどうでしょうか。

 「これまで、少し過保護だったように思う」「いろいろ細かく子どものことに干渉しすぎた」など、反省すべき点を感じておられるかたはありませんか?そういうかたは、どこかで意図的に子どもへの関わりかたを転換する必要があるように思います。できるならお子さんが低学年のうちに生活上のことは自分でやれるようにしておきたいものです。なぜなら、生活習慣の自立もままならないまま高学年になると、子どもは何をするにつけて中途半端にしかできない状態になってしまうからです。子どもの年齢が上がれば上がるほど、親の影響力は薄れますし、子ども自身もよほどのことがないと染みついた悪い生活習慣を自分で改善するのは困難になってしまいます。

 その意味において、流れをよい方向に変える絶好のチャンスが夏休みではないでしょうか。私たち玉井式の導入塾からのご提案。それは、夏休みに入る前に、生活や勉強の基本的方針・計画を立てることです。「それならこれまでだってやってきた」――そうおっしゃるおかあさんもおられるかもしれません。しかし、私たちがご提案する内容は少し違っているかもしれません。どういうことかをこれから少しご説明してみましょう。

 子どもが計画通り勉強をやりこなしたり、やるべきことを実行したりできるようになるには、「計画自体が子ども自身のものになっていなければならない」とよく言われます。低学年児童の場合、おとうさんおかあさんと一緒に立てた計画であり、子どもの言い分も聞き入れた計画であり、子どもが納得して受け入れた計画となっているかどうかが、成否を分ける重要なポイントになってくると思います。

 ご提案したいのは、計画を立て、夏休みがやってきてからの親の見守りです。この夏休みは、子どもを頭ごなしに叱ったり、「やりなさい」と命令したりするような押しつけをしないで、わが子が計画を実行できるよう応援してみませんか。大人が押しつけずに、いかにして子どもが計画を実行し、けじめのある夏休みの生活を実現するか、そのことにチャレンジしてみることをご提案したいのです。「この夏休みは、計画をちゃんと実行した!」という手応えは、親の叱咤激励がなければより大きいものになりますし、何よりも大きな自信になるのではないでしょうか。

 ただし、それは「全く叱らずに」という意味ではありません。「いかにして子どもが自発的に計画を実行するか」という視点から親の関わりかたを決めていただくということをご提案するものです。子どもを絶対に叱るまいとすると、却ってストレスは溜まる一方です。そして、やがてはたまったストレスが爆発してしまいます。「決めたことは自分でやる!」そういう意志や行動性をいかにして引き出すか、まずはご夫婦で相談し、作戦を練っていただいても構いません。

 その作戦の一つとして、たとえば親が励行すべき事柄をリストアップし、夏休み終了まで一貫した見守りと応援を実行するという方法などいかがでしょうか。

この夏をきっかけに! “自立”した子どもにする、親の心得7箇条
一. お子さんと話し合い、何か一つ夏休みの“努力目標”を掲げましょう。
一. 夏の生活と学習の“計画”を、親子共同で立てましょう。
一. パワーコントロールを控え、子どもの率先した行動を期待しましょう。
一. 子どものどんな小さな努力や進歩も見逃さないよう努めましょう。
一. この夏は、「いかにたくさん子どもを誉めるか」に挑戦しましょう!
一. どんなことがあっても笑顔を絶やさない母親であるよう努めましょう。
一. “早寝早起き”を原則に、家族全員の規則正しい生活の実現をめざしましょう!

 低学年の子どもに限らず、計画を実行するには、「励みがある」こと、「親が見ていて誉めてくれる」こと、「計画に無理がなく、実行できるものである」ことなどが条件になります。

 「励み」に関しては、夏休みの締めくくりに親子で何か楽しい行事を計画するということなど、アイデアはいろいろあるのではないでしょうか。「誉めること」に関しては、小さな努力を見逃さず、タイミングよく誉めることを心掛けたいものです。子どもを動かすには「誉める回数」が重要な意味をもっています。どんなささやかな努力や進歩も見逃さない親であってください。「計画」を「実行」に繋げるには、親子での話し合いが不可欠です。お子さんの言い分も聞いてやりながら、子ども自身に納得のいく計画になるよう配慮してあげてください。それは実行できるかどうかに大きな影響を及ぼします。

 この夏休みが、お子さんのより善き成長の場となりますように! また、おかあさんにとって、子育ての善き転機となりますように!

H,S

 

2017.7.7 愛情深く、断固たる姿勢で境界線を引く

 前回はあなた自身の心の境界線(バウンダリー)の状態を、チェック表で確認していただきました。バウンダリーは、強すぎても弱すぎても望ましくありません。あなたは、強いほう、弱いほう、どちらの傾向が見られたでしょうか。

 私は15年余り進学塾の指導現場で働きました。その間、千名以上のお子さんを見てきましたが、経験を重ねるうちにある段階から、親の子育てタイプと子どもの性格とに明らかな相関関係があることに気づきました。

 授業中にしゃべりたい欲求や何かをやりたい気持ちを押さえることができず、授業の進行やクラスの雰囲気を台無しにするタイプの子ども(ほとんどが男の子)がときどきいます。そういう子どもの親と面談すると、たいてい驚かされます。さぞ押し出し感のあるこわいタイプのおかあさんだろうと思っていたのに、まるで違うのです。「いつも息子がご迷惑をおかけしているのではないかと心配しています。学校でも再三指摘されるのですが、私の言うことを全然聞いてくれません」といった塩梅です。逆に、おとなしくて引っ込み思案なタイプのお子さんのおかあさんは、「さぞ控えめでおとなしいかただろう」と思いきや、たいていは全く逆でした。わが子の行動を厳しくと取り仕切る、支配型のタイプのおかあさんでした。

 考えてみれば当たり前のことです。親が子どもに明確なバウンダリーを示すことができず、子どもの行動を全然制御できないでいるから、学校や塾でも自制の利かないに状態になるのです。また、親のバウンダリーがあまりに強くて、行動の自由が抑制されているから、子どもは自己表現が苦手な引っ込み思案のタイプに育ってしまうのですね。

 ここで、母親のバウンダリーが弱いと子どもがどういう問題が生じるかについて、臨床心理学者のクラウド博士の著作で紹介されていた実例をもとに考えてみましょう。

 私のクライアントのテレサは、十三歳の息子ジョシュアが宿題をしないことに困っていました。そこで私たちは、宿題をする時間帯を決め、毎晩その時間は宿題をさせるという計画を立てました。その時間になったら宿題だけをもって自分の部屋に行き、宿題以外のことをしてはいけません。しかし、ジョシュアが実際に宿題をするかどうかは監督せず、宿題をもって間違いなく机に向かっていることだけを確認します。それがテレサと私の約束でした。
 次の面談の日、テレサは気弱な顔で現れました。テレサ自身が約束を果たせなかったのです(決まりを守らせるための自制心を親が持っていなければ子どもは自制を身につけられません)。
「どうしました?」
「決まりを説明して実行に移そうとしたところまでは良かったのですが、ジョシュアが友達から野球の試合を観に行こうと誘われまして……。私は宿題が終わるまではだめだと言ったのですが、そうしたらものすごく怒ってしまったのです。あまりに怒って、悲しそうだったので、どうしても止められなくて」
「だから最初に言ったではありませんか。子どもはそうやって親の決まりに抵抗するものなのだと。息子さんが決まりを嫌うことは分かっていたでしょう。それでどうしたのですか?」
「あまりに悲しそうな顔をされて、私自身耐えられなかったので行かせました」
「次の晩はどうでしたか」私は答えは予想できましたが、聞いてみました。
「同じような状態になって、ジョシュアがまたふてくされてしまったのです。どうしても逃したくないイベントがあったものですから」
「ちょっと確認させてください。あなたにとって何がなすべき正しいことかを決める基準は、そのときの息子さんの態度なのですか? もし彼ががっかりして怒ったら、それは悪いことだからすべきではない、と。そうなんですね」
「そのように考えたことはありませんが、そうなのかもしれません。息子が悲しむ姿を見るのがいたたまれないんです」
「あなたには、いくつか重要な点をよく理解してもらわないといけませんね……」

 この話はまだまだ続きますので、ここでいったん打ち切りましょう。引用文の最後で、クラウド博士が「いくつか重要な点」と述べていたのは、どのようなことでしょうか。これは、みなさんの子育てにおいても大変重要なポイントですので、ご紹介しておきましょう。クラウド博士は、

・親の価値観が、未熟な年齢の子どもの感情によって左右される。子どもの機嫌がいちばんの判断基準になっている。 → 果たしてそれでよいのか?
・子どもが思い通りにいかずにいらだつときこそ、成長を引き出す絶好のチャンスである。 → この子育ての重要な側面を見落としてはいないか?(いらだちの経験が子どもの耐える力を育む)
・今のままだと「自分はいつもハッピーであってしかるべきだ」「ほしいものを手に入れたければ、泣けばいつでも誰かが動いてくれる」ということになる → それは親の価値観に沿っているのか?

 以上、三つの点を母親のテレサに問いかけました。この問いかけはテレサの気持ちを突き動かしました。子どもが少々抵抗しても、親の善悪に関する判断や方針を変えてはならないのです。そのことを初めて強く決心したのでした。子どもが「辛い」「嫌だ」など、心の痛みを感じたとしても、それは子どもにとって必要な体験です。子どもの痛みに安易に寄り添えば、子どもは自分の欲求を押さえて我慢することをいつまでも学ぶことができません。

 やがて母親の手を離れると、子どもは自分の思い通りにならないことをたくさん経験することになります。そのときにする苦労と比べると、今強いられる我慢などたいしたことではないのです。何としても今のうちに子どもに自制の心を植えつけるべきなのです。この自制の心は、この先に控えた人生や、当面の学業で成功するための必須の要素になります。

 最後に、クラウド博士の言葉で今回は締めくくろうと思います。子どもの要求に負けてしまいそうなとき、きっと親に勇気を与えてくれることでしょう。

 宝石は磨けば光ります。金は熱によって精錬されます。スポーツ選手は訓練すれば強くなります。学生が目先の楽しみを後回しにして一生懸命勉強すれば、将来、希望の職業に就く可能性が高まります。同じように、試練は子どもの品性を練ります。欲しいものがあれば、それを目指して努力することを学びます。苦労や痛みは、人生を切り拓いていくための人格を培うのです。

 欲求をいったん取り下げて我慢する。それができるようになることで子どもは成長していきます。子どもにこの試練を乗り越えさせることも、親の大切な仕事なんですね。まずは、お子さんの気持ちを受け止めてあげること、それから親子で決めたルールを守ることの重要性を語って聞かせること、守らないとどういうことになるかを理解させること、これらを意識してがんばってみてください。

H,S

 

2017.6.30 あなたの境界線(バウンダリー)は明確ですか?

 今回は、6月2日のバウンダリーに関する記事の続きです。子育てにおいても、自分自身の生活においても、境界線(バウンダリー)が明確であるかどうかは、親子関係や他者との関係をスムーズなものにできるかどうかのカギを握っています。

 親子関係や対人関係におけるバウンダリーとは、「ここからここまではいいけれど、ここからはダメ」という基準や線引きのことを言います。

 次の4つの絵を見てください。これらはいずれも子どもに対する行動の許容範囲を示す境界線です。どれが一番望ましいと思われるでしょうか。考えてみてください。



 1は、境界線がグニャグニャとあっちへ行ったりこっちへ行ったりしています。つまり、境界線が明確でなく、してよいことといけないことの線引きが明らかではありません。親の考えや対応が一貫性を欠くので子どもは混乱してしまうことでしょう。

 2は、子どもに与えられる行動の範囲が極めて狭く、限られています。何につけ厳しく制限されて自由がなく、窮屈な感じがしますね。こういう子育てをされた子どもは、他者に対してオープンな姿勢を欠き、さらには行動力や実行力の乏しい人間になってしまう危険性が高いでしょう。

 3は、子どもに与えられた行動の範囲が大きな丸で示されています。ある程度子どもに行動の自由が与えられているいっぽう、許される行動の範囲や基準が大枠で明示されています。こういう子育てのもとで育った子どもは、何事も自律的に判断して望ましい行動のできる人間に成長できるでしょう。

 このほか、4のように境界線自体が大変弱かったり、明確性を欠いていたりする場合も考えられます。こういう子育てを受けた子どもは、行き当たりばったりの行動をとったり、抑制の利かない野放図な行動をとったりする恐れがあると言えるでしょう。

 以上から、子育てにおいては「どこまで自由が許され、どこから許されないのか」を示す明確な境界線が必要だということがわかります。また、境界線の必要性は、保護者であるおとうさんおかあさん自身の対人関係の維持にも重要な働きをします。勤務先や友人関係、近所づき合い、学校のPTAなどで、周囲の申し出や依頼に対して「NO」と言えず、悩んだ経験はありませんか? これはバウンダリーが弱いために生じる問題です。このタイプの人は、子どものしつけや教育においても明確な境界線を引くのをためらいます。ですから、子どもを自主性や実行力に飛んだ人間に育てるには自分のバウンダリーを強化する必要があります。

 そこで、これからみなさんのバウンダリーがどのような状態にあるかを確かめてみましょう。次の1~10の質問に、YESまたはNOで答えてください(いずれかに○をつける)。お迷いになる質問もあるかもしれませんが、その場合は敢えて即決でいずれかを選んでください。



 結果をチェックしてみましょう。YESは、できるなら三つ以内が望ましいです。YESが多い人は、境界線が明確でなく、自分の気持ちを押し殺すために毎日の生活でストレスをため込みがちです。逆に、NOが多い人はバウンダリーが強すぎる傾向にあります。このタイプのかたは、人間関係において対立が生じやすいことが懸念されます。

●ノーが極端に多い人
 家庭内でおかあさん(おとうさん)のバウンダリーが強すぎるかもしれません。そうなると、おかあさん(おとうさん)自身は自覚していなくても、しらずしらずのうちに家族が服従する形になっている可能性があります。今後は、もう少しお子さんやの気持ちをくみ取ってから態度を決めるようにすると、家庭の雰囲気はもっとよくなるのではないかと思います。

 ●YESが極端に多い人
 バウンダリーが弱すぎるきらいがあります。こういうかたは、日頃から家庭内でも家庭外でもストレスに悩まされがちです。おかあさんがこういうタイプの場合、おとうさんは面倒なことはみなおかあさん任せで丸投げ、子どもは自分ですべきことまでおかあさんに頼って自立しません。このタイプのかたは、「子どもに対しては、私がボスなのだ!」という意識をもつことが大切です。なぜなら、わが子に行動上の基本マナーやルールを植えつけるのは、親の大切な仕事だからです。ぜひ、がんばっていただきたいですね。

 なお、チェック項目に対する答えはYES・NOの2択ですから、実際よりも片方に偏っているかのような結果になったかたもおられると思います。あくまで参考程度というふうにご理解ください。

 以上からおわかりのように、境界線(バウンダリー)は強すぎても弱すぎてもよくありません。強すぎると、相手や周囲に無用の気遣いや服従、迎合を強いている恐れがあります。弱すぎると、子どもが自己抑制の利かない性格の人間に育つ恐れがありますし、夫婦間においても一方的に我慢を強いられることになりがちであり、ストレスに悩む毎日を強いられることになります。

 あなたのバウンダリーの現状はいかがでしたか? 次回は、バウンダリーの適切な引きかたをテーマにして書いてみようと思います。今回の話で、少しでも自分のバウンダリーに修正の必要性を感じたかたがおありでしたら、ぜひ読んでみてください。

H,S

 

2017.6.23 子育てに必要な視点とは  その2

 前回は、世話好きなアリソン夫人が、14歳になる息子のキャメロンの部屋の片づけをしているのを見て、友人である臨床心理学者のクラウド博士が、「息子さんの将来の奥さんが気の毒……」と忠告したエピソードをもとに、子育てにおける重要な視点とは何かを共に考えてみました。

 今回は、その続きです。クラウド博士は、「子育ての第一のゴールは、よい人生を歩めるような人格を子どものうちに養うことだ」と述べ、「自分の部屋は自分で片づける」ということに関して、息子のキャメロンと母親のアリソン夫人にあった問題点を次のようにまとめておられます。

●部屋を片付ける必要性を感じていなかった。それを感じていたのは母親だった。
●部屋を片付けるべきだという動機がなかった。それがあったのは母親だった。
●片付けるための計画も時間もなかった。それがあったのは母親だった。
●片付けるためのスキルを持たなかった。それをもっていたのは母親だった。

 つまるところ、アリソン夫人は典型的な過保護な母親だったわけです。それは息子のキャメロンにとって不幸なことです。このままでは、自分ことを他者に委ね、自分で責任を負わない人間になってしまいかねません。クラウド博士の忠告をきっかけに、自分の子育ての問題点を自覚したアリソン夫人は、そのあとどうしたでしょうか。

 アリソンが息子の将来の姿を思い描いたとき、彼女の子育ての方法は変わりました。これまでなんでも喜んでキャメロンを助けてきましたが、それは息子にとって本当の「助け」になっていなかったのです。キャメロンは、いつも誰かに手伝ってもらうのが当たり前という態度を持つようになり、そのせいで学校でも教会でも、周りの人から疎まれるようになっていました。
 アリソンにしてみれば、息子が散らかした後を片付けてあげるのはお易い御用であり、母親としての愛情表現のうちでした。しかし、母親としてだけでなく、一人の大人の視点から将来のキャメロンを思い浮かべたとき、いつも自分の責任を他者になすりつけている息子の姿に不安を覚えました。母親なら気にならないことでも、他人はそうはいかないでしょう。このままではキャメロンの将来の人間関係が危ぶまれます。そこで、アリソンは息子に対する接し方を変えました。自分のことは自分で責任を持てるように、自分の行動が他人に与える影響をもっと意識できるように、そして他人に疎まれる大人にならずに済むように、息子の人格的成長を念頭に置いた子育てを心がけるようになったのです。

 子どもが困っているから手伝うというのは、親としての美徳のように思われます。しかし、そのような関わりが子どもの将来を危うくするとしたら、助けどころか健全な成長の妨げにしかなりません。クラウド博士は、子どもの将来に向けた人格的土台を形成するための親の役割として、次の三つをあげておられます。

1.保護者としての親
 子どもは、自分の命を守り生活を維持するための知恵を持っていません。善悪の区別も、危険と安全の区別も、良いものとより良いものとの区別も、生と死の区別もつきません。これをしたらどうなるか、といったことは考えず、目先の興味にとらわれて行動します。好奇心につられた結果、危険な目に遭うこともあります。知恵は経験を通して初めて身につくものですが、子どもには当然経験などありません。
 そこで保護者は、子どもが知恵を身につけるために必要な安全な環境を用意してやる必要があります。いろいろなことを試して経験を積める自由を与えつつも、自由を与えすぎて子どもが危険にさらされないよう、自由と制限のバランスをうまく取ることが求められます。

2.マネージャーとしての親
 マネージャーとは、ものごとが確実に成し遂げられるよう助ける存在です。目標は達成されているか、決められたことはきちんとなされているか、マネージャーが確認します。子どもは最初は自分で自分を規律する能力を持っていないので、外から訓練してもらう必要があります。マネージャーとしての親は、この訓練を与えます。成長に必要な事柄を、一つひとつこなしていけるよう手ほどきするのです。
 そのためには、有益なものを選んで与え、教え、しつけ、矯正し、懲らしめ、秩序を保ち、ライフスキルを身につけるよう助けます。子どもが様々なゴールに到達するよう努力するのを、日々監督します。

3.供給源としての親
 子どもは何も持たないでこの世に生まれてきます。どこに食べ物があるのか、どうやって風雨をしのぐのか、生活必需品を買うのに必要なお金はどうやって手に入れるのか、何も知りません。物資的ニーズだけでなく、愛情、知恵、援助、知識なども必要ですが、子どもはそれらを手に入れる術を知りません。
 子どもは、親を通してこれらのものすべてを受け取ります。子どもが命や生活の維持に必要な資源を、外の世界から受け取るためのパイプ役をするのが親です。まず、与えられたものを責任をもって用いることを学び、それから徐々に、自分のニーズは自分で満たすことを学んでいきます。このように、最初は親が供給源になって子どものニーズを満たしますが、最終的には子どもが自立できるよう導きます。

 アンダーラインのところに注目してください。親は未熟な段階の子どもに対して様々なサポートをすることで子どもを守ります。しかし、ただ世話をして子どもの欲求を満たしてやるのではなく、手助けをしながら徐々に手を放し、子どもが自分でものごとに対処できるよう導くことが求められます。そのさじ加減が難しいのです。そしてまた、そこに子育ての大きな醍醐味があるのですね。子どもは、親が育てたように育つのですから。

 キャメロンは、母親の子育ての変化に応じて徐々に変わっていきました。母親の側にあった動機が、徐々にゆっくりとキャメロンの側に移動していったのです。つまり、母親が散らかったキャメロンの部屋を見て「片付けなくては」と思うのではなく、キャメロンが「自分の部屋は自分で片づけなくては」と思い、それを自ら実行するようになったのです。

 親はつい子どもに手を差し伸べたり、子どもの代わりをしてあげたりしがちです。しかし、それが子どもの将来にとって望ましいことかどうかという視点ももちたいですね。助けるところは助けながら、徐々に自分でやれるように応援する。子どもの自立につながる子育てを実践したいものです。

2017.6.16 子育てに必要な視点とは  その1

 この文章を読んでくださるかたの多くは、年長児および児童期前半のお子さんをおもちの保護者であろうと思います。すなわち、人間として身につけるべき立ち居振る舞いの基本をわが子に植えつけるべく、毎日子育てに取り組んでおられる方々が主要な読者です。そこで今回と次回は、毎日の子育てにおいて必要な視点について共に考えてみようと思います。

 みなさんは、子育ての方針として何か意識しておられることはありませんか? たとえば、「自分のことは自分でできるようにさせる」「約束を守る、責任感のある人間に育てる」「他者と仲良くやれる協調性に富んだ人間にする」など、それぞれに考えをもって子育てをしておられるのではないかと思います。

 ただし、子どものために特に疑問をもつことなくやっていたことが、子どもの成長にとってマイナスに作用していることもあります。

 以下は、臨床心理学博士のクラウド氏が友人のアリソン夫人の家庭を訪問したときのできごとです。そのときのクラウド博士の言葉で、彼女の子育てが一変することになりました。

 その日、私(クラウド博士)はこの友人夫妻の家で夕食をごちそうになっていました。食事も終わり、しばらくの雑談の後、アリソンはちょっと片付け物があるからと席を立ちました。夫のブルースと私はそのまま話を続けていましたが、電話が鳴って彼も席を外したため、私はアリソンの手伝いでもしようと立ち上がりました。
 十四歳の息子のキャメロンの部屋から物音が聞こえてきたので、そこにいるのだろうと中をのぞいて驚きました。アリソンがいそいそと息子の服や運動具を片付け、ベッドを整えていたのです。彼女は何事もないかのように私に話しかけてきました。
「旅行のときの写真を早く見せたいわ。とても……」
「何をしているんだい?」私はアリソンをさえぎって尋ねました。
「見ればわかるでしょ。キャメロンの部屋を片付けているのよ」
「何だって?」
「だから、キャメロンの部屋を片付けているのよ。どうしてそんな顔をするの?」
そう聞かれて、私は頭に浮かんだことをためらいながら口にしました。
「息子さんの将来の奥さんがかわいそうだと思って……」
 アリソンはそれを聞くと一瞬固まり、それから、足早に部屋を出ていきました。私も部屋を出ると、彼女は廊下で立ちすくんでいました。何と声をかけたらいいのか分からなかったので、黙っていました。しばらくするとアリソンは私を見て言いました。「そんなふうに考えたこと、一度もなかったわ」

 アリソン夫人の行動のどこに問題があるのか、みなさんはすぐに気づかれたことと思います。ただし、多くの母親は、無意識のうちに、あるいは子どもを思うゆえに、ついこれと同じような行動をとりがちではないでしょうか。クラウド博士は、この例のように何もかも親の手助けを受けて大人になった子どもがどういう問題に行き当たるかを想像し、忠告をしたのですね。

 このできごとについて、クラウド博士は次のように説明しています。

 親はたいてい、自分にとって自然な方法で子どもに接します。例えば、アリソンはもともと「世話好き」なので喜んで世話を焼きます。のんびりした放任主義の親なら、息子の部屋など放っておくでしょう。厳格な親なら、ベッドが整っていないだけで厳しく罰するでしょう。
 確かに、子どもを育てるときにはさまざまな介入が必要です。手を貸すのが必要なときもあれば、黙って見守るのがベストなときもあります。厳しくすべきときもあるでしょう。ここで大切なのは、「私は目的をもってこのように子どもに接しているのか?」ということです。自分の性格や親から受け継いだやり方が、私たちの子育てにそのまま反映していることはよくあります。あるいは、目先の問題や何らかの不安に対処するだけになっていることも珍しくありません。
 肝に銘じてください。子育てとは、「現在」の問題に対処する以上に、「将来」に向けて子どもの人格を養っていくことです。人がどのように人生を歩むかは、その大部分がその人の人格によって決まるからです。結婚や仕事がうまくいくかどうかも、その人が内側に持っている力に左右されます。

 こうしてみると、子育てがわが子の人格的な長所の形成に向けられたものか、人格的な弱点につながるかによって、子どもの人生の歩みは大きく変わってくのですね。そのこと一つとっても、子育ての重要さに思いを致さないわけにはいきません。

 私自身、自分の短所や性格的な欠点について考えるとき、親から受け継いだものや、自分の育ちかた・養育環境に原因を感じることが少なくありません(厳格そのものだった明治生まれの祖父と、優しすぎる父親。両方の影響が色濃く自分の性格や生きかたに投影されていると感じます)。同じように、自分の息子の至らない点やもどかしい点を残念に思いつつも、ふとそれは私自身の子育てに問題があったからだと気づくことがあります。

 目の前に生じている様々なことに目を奪われ、わが子の将来的な視点に立って子育てをすることを忘れないようにしたいものですね。

H,S

 

2017.6.9 「移民のパラドックス」に学ぶ

 今回のタイトルを見て、「いったい何のことだろう?」と思われたことでしょう。これは、アメリカの発達心理学者の著した書物で目にした言葉です。子どもを優秀な人間に育てるための原則を知るうえで参考になろうかと思い、話題にとりあげてみました。

 みなさんは、最近になってアメリカに移民してきた家庭の子どもと、同じ国から一世代以上前に移民してきた家庭の子どもとに、学力的な違いが有意に見出せると思われるでしょうか。もしそうなら、どちらが優秀な成績をあげているでしょうか。

 「移民パラドックス」とは、同じような民族的背景に基づく人々でも、アメリカでの移民生活の短い家庭の子どものほうが、アメリカに移民後に世代変わりしている家庭の子どもよりも成績がよいということから生まれた言葉のようです。この研究結果は、米テンプル大学で思春期・青年期の子どもの発達を専門に研究している、ローレンス・スタインバーグ教授の著書で紹介されていました。

 アメリカでは、移民して間もない家庭の子どもも、移民後に世代交代が進んでいる家庭の子どもも同じ学校へ通学します。教育カリキュラムも同じで教える先生も同じです。同条件なら、おそらく多くのかたがアメリカ社会への適応が進んだ家庭の子どものほうが学力形成において有利だと思われるでしょう。ところが、アメリカへの移住歴が短いほど子どもの成績がよいのです。このパラドックスは、どういうことに起因するのでしょうか。

 移民してきたばかりの家庭では、アメリカの風習やライフスタイルなどに適応するための苦労があります。大人になってから移民した人間は、現地の言葉(英語)を習得するのが難しく、少なくとも家庭生活において英語に触れる機会は極めて少ないことが想像されます。このように、移民して間もない家庭の子どもがアメリカで勉強するうえでの環境は決して恵まれているとは言えません。

 つまり、学校で英語を一から指導してくれる特別な補償教育を受けられるわけでもなく、家庭生活でも英語に触れる経験もできない子どもにとって、それらは学習上の大きなハンディです。それなのに、移民して間もない子どものほうが成績がよい。その理由として、子どもの学力を決定づける最も大きな要素は学校の教育内容やクオリティではなく、子どもの育てられかたや親の期待の差し向けかたにあるからだと、前述のローレンス・スタインバーガー教授は述べておられます。

 もう少し掘り下げて考えてみましょう。以下は、この教授の著書からの引用です。

 私たちのグループの国際調査では、10歳から30歳までのさまざまな年齢で、どのくらい衝動を抑制できるかをテストした(解き方をしっかり考えないとできない問題にとりかかる前に、どれだけ長く待つことができたかで測定)。その結果10歳では、中国人もアメリカ人も、自己抑制にほとんど違いはなかった。中国人の子どもの方が10パーセントほど点数が高かっただけである。だがこの差は、年齢が1歳上がるごとに大きくなる。14歳では中国人グループの点数は20パーセント高く、18歳では45パーセント高かった。20代では、中国人の自己抑制はアメリカ人より50パーセント強かった。この差は、文化による気質の違いのためとは思えない。もしそうなら、若い年齢でも自己抑制の差が見られたはずだ。これはおそらく、青少年がいかに育てられたかによるものだ。
 こうしたことがもし全部本当だとしたら、なぜアメリカは、小学生の成績をあげることができたのだろうか。答えは、学業での成功に不可欠な非認知技能は、生徒の年齢が高くなるほど重要になってくるからだ。小学校から中学、高校へと進むにつれ、学習内容は難しくなり、より自立心が求められる。大人の監視や支援は減って行く。生徒はもっと自力で勉強することが期待されるのだ。高校の宿題は、終わらせるのに長い時間がかかる。試験はもっと前から準備しないといけない。勉強は大変だ。自制心と報酬を先延ばしにする能力が高い生徒が、高校では小学校の時よりはるかに有利である。小学校2年生では、それほど強い忍耐力を必要としない。つまり、小学校のうちは非認知技能のことは考えなくても、成績を上げることはできるのだ。

 引用しておきたい箇所はもうしばらく続くのですが、長くなるのでここまでにしておきます。ここでまず着目していただきたいのは、「非認知技能」という言葉です。この「非認知技能」こそが、学業での成功にとって欠かせないものだとスタインバーガー教授は述べておられます。

 では、「非認知技能」とは、具体的にはどのようなものを言うのでしょうか。私自身も漠然としか分からないので、調べてみました。「非認知技能」というのは、「学習に向かう意欲」「勉強の妨げとなる誘惑を押さえる自制心」「うまくいかなくても簡単にあきらめない粘り強さ」などを意味するようです。

 わざわざご説明するまでもなく了解されたでしょうが、これらは勉学において有効なだけではなく、社会生活を営むうえでも、人間関係を健全に保つうえでも、仕事をうまくやり遂げるうえでも不可欠なものです。これらを家庭教育で育まれた子どもは、アメリカ社会に順応し、学業面で秀でた人間に成長し、さらには社会の一線で活躍していくうえで必要な要件を満たす可能性が極めて高いと言えるでしょう。

 さて、引用文の内容にもう一度戻ります。「非認知技能」の習得に向けた家庭教育の違いが、小学生のうちはあまり学力差につながらない理由が最後のほうに書かれていましたね。小学生までは、勉強の負荷が少ないので、忍耐力や粘り強さ、自制心などの差が学力的なデータに表れにくいのです。このことで参考にしたいのは、今学力差として数値に出てきやすい「学習のレベル」「学習進度」などに振り回されるのではなく、学力形成を推進する大きな力となる「非認知技能」の育成に向けて親はもっと目配りをしたほうが、子どもの望ましい成長につながるということではないでしょうか。

 家庭教育を通して子どもの「非認知技能」を育む。それは、私たち日本人の家庭が本来得意とする領域です。しかしながら、受験などが視野にあるために、手っ取り早く学習成果を得ることに目を向けすぎると、この能力を育てることを忘れがちです。勉強は頭のよさだけで優劣がつくのではなく、「非認知技能」の習得によって随分成果に差が出るということを胸に留め、愛情深く粘り強くお子さんの家庭教育にあたっていただきたいと存じます。

H,S

 

2017.6.2 していいことと悪いことの境界線を引く

 子育ての重要な役割の一つに、「子どもに、してよいことといけないことの境界線を教える」ということがあります。それがなぜ必要かというと、子どもが大人になってから求められる行動規範の原型は、子育てを通じて形成されるべきものだからです。

 子育てを経験した人なら、それがいかに重要なことかをご存知でしょう。そして、子どもに境界線を教えることが意外に難しいということもご存知でしょう。

 この行動の境界線のことを英語でバウンダリーと言います。バウンダリーの概念について細かに説明すると、大変長くなってしまいますので、今回はバウンダリーに興味をもっていただくために、バウンダリーの果たす役割と子どもにそれを教える例を一つご紹介してみようと思います。

 小学生頃までの子どもは、日常の生活の中で親から「してよいこととしてはいけないことの区別・線引き」を教えられて育ちます。しかしながら、何がよくて何がよくないかの判断は親によってまちまちであり、またその教えかたにも個人差があります。さらには、親は教えたつもりでいても、子どもにはさっぱり浸透していないこともあります。しかしながら時間は待ってくれません。子どもにどの程度バウンダリーが浸透しているかどうかにかかわらず、やがて親の手を離れて生活する段階がやってきます。そのとき、子ども自身が人生をうまくわたっていけるか、様々な困難を抱えてしまうかは、望ましいバウンダリーを携えているかどうかにかかっていきます。

 以下は、アメリカの臨床心理学博士の著書から引用したものです。まずは子どもにバウンダリーが教えられていないとどうなるかを考えてみましょう。

原因 「テレビを見るのはもう終わり」と言われた。
結果 ぐずって泣いて怒り、かんしゃくを起こし、しまいには大騒ぎになる。

 もしもバウンダリーが教えられていたら、違った状況になるでしょう。

原因 「テレビを見るのはもう終わり」と言われた。
思考 腹が立つからかんしゃくを起こしたいけれど、そんなことをしたら、テレビを見られない以上に困ったことになるかもしれない。親の言うことを聞くほうがいいだろう。
結果 テレビは終わりにして宿題をする。

 著者は、「子どもは感情と行動の間にワンステップ取って考えることができない。だからこそ、親が訓練の場を設けることが必要なのだ」と述べておられます。子どもがそれを喜んで受け入れるかどうかを気にする必要はないのです。感情に任せた行動をすると、後で辛い罰を受けるかもしれない。しかし、そうならずに済む方法だってあるということを経験させればよいのです。

 子どもにはちゃんと学習能力というものがあります。それを引き出すよう親は働きかければよいのに、その方法を知らない親、しようとしない親が少なくありません。子どもが感情と行動の間にワンステップとって考えられるようになるには、「承認」「指導」「経験」の三つのステップがあると言います。

 「承認」は、子どもの感情を、それが現実的なものであるか否かに関わらず、本人にとってはリアルなものであると認め、肯定してやることです。「指導」は、怒りや願望などの感情に任せた行動が適切でないと教えることです。自分の手にしたいもの(こと)を得るには、感情をむき出しにするより、もっと効果的なやりかたがあるということを学ばせるのです。ちょっとした我慢をすること、礼儀正しく振る舞うことのほうが目的を達成するうえで有効であることを悟れば、子どもは駄々をこねたり強情を張ったりすることを控えるようになるでしょう。もう一つ、「経験」は、上記のような親の対処にもかかわらず、子どもが聞きわけを示さない場合は、相応の罰をあたえるということです。ただし、きちんと自分の責任を取ったなら子どもをほめることを忘れないようにすることが肝要です。

 次に、著者が実例を挙げておられる箇所をご紹介しましょう。

 私の知り合いの家族を例に取りましょう。この家族には二人の娘がいて、活発で口の達者な姉テイラーは、おとなしい妹ヘザーの話をいつもさえぎっていました。そこで両親は姉を呼んでこう言いました。「テイラー、パパやママに話したいことがたくさんあって、我慢できない気持ちはよくわかるわ〔承認〕。でも、そんなにいつもヘザーの話をさえぎるのは失礼だし、ヘザーを傷つけることにもなるのよ。妹の話が終わるまでは、自分の話を始めるのを待っていてくれるかしら。もしそれができないなら、パパとママはあなたが我慢できるようになるまで、ヘザーの話す時間を長くすることにするわ。あなたにもっと自制を学んでほしいの。そうでないと、あなたが友達に嫌われるようになったら悲しいからね〔指導〕
 テイラーはそう言われると、親が本当に言ったとおりにするか試し始めました。子どもとはそういうものです。しかし、両親は断固として妥協せず、約束通り彼女から話す時間を取り上げました。そういうことが二晩続き、テイラーは悲しい思いをしました〔経験〕。ところが、母親によると、その後面白いことが起きたそうです。
 「三日目の晩のことです。妹が話をしていると、姉が急に何か言いたげな顔になったので、話したいことを思い出したのだなと分かりました。テイラーは大きく息を吸い込み、今まさに何か言わんとして口を開けました。その様子に、妹も思わず言葉を止めたほどでした。私たちは皆沈黙し、姉を見つめました。すると、彼女の表情が変わったのです。その前の二晩、妹の話をさえぎったために、自分の番を失ったことを思い出しているのがありありと見て取れました。テイラーは私たちを見て、恥ずかしそうに笑ってこう言いました。『で、それからどうしたの、ヘザー』それを聞いて皆、大爆笑でしたよ」

 こうして、テイラーは自制することを学び始めました。自制心をもつことは、知性的に生きるために不可欠の要件であり、自分の行動に責任をもつことも、希望に叶った結果を得ることも、これによって可能になります。親の愛情深くも厳しい対処によって、テイラーは心のコントロールのできる人間へと成長を始めたのです。

H,S

 

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